Wuppertal's profile エルバーフェルト日記PhotosBlogLists Tools Help

 エルバーフェルト日記

  ドイツ語圏の文化・思想にさわるブログ!  「Sehnsucht といふ語はドイツ民族が産んだ言葉であつて、ドイツ民族とは有機的関係をもつてゐる」  九鬼周造

Wuppertal

Interests
December 01

ドイツ国民に告ぐ

 
フィヒテは、『ドイツ国民に告ぐ』 をしめくくるにあたって、つぎのように書いている。
 
...der nur nicht blos schwärmerisch meint und hofft, sondern gründlich untersuchend denkt...
 
熱狂するだけじゃダメで、根本的に探求することがドイツ人には必要だ、とフィヒテは言っている。ようにみえる。でもたぶん、『ドイツ国民に告ぐ』 という書物全体の発想をかんがえるとき、フィヒテはこう、言いたかったのではないか? つまり、「とはいえ、根本的な探求は、熱狂的に想い、考え、希望することなしにはそもそもありえないんだけどね」、と。それができるのが唯一、ドイツ人であると。思考の緊張は、「敵」なしにはありえないと。
 
いま熱狂できている我らこそ特権的であり、チャンスなのだから、と。
 
「nur nicht blos」はそういうニュアンスで意味をとってもいいんじゃないかと思いました。
 
November 30

しわす

 
六本木ヒルズで、ドイツのクリスマス・マーケットが開かれるもよう。リンクなのだ。
 
November 26

透明と障害は正規軍とパルチザン?

 
僕も、東浩紀の一般意志2.0の議論を、興味をもっておいかけている。ただ、民意の集約そして実施・反映ということに関して、平時はそれでいいとしても(つまり、政治家の権限をできるだけ縮小・限定する)、例外状況のばあいはいったいどうするんだろう? というのは気になるところ。ますますスペシャリスト(政治家、官僚、そして僕ら一般の人間の専門知)ばっかりになって、いざなにかとんでもない事態が起きたときに、全体にまたがって「決断する」主権は、いったい誰の手に? それはさすがにインターネットとかには無理だろう、いや、まさか・・・ということを考えていたら、カール・シュミットがこんなことを書いていた。ここでつながる? つながるのかな?
 
   In einem Aufsatz zum 250. Todestage von J. J. Rousseau, in der Zürcher Woche Nr. 26 vom
   29. Juni 1962, habe ich, unter Bezugnahme auf Rolf Schroers und H. J. Sell, die Gestalt des
   Partisanen herangezogen, um das umstrittene Bild Rousseaus zu klären.
 
ルソーという人間の謎(そしてたぶん「一般意志」という謎も)をとく鍵が、パルチザンにあるとシュミットはいうのだが、この論文というのがどこで読めるのか、げんざい調べ中。Zürcher Woche なんて東大図書館にもないようだけど、でも論文自体はきっとどこかに再録されていることだろう。
 
November 24

諦観

 
ふと Resignation (諦念、あきらめ) について調べてみたら、「神意への忍従」 という意味があって、ははあとおもった。つまり、「あきらめ」といっても、aufgeben / give up とは意味がことなる。ギブアップは限界であり脱落であり、人為だけれども、レジグナツィオンはもっと大きな存在をみとめ信頼することだ。これは虚無ではなくて、神意の在ることを明めたおおらかな態度だといえる。
 
Resignation は re- sign すること、つまり人為のみからなる世界への登記(サイン)から、退くことである。だからそのキャンセルは能動的なものであり、すすむ方角がかわったので、すすむこと自体がギブアップされたのではない。そんな感じかな・・・でもやっぱりよくわからない鴎外「予が立場」。
 
November 22

連休は読書マラソン

 
この連休は、びみょうな感じで読書マラソン。いろいろ読んでいるけれど、ドイツ関係だと、
 
 1、グンドルフ 『英雄と詩人』 (邦訳)
 2、芳賀檀 『ニーチェ論』
 3、ベルトラム 『独逸的形姿』 (邦訳)
 
を読んだ。どれもエキサイティングだった。1は、グンドルフとしては珍しい理論書であり、ゲオルゲ論とヘルダーリン論を含んでいる。2は、なんと本文が「友よ!」で始まるという、とても「熱い」本(といっても芳賀檀はいつもこの調子ではあるけど)。3は、論文集・講演集。ドイツ作家論集といってもいい。1も3も戦前のものだが、いま読んでもすごくおもしろい。いまだからこそ、というべきか。