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エルバーフェルト日記 ドイツ語圏の文化・思想にさわるブログ! 「Sehnsucht といふ語はドイツ民族が産んだ言葉であつて、ドイツ民族とは有機的関係をもつてゐる」 九鬼周造 |
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11月26日 透明と障害は正規軍とパルチザン?僕も、東浩紀の一般意志2.0の議論を、興味をもっておいかけている。ただ、民意の集約そして実施・反映ということに関して、平時はそれでいいとしても(つまり、政治家の権限をできるだけ縮小・限定する)、例外状況のばあいはいったいどうするんだろう? というのは気になるところ。ますますスペシャリスト(政治家、官僚、そして僕ら一般の人間の専門知)ばっかりになって、いざなにかとんでもない事態が起きたときに、全体にまたがって「決断する」主権は、いったい誰の手に? それはさすがにインターネットとかには無理だろう、いや、まさか・・・ということを考えていたら、カール・シュミットがこんなことを書いていた。ここでつながる? つながるのかな?
In einem Aufsatz zum 250. Todestage von J. J. Rousseau, in der Zürcher Woche Nr. 26 vom
29. Juni 1962, habe ich, unter Bezugnahme auf Rolf Schroers und H. J. Sell, die Gestalt des Partisanen herangezogen, um das umstrittene Bild Rousseaus zu klären.
ルソーという人間の謎(そしてたぶん「一般意志」という謎も)をとく鍵が、パルチザンにあるとシュミットはいうのだが、この論文というのがどこで読めるのか、げんざい調べ中。Zürcher Woche なんて東大図書館にもないようだけど、でも論文自体はきっとどこかに再録されていることだろう。
11月24日 諦観ふと Resignation (諦念、あきらめ) について調べてみたら、「神意への忍従」 という意味があって、ははあとおもった。つまり、「あきらめ」といっても、aufgeben / give up とは意味がことなる。ギブアップは限界であり脱落であり、人為だけれども、レジグナツィオンはもっと大きな存在をみとめ信頼することだ。これは虚無ではなくて、神意の在ることを明めたおおらかな態度だといえる。
Resignation は re- sign すること、つまり人為のみからなる世界への登記(サイン)から、退くことである。だからそのキャンセルは能動的なものであり、すすむ方角がかわったので、すすむこと自体がギブアップされたのではない。そんな感じかな・・・でもやっぱりよくわからない鴎外「予が立場」。
11月22日 連休は読書マラソンこの連休は、びみょうな感じで読書マラソン。いろいろ読んでいるけれど、ドイツ関係だと、
1、グンドルフ 『英雄と詩人』 (邦訳)
2、芳賀檀 『ニーチェ論』
3、ベルトラム 『独逸的形姿』 (邦訳)
を読んだ。どれもエキサイティングだった。1は、グンドルフとしては珍しい理論書であり、ゲオルゲ論とヘルダーリン論を含んでいる。2は、なんと本文が「友よ!」で始まるという、とても「熱い」本(といっても芳賀檀はいつもこの調子ではあるけど)。3は、論文集・講演集。ドイツ作家論集といってもいい。1も3も戦前のものだが、いま読んでもすごくおもしろい。いまだからこそ、というべきか。
11月18日 のんべえ横町先週、先輩といっしょに、はじめて渋谷ののんべえ横町へゆく。「にごり酒」の文字につられて入ったお店は、88歳(だったかな? 78かな?)のおばあさんがひとりでやっている、会津若松がコンセプトのお店。長州出身の僕は、出自を隠し続け、ごまかしつづけ、飲み続けるのであった・・・。
店はせまいので、8人も入ればスペースがもうない。僕たちのあとに入ってきた常連さんふたり(どっちも職業が謎だけど、これは無職とかそういう意味じゃなくて、けっこう年のいったお偉いさんっぽかった)と仲良しになり、すすめられるままに会津の料理、会津の酒(ナマカンがここはおいしいんですよというので、たのまない手はない)を早いペースでカポカポかっぽり空けていたら前後不覚に。でも先輩に前後不覚であることを悟られたくない、という品格というのかせこさというのか、があるので、平気なふりをして渋谷センター街を歩き、二次会のお店へ。以下省略。(記憶があやういだけという説もある。)
日曜はオペラ。グルックのオペラ。北とぴあ国際音楽祭には毎年、というわけでもないけれども、もう何度も行っているのである。なぜなら、寺神戸亮さん指揮のこの音楽祭のオペラは、いつだってすばらしいのだ。今回もほんとうにすばらしかった。こんなに上品で、楽しくて、エレガントな、そして質のたかいものは他ではめったにみれない・聞けないとおもう。森 麻季さんもやっぱりよかった。今回の作品 『思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼』 は、モーツァルトにも影響を与えたんだそうで、彼はレクイエムのなかでこのオペラのメロディを真似しているんだそうだ。グルックはドイツの人だけど、作品はフランス語。19世紀になると、こういうオペラがもっていた「ユーモア・遊び」が藝術にはなりにくくなって、オペラは「マジメ化」してゆくんだなぁと思った。
江藤淳を読んでいたところ、エリク・エリクソンに『若きルター』という著作があるということをきのうまで知らなかった・・・。勉強、勉強、ときどきそれでもにごり酒。
11月13日 アイガー北壁新田次郎の「アイガー北壁」を読みました。山岳小説にさいきん惹かれぎみ。
登頂まであと300mと言うところでパートナーの渡部恒明が墜落・負傷したため救助を求める際に
山頂を経由した際に達成、しかし渡部はその間に謎の墜死を遂げた。一説には骨折の痛みと孤独
いう小説を書いている
と、ウィキペディアで「アイガー北壁」を調べると書いてあります。それにしても、登頂の成功が、負傷して動けなくなったパートナーを救助するため(つまり山を越えないと救助を求められない)になされたというのは、凄い。でもきっとこれは、登頂の成功とか失敗とか、そういう領域をもはや超えているんだろうな・・・小説のはじめとおわりに顔をだす地元のおっさん(スイス人)がまたいい味をだしてました。
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