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March 23 ベンラート城館でおもったことこちらは現在イースター。それとはなんの関係もなく、ふらりとベンラート城をおとずれた。城館は、1773年完成。現在、城は庭園芸術ミュージアム、自然博物館として機能してもいる。
ひだり上にみえるのは、ベンラート城館の庭園の見取り図。城館では、しばしば演奏会も開かれる。ということで、やはりハイドンの音楽がここにはもっともふさわしい(ハイドンのスコア)。
自然博物館に関しては、場所はことなるけれどもこの時期、ヨハン・クリスティアン・ゲアニンク(Johann Christian Gerning)なる人物(肖像画)が、昆虫採集にとり憑かれていたようだ。
庭園の見取り図、ハイドンの「スコア」(=総譜、得点記録)、そして昆虫の標本。僕には、それらがまったくおなじフォルムと理念でつらぬかれているようにみえて、しかたがない。 March 21 Googleという「人間喜劇」その四ところで、ケールマンの小説からは少し離れるけれども、ここで僕が思いだすのは、柄谷行人「探究Ⅰ」のつぎの箇所である。
「興味深いのは、ボヤイとロバチェフスキーからそれぞれ別に、ユークリッドの平行線公理を否定しても成立する幾何学について報告されたとき、ガウスがすでにその可能性を知っており、しかもそれを公開することを回避しようとしたことである。[中略]このとき、ガウスの恐怖は、非ユークリッド幾何が無矛盾であることを証明するためには、ごく単純な算術(2+2=4の如き)の基礎づけに到らねばならないことを察知していたからだと思われる。数学的には、非ユークリッド幾何は、たんに平行線公理を否定する公理系からできあがるものでしかない。また、非ユークリッド幾何は、球面のような「モデル」を作れば、ユークリッド幾何に還元されることができる。それゆえ、非ユークリッド幾何の無矛盾性は、ユークリッド幾何の無矛盾性に依存するということになる。ところが、解析幾何によれば、平面(座標)上の各点は、一対の数の組み合わせにおきかえられるから、幾何の命題は、代数の命題におきかえられる。したがって、ユークリッド幾何の基礎づけは、実数、さらに最も単純な自然数の基礎づけの問題となる。ガウスは、このような経過の不可避性を予期し、しかも何の見通しももてなかったのである。」
ユークリッド的な公理系にしたがって生活するかぎり、そこにはべつに何の矛盾もない。ゲーテ時代においても、世界はあくまでこの公理系の「内部で」測量されたのだった。ガウスもその例外ではない。しかし、上でいわれているのは、そのようにして測量を厳密化し、情報・数値を網目状に結合していったときに突如として出現したテラ・インコグニタ(未認識のテリトリー)であって、ガウスはこれにおののいたということである。この時点で、いわばこの未認識のテリトリーを認識しえたのは、ただガウスとボヤイとロバチェフスキーだけだった。引用をつづけると、「実際そのために、非ユークリッド幾何は、長い間この三人の間にしか存在しないことになった」。
つまりガウスは、計算に計算をかさね、ごくロジカルに数値を積みあげていった結果、「測れないもの」に遭遇してしまった。世界の測量をつきつめたがゆえに、世界(=ユークリッド的な公理系)をつきぬけて、身動きがとれなくなってしまった。そして、見てはならないものを見、考えてはならないものを考えてしまったのは、おそらくガウスひとりにかぎられはしない。たとえばクライストの「マリオネット劇場について」には、ガウスが抱いたのと同じおののきが感じられはしないか。あるいは、ハイデガーが好んで引用したことでも知られる、クライストのつぎのことばに(Youtubeにその動画あり)。
<Ich trete vor einem zurück, der noch nicht da ist, und beuge mich, ein Jahrtausend im voraus, vor seinem Geiste.> March 20 マルセル・バイアー3日前、マルセル・バイアーの新作「カルテンブルク」が発売となり、僕もきょう街へいって購入してきました。バイアーの本はつねにデザインも素敵です。前作「Spione」には肩すかしをくらった感じなのですが、今回は設定からして興味多い。主人公は、生物学者と鳥類学者のふたり。舞台は、ナチスドイツとDDRというふたつの独裁国家です。 出版にあわせて、WDR3が1時間番組を作成した模様です。ドイツ時間では<3月21日、12:05>から放送されます。日本時間だと<21日、20:05>で、ネットラジオで聴けるはずです、興味のあるかたはぜひ。非常にたのしみです。内容としては、こう紹介されてます。 Lesung ヴォルフガング・ティルマンス以前のエントリーでも触れましたが、ドイツの注目のアーティスト、ヴォルフガング・ティルマンスがベルリンで「Lighter」というタイトルのもとに展覧会をひらいており、そのことがWDR3で紹介されました。展覧会についての詳細はこちらからどうぞ。www.hamburgerbahnhof.de
Googleという「人間喜劇」その三世界は百科全書のように網羅的に記述されうるはずだという信仰、これをフレームとしてもちいながらも、作者ケールマンは主人公であるフンボルトとガウスを、きわめてアイロニカルな筆致で描かれている。そしておそらくここに、第二の理由が隠されている。
平たくいってしまえば、フンボルトもガウスも、大衆小説的な要素である「人間らしさ」をそなえているということになる(ネガティヴな意味においてではなく)。いっぽうで真理にむかって測量に没頭しつつ、他方ではつねに俗世間の日常に煩わされる彼らがいる。抽象度のたかい崇高なる作業に従事しているわりにはガウスは政治的には典型的な保守であるし(これは史実)、かたやフランス寄りのフンボルトも、すっかり有名になってしまったために、調査のための旅先では接待ばかり受けて、まともに研究させてもらえない。そうした日常的エピソードをコミカルに提示することで語り手は、つまりはこう仄めかしている、世界はほんとうに測量されうるのだろうか、と。
そしてじつはこの懐疑はいま多くのひとがかかえているものでもある。たしかに、私たちはグーグルを信じて検索をかけ、ウィキペディアの項目が増えること、そしてひとつひとつの項目についての情報が細密化されることを願ってもいる。しかし私たちはそれと同時に、そういった収集・リンク・共有にひた走るシステムに対して、どこか物足りなさを感じている。けっきょく情報の氾濫に終わるのではないか、というあきらめを感じている。感じているからこそ、ウィキペディア的なプラットフォームとは対極にあるコミュニティ(2ちゃんねる)や会員制のブログに、ある種の閉鎖状況をすすんでつくりだしてしまうのだといえる。
したがって、インターネットはおおきくふたつの世界に分岐している。ウェブ空間は、いわば都市と村、歴史主義的空間と神話的空間(伝承的空間)から成りたっている。前者がグーグルに代表されるオプティミスティックな空間であり、後者が2ちゃんねるに代表されるニヒリスティックな空間である。小説「世界の測量」は、このふたつの世界像の双方を兼ね備えている。そのフレームと内容とにおいて。 March 19 島田雅彦閑話休題。
島田雅彦「自由死刑」を原案とするテレビドラマ、「あしたの、喜多善男」が最終回をむかえました! (全11話、観終わりました)
原作ではなく原案ということで、TVむけの迎合がそうとうおこなわれたわけですが、それでもじゅうぶん、おもしろかったです。
とくにキャストの豪華さ、またセンスが抜群で、なかでも宵町しのぶ役の吉高由里子の出来は、ひとつの事件だったのでは?
最終回には島田雅彦じしんも端役で出演してました。島田雅彦はこの吉高由里子の声に完全にノックアウトされたらしく、じしん
のブログで「彼女の声で聖書の朗読をききたい・・・」なんてことを言っていました。
昨年でた「カオスの娘――シャーマン探偵ナルコ」もとてもおもしろいので、興味のあるかたはぜひ。僕は集中力がまったく長続き
しない人間なので、「読みだすと止まらない!」なんていう夢のような体験はまだ人生にたったの1,2回しかないのですが、この
小説はほとんど一日で読み切ることができました。
よく比較されますが、僕は村上春樹の「やれやれ小説」なんかより、島田雅彦の「べらんめえ小説」のほうがずっと好きなのです。
March 18 Googleという「人間喜劇」その二小説「世界の測量」は、ドイツのみならずアメリカでもベストセラーになった。まもなく日本でも翻訳がでる。このことを可能にしたのは、インターネットが用意したオプティミズムとニヒリズムの複合であると、僕はかんがえる。
新たなメディアはときとして、すでに無効化したはずのものを蘇生させる。あるいは「メディア」である以上、そのコンテンツは必然的に、過去のものから掘り返されざるをえない。世界の測量へとむかう思考、その蘇生したすがたが、たとえばGoogleである。
グーグルは、世界中のあらゆる知を集積し、リンクし、共有可能にすることを目指して突き進んでいる。グーグル的な知のありかたに反発したり、警告を発するひとはいても(もぎけんいちろー?)、じっさいにまったくグーグルなしですますことのできるひとなど、存在しない。世界は測量されうるし、されるべきであり、現に人々はそう望んでいる―グーグルはまさにこの哲学を背景として、いまこの瞬間も稼働している。そしてこのような背景、環境を創造したのがインターネットだった。
もしも、大小さまざまの事実と数値をコツコツと積み重ねてゆけば真理に最接近できるのではないか、という、あるていど楽観的な動機が裏になければ、ウィキペディアなど存在しないはずである。すくなくとも、そこではだれもあの加筆・修正に参加しないはずだろう。つまり、そうとは知らずひとはまた、「測量されうる世界」を生きている。
多くのひとがいまこうして漠然と肌身に感じているオプティミズムが、小説が設定したフレーム、つまりゲーテ時代の博物学的世界像という鏡に自身のすがたを発見した、というのが第一の理由である。しかし、この鏡があくまでフィクションであることを忘れてはならない。あとで述べるように、ゲーテ時代はそれほど単一的な世界ではない。 (つづく) Googleという「人間喜劇」その一ドイツでベストセラーだった(というかいま現在もよく売れている)小説、「世界の測量」(Die Vermessung der Welt)が日本語に翻訳されて、まもなく書店に並ぶらしい。作者はダニエル・ケールマン、1975年生まれ。2006年にはクライスト賞を受賞している。
小説の主人公は、フンボルト(弟)とガウス。つまり、自分の「脚」でもって実践的に「世界を収集」しようとしたフンボルト=博物学と、「脳」でもって論理的に「世界を計算」しようとしたガウス=数学というわけだ。
世界を測量し、大小さまざまの事実と数値をコツコツと積み重ねてゆけば真理に到達できるという思考、というより信仰は、ゲーテ時代にピークをむかえる。文学でいえば、それは「人間喜劇」のプロジェクトに代表されるだろう。そしてこのような世界観はバルザックの死(1850年)とともに失効する、というのが教科書的なストーリーである。いわゆる「全知の語り手」というのは、この「測量されうる世界」に対応するものに外ならない。じっさい、バルザックの次世代を代表するフローベールが否定したもの、それがこの「全知=全治の語り手」だった―「全治」という語に、僕は回復という意味と統治という意味の両方を込めたい―。
ところで、世界はぜんぜん測量できないということ、したがって測量技師が不在もしくは不要であることを言語化したのがカフカだったとすれば(K.=去勢された測量技師)、カフカが「世界的」にうけるというのはまだ納得がゆくにしても、150年前の遺物であるはずの「世界の測量」がよりにもよっていまひろく読まれるとはいったい、どういうことなのだろうか? 暗夜行路昭和13年。暗夜行路のあとがきに、こう書かれている。
「主題は女の一寸したそういう過失が、―自身もその為め苦しむかも知れないが、―それ以上に案外他人をも苦しめる場合があるという事を採りあげて書いた。仏蘭西とかウイーンの小説が人妻のそういう事を余りに気軽に扱っている。読者は自身を姦通の相手の男の立場に置いて鑑賞するから、そういう不道徳も中々魅力があるわけだ。『クロイツェル・ソナタ』のような小説もあるが、シュニッツレルなどをそういう意味で若し面白いと感ずるなら、恥ずべき事であり、少し馬鹿げていると思った。主人公は母のその事に祟られ、苦み、漸くそれから解脱したと思ったら、今度は妻のその事に又祟られる、―それを書いた。」
「シュニッツレルなどをそういう意味で」というときの、「そういう意味で」にどのくらいアクセントをおくべきか、迷うところではある。いずれにせよ、志賀直哉には、ウィーンの小説は「人妻のそういう事を余りに気軽に扱っている」と映っている。
しかしながら、気軽に扱うことと、気軽に扱っている「ということにしておく」とでは、まったく事情が異なる。そして、いかなる種類のものであれ、そもそもテクストを論じるとは、この差異を読み解いてゆくこと以外ではない。空気を読めないやつがテクストを読めるわけがない、と僕がなかば冗談めかしていうときいつも念頭においているのは、そのことである。 March 16 キートン先生!Master Keaton 「心の壁」の章をみる。西欧文明ドナウ起源論の「屋根の下の巴里」もすごくよかったけど、やっぱり浦沢直樹はドイツを舞台にするときがいちばん、いきいきしているなあとおもう。「心の壁」は、ベルリンの壁に分断された家族の話。Monsterもふくめて、冷戦前後のドイツ社会をこんなにも魅力的に提示できる作家が、ほかにいるだろうか? Monsterはドイツ語にも翻訳されている。
浦沢直樹はほんとうに仕事が丁寧で、研究がゆき届いている。それは彼がかくドイツ語の正確さにもあらわれている。そういえば、エヴァのアスカのドイツ語はひどかったですね・・・(あのシーンでテンションがくっと下がりました)。
今年の夏からは、いよいよ20世紀少年の映画も公開される(三部作になるらしい)。なんと、監督は堤幸彦!! これは一時帰国のさいには見ないわけにはゆかない・・・。あー、テンション上がってきました。
20世紀少年も、現在19巻までドイツ語に翻訳されている(PLUTOは3巻まで)。2006年、20世紀少年はドイツのマックス&モーリッツ賞(←ヴィルヘルム・ブッシュにちなむ)ベストマンガ部門にノミネートされたが、けっきょく受賞したのは「はだしのゲン」だった。浦沢直樹と「はだしのゲン」が同時期に翻訳されるということに、僕はなにか複雑なものを感じる。昭和と平成が、異国の地で同席するということに。 March 15 カフカ もしくは セカイカフカの『シナの長城の建設に際して』が1917年に書かれたということは示唆的である。そして、この寓話は、カフカ作品のなかでも異色の作だといってよい。というのも、ここでは、あのカフカ特有の虚脱感、どうしようもなさが、ポジティヴな意味を帯びてたち現れているからだ。
寓話は、塁壁の建設にまつわる「問い」をめぐって進行する。建設は、北狄の侵入に備えるという、いかにもそれらしい理由のために進められた。しかし、その奇妙な工事方法の謎とともに、建設を指示した指導部のもくろみ、すなわち築城工事のほんとうの目的・真相について、決定的なことは何もわからない。また、寓話のなかで語られるもうひとつの寓話、けっして「きみ」のもと(村)へ辿りつくことのできない「皇帝からの使者」についても、あのカフカ特有の不可視性・徒労感を指摘することができるだろう。すべては「~らしい」という伝聞的推測の域をでないのである。じじつ、寓話を物語る一人称の報告者じしんが、伝聞の仮定法に大幅に依拠している。
ところが、ここがキモなのだが、報告者は、つぎのような結論にいたる。塁壁建設の真相は不明のまま、皇帝の使者は到着しないままのほうが、どうやら都合がいい「らしい」、と。なぜか。それは、報告者によれば、彼の住む世界では、民衆をひとつにするのは現在時における具体的権力でも法律でもなく、いつからともなく伝わる戒めであり、指示であり、伝説であるからだ。そこでは、長城建設もまた、そうした伝説のひとつとして回収され機能することで、ポジティヴな循環に加わってゆく(世界がそれなりにまわってゆく)ことになる。つまり、皇帝(君主制)や指導部が民衆を直接コントロールするのでもなければ、それらの存在がまるっきり無意味なのでもなく、「それらはどこかにたしかに存在しているらしい」という想像力、いわば伝承的想像力こそが、中国全土に無数に散らばる共同体のあいだを満たし、維持している。
権力の中枢(=北京の皇帝)と「きみ」とのあいだには、途方もなく、どうしようもない空間がひらけている。使者はこちらにむかっているらしい。が、その根拠はないし、使者がたしかに「きみ」の村に「届く」という根拠もまたない。出発したのだとしても、あやまってどこか「彼女」のもとに「誤配」されるかもしれない。伝承の起源をつきとめるのはほとんど不可能であり、そこにもまたおなじように、途方もなくどうしようもない時間がひらけている。
にも係わらず、この不可視性・徒労感の時空においてこそ、伝承的想像力はじゅうぜんに生きられる。歴史に逃げないこと(起源をたどれるなどと信じないこと)。はるか遠方よりきたる皇帝からの使者を、今か今かとまともに期待しないこと。それが、報告者のいう「私たちはいとも簡単に現在を消去する」ということばの意味だろう。「現在」を消去することなくして、伝承的想像力=神話作用はありえない。
これは危険なことだろうか? しかしたとえば、政治的にテロスとして想定された調和のために現在を消去されてしまう世界においてはどうか。コミュニズムは「最終勝利」のために「現在」を消去せよという。むろん、それはけっきょくのところ建て前でしかない。なぜなら、論理的には、「最終勝利」を信じるのならばそのつどそのつどの「現在」にしがみつかないわけにはゆかないはずだからである。じっさい、「最終勝利」のためにこそ、党指導部という中枢権力は組織されたのである。
いとも簡単に神話空間を批判する者たちは、北京の皇帝や党指導部のような中枢権力のイメージを依然として信仰している。だからこそ、彼らは神話空間の住人にたいしてこういう、きみたちほど統治されやすい大衆形態はない、と。だがとうぜんながら、そうした可視的で単一な権力などどこにもありはしない。
したがって、神話空間を生きることがそのまま危険を意味することにはならない。ただ、カフカの想定する世界が、ある種のきわどさを秘めていることはたしかである。しかし、毒にも薬にもならないような文学なんて、要らない。そういうあたりさわりのないものにこそ、危険はある。
(この記事は前回ふれた「セカイ系とレキシ系」を意識して書きました。) March 14 Kanon, Air そして Clannad日本ではそろそろアニメ版Clannadが最終回をむかえる。とりわけここ数年、家族を主題化する小説が目立つドイツでは、KanonよりAirより、たぶんClannadがもっとも好まれるのではないか。
なお、AirとClannadは、GoogleおよびVeoh TVに、ドイツ語字幕つきのものがアップされている。Kanonに関してはドイツ語ヴァージョンはいまのところ確認できない。もっとも、ドイツ人は英語ヴァージョンで視聴している。
(ということは、日本のドイツ語教師は、すくなくともドイツ語版Clannadより魅力的な授業をしなければならないことになる。さもないと、僕だったら確実に、ドイツ語ヴァージョンで自習する。くりかえしくりかえし観て、マスターする。Clannadは反復にじゅうぶんたえうる「テクスト」なのだから。)
KanonからAirをへてClannadへ。製作者であるKeyは、「ボクとキミ」の世界から、「ボク、家族、キミ」の世界へと、オリエンテーションを変化させてきた。しかしながら、ドイツの小説にくらべれば、「ボク、家族、キミ」の世界は最小のもの、いわば「村」でしかない。この「村」は、歴史とは何の関係ももとうとしない。つまり、ドイツの多くの小説(それは非常に社会的、ポリス的である)がすすんでそうするのとはちがって、Keyはけっして家族の歴史・世代をさかのぼろうとしない。それは「都会人」からすれば、幼稚にみえる。社会的に無責任にみえる。
しかしなによりそのことに、僕はひじょうな倫理性を感じる。なぜなら、Clannadという文学は、文学でしかできないことをやっているからだ。僕は「セカイ系とレキシ系」というテーマで、いつかこのことを論じるつもりでいる。 あれこれ3点ほど。
ヴォルフガング・ティルマンス(1968-)のアートをいま壁紙に使用しているのだが、調べてみると彼、レムシャイトの生まれということで、ここエルバーフェルトからすごく近い。ベルク地方では、ヴッパータール、ゾーリンゲンについで三番目に大きな町。
トレンドマイクロ社(ウイルスバスターの会社です、台湾系です)から、緊急のメールがきた。会社のページに外部からの侵入をうけ、そこからウイルスバスター会員にウイルスがまき散らされたとのこと。あきれはてて、笑うしかない。ウイルスを流しているのはウイルス対策ソフトをつくってる会社だ、という笑い話は、やっぱり真実だった。小林秀雄は講演のなかでいっている、病気をひろめているのはじつは医者なんだと。
ドイツの大学生の多くは StudiVZ というものに登録している。これはようするに、学生用のミクシーみたいなもの。機能その外でミクシーに圧倒的に劣るが、ドイツ人はよろこんで使っているし、浸透度も高い。僕も登録しているが、日本に興味のあるひとから連絡がきたりする。きょうは翻訳アルバイトの依頼がきた。内容は、日本の年金制度について。日本語からドイツ語へ。どうしよう。考え中。
March 12 クロノクロスがドイツで発売されなかった理由いまさらながらにクロノクロスの「回想―消せない想い」に感動しているところなのですが、ドイツでは、クロノクロスはけっきょく発売されていない。英語ヴァージョンはアメリカで高い評価をうけたらしいが、なぜドイツ語ヴァージョンは発売に至らなかったのだろうか? ウィキペディアはおよそ以下のように分析している(なお、項目にもよるけれど、日本のにくらべると、概してドイツのウィキペディアの信頼性は高く、このあたりにも公共的言説の水準のちがいが反映している)。 クロノクロスにかぎられた話ではないけれども、キャラクターたちはそれぞれが独自の言語をもっている。これを殺がれると、作品内世界も平板化し、ゲームの価値は半減してしまうだろう。このダイアレクトの処理に関して、英語版ではダイアレクト・ジェネレーターをプログラム化することで対応した。これが可能だったのは、比較的シンプルな英語の文法による。これに対してドイツ語の場合、ダイアレクトはじつに様々な文法を有しているため、変換のためのプログラム化がむつかしく、これを作成しようとすれば相当のコストがかかってしまう。採算があわない、ということで導入は見送られたらしい。 ところで、こういうときのために、プログラミングに明るい日本のドイツ言語学者にできることはないのだろうか。もしも、ゲーム製作会社と言語学者が組んだうえで、さらに文科省がいいかげん目を覚ませば、世界はもっともっと、おもしろくなるはずなのに。ドイツに輸出できない「回想」を聴きながら、そうおもう。 March 11 SMS-Gedicht前回、ケータイ小説を話題にした。ドイツには現時点でそういったジャンルは存在せず、まわりのドイツ人にケータイ小説のことを話したら、驚いていた(もっとも、たとえばARDが2007年5月の時点ですでに、日本におけるケータイ小説の人気を紹介している。恋空はLiebeshimmel)。ただ、逆にドイツにあって日本にないもの、それがSMS-Gedicht(SMSポエム)で、このあたりをすこし確認するだけでも、同じケータイでありながらそれが生みだす環境はやはり同一ではないということの具体例に接することができるだろう、もちろん、ケータイの機能のちがいの問題は残るにしても。 すこし旧いが、「SMSコミュニケーション―日独比較」という2003年の論文によれば(Schlobinski, Peter/Watanabe, Manabu: SMS-Kommunikation - Deutsch/Japanisch kontrastiv. Eine explorative Studie)、ドイツでのSMSの使用目的 第1位は「遊びの計画・アポイントメントのとりきめ」で21.4パーセント。第4位が「ポエムあるいはチェーン・メッセージ」で8.2パーセント、ということになっている。 論文によると、ドイツではSMSが他のコミュニケーション(手紙を書くこと、Eメールのやりとり、通話)に与える影響は比較的すくないようだ。つまり、これらコミュニケーション・ツールへのアクセス度は均衡している。これに対して、日本ではケータイへの依存度が圧倒的につよく、ほぼ一極集中している(そしてこの傾向は若年層にいたればいたるほどつよくなる)。たとえば、ドイツ人の68%が「SMSがあるからといってそれが通話に影響することはない」と答えているのに対し、日本だとこれが47%ということで、ようするに、日本人はなるべくなんでもかでもケータイ・メールで済ませようとする傾向がつよい、という結果がでている。 ところで、肝心なのは「なぜそうなるのか?」であるはずだ。上記論文で引用されるFujiwaraなる研究者は、日本には文書をワープロで書く伝統がなかったからだ、としている。ゆえに「親指入力文化」が定着し、またそれが日本の伝統になってゆくであろう、と。このような説明が無批判に引用されているのである。 前振りが長くなってしまったけれども、数値=客観性の等式をナイーヴに信仰するような、こういう類の文章が文化研究、コミュニケーション研究を自称し、また事実そのようなものとして公的に認知される。なにかを説明しているようでいて、じつはなにもえぐりだしてはいない。問題はむしろ、このような野放しにある。 160文字以内というフォルムにのせて配送されるSMSポエムは、ケータイ小説とはちがって、特定の作家から読者に降りてくるものではない。家族、友人、そして恋人が作者である。SMSポエムは、作家―読者という配信システムとはべつのところで生きられる。それはつまり民俗的なジャンルであり、作家―読者という体系とはべつの選択肢がこうして存在し、またじっさい機能しているということが、ヨーロッパの(良くも悪くも)堅固な文学環境を形成しているのである。 日本だと、ケータイ・メールで抒情詩のやりとりをするというのは、ちょっと勇気を要する。羞恥心が先行するだろう。それはおそらく、「愛している」ということばを日本人が口にするときの羞恥心と無関係ではない。明治の翻訳者は、I love youをどう日本語に訳すべきかで、途方にくれた。「愛している」は、日本人にとって、ほとんど発明である。ほんとうの文化研究とはしかし、たとえばこのような羞恥心の正体に迫ることではないのか。 March 09 恋空世間ではケータイ小説・恋空論がたいへんにさかんなので(濱野智史や福嶋亮大)、恋空、PCでだけど、読んでみました! あんがい長かった・・・。
いやあ、リアルだなあ。というのが率直な感想。正確にいえば、女子高生にとってはすごくリアルなんだろうな、ということになります。セグメントだけで成立しているこの小説は、彼ら・彼女たちのセグメンタルなリアリティを忠実に参照・引用している。なるほどツッコミどころは多々ある。けれども、そもそもケータイというメディアこそがそういったセグメンタルな環境づくりに寄与し、そのなかで彼ら・彼女たちは生きてきたのだから、この小説を「陳腐なロマンスだ!」と批判すること、それこそが陳腐だということになる。「エンマ・ボヴァリーをくりかえすな」的な説教は通用しない。恋空という小説は、ケータイと恋愛との「絡み」を、まさにケータイというメディアにおいてプロジェクトしているわけで、恋愛小説を単純にケータイにのせたものでは絶対にありえない。僕は2007年まで一度もケータイをもたなかった化石人間で、ということは約10年にわたってすこしだけ外野の位置にたっていたこともあって、そのことを痛感する。まわりの友人はみな、ケータイの「なかで」青春してましたから(笑)。
恋空に批評的なアプローチをとるケータイ小説も、これからきっと出てくる。恋空の功績はそれを準備したことにあるはずだし、なにより、ケータイがいかに(恋愛)小説という装置と相性がよいか、シンクロ率が高いかを証明したことは、重要だとおもう。とりあえずは、連載中の島田雅彦のケータイ小説「徒然王子」に、とってもとっても期待している。この一事をとっても、島田雅彦がいかに倫理的な作家かがしれるようにおもいます。 映画 コルベルクニコニコ動画になんと、映画コルベルクがUPされている。いやいや、すごい時代です、ドイツ人だってなかなか観れるものじゃないのに・・・。いや、ドイツだからこそ、というべきなんだろうな。ドイツ国内では未商品化、ただアメリカではDVDがネット販売されたことがあるらしい。
映画は1945年1月30日、ナチスの権力掌握から12年目という節目の日に公開された。戦意高揚のためのプロパガンダ映画、という建前になっている。UFAのカラーフィルム(当時としては異例)で、パウル・ハイゼ(ドイツ最初のノーベル文学賞受賞者)の戯曲と、ヨアヒム・ネッテルベック(かのグナイゼナウと組んで、コルベルクの町をナポレオン軍から守るのに貢献した人物)の自伝をもとに制作されている。なお、ハイゼがユダヤ系であることは見逃せない。
1943年に制作開始、Goサインをだしたのは、宣伝相Dr. ヨゼフ・ゲッベルス。
製作費は880万ライヒスマルクで、ナチス期のものとしては最高額の映画である。5000の国防軍兵士がエキストラとして(!)動員された。これは、悪化の一途をたどる戦況をまえにしては、経済的にも国防的にも、破壊的な支出を意味したとされている。たとえば、夏期に雪のシーンを撮影するため、塩を積載した100台もの鉄道車両を現場に運び込ませたという。
政治の美学化。ゲッベルスの「暴挙」は、どこかルートヴィヒⅡ世のそれに似ている。ルートヴィヒにとってのワーグナー(楽劇・祝祭劇)は、ゲッベルスにとって映画というメディアだったといえる。
したがって、映画は戦意高揚にはつながらなかった(=現実には何の役にも立たなかった)。ベルリンはすでに激しい空爆のもとにある。封切からベルリンの闘いまで、わずか二ヶ月あまりだった(封切前、1月20日の時点ですでに、ソ連軍は東プロイセンに攻め入っている)。参考までに、おおまかなストーリーを以下にしめしておこう。
映画は、枠物語のかたちをとっている。外枠として、映画の冒頭と末尾にしめされるのは、1813年、グナイゼナウによる、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルムⅢ世への説得。グナイゼナウは、1807年のコルベルクでの防衛成功=局地的勝利を王に語ることで、ドイツ民族を結集しナポレオン軍と闘いぬくことを要請。内枠において描かれるのは、破竹のナポレオン軍に包囲されたコルベルク要塞。コルベルクの住民が降伏にあらがったため、フランス軍は要塞を砲撃するが、住民は不屈に闘いぬいて勝利をおさめる。
ナポレオン軍が連合軍包囲網に重ねあわされていることはいうまでもないが、ナチスドイツが「コルベルク」を実現することはなかった。そしてその原因の一端はこの映画そのものにあるのだが、ゲッベルスはおそらく、それを後悔してはいない。 March 08 FAUST 1973ドイツのロックバンド、ファウストが1973年、英国ヴァージンから発売したFAUST IVから、Jenniferを聴く。なんというインテリジェントな音楽。それにしても、1973年とはどんな年だったのか? ということで村上春樹のピンボール小説を読み返すよりなにより、ウィキペディアで1973年を検索。
3. April: Weltweit erstes Telefongespräch über ein Mobiltelefon durch Martin Cooper
4. April: Eröffnung des World Trade Centers
ワールドトレードセンターと携帯電話の誕生は同時だったか… 9.11のとき僕はまだケータイを持たず、ニュースはアウグスブルクのホテルのテレビで知ったのだった。
March 07 小倉日記を読みはじめる鴎外の独逸日記は、もともと漢文で書かれた。いま私たちが読むことのできる独逸日記は、小倉時代に書き換えられたものである。でもたぶんそれは、漢文を文語体にストレートに置き換えたものではない。そこでは、鴎外じしんによる操作、ある種の濾過作業が多少ともおこなわれたはずである。ドイツと小倉には約10年のひらきがある。みずからと、そして近代日本の青春を謳歌する、そのライヴ感を活写したはずの漢文が、流離の地、小倉の鴎外によっていったん、冷まされたということは、じゅうぶん想像できる。
にもかかわらず、小倉日記とくらべてみるとき、濾過後の独逸日記の、なんという充溢ぶりだろう。独逸日記はほとんど、小説として読むことができる。事実、たとえば大自然に遊ぶとき、情景を内面に呼応させる書きかたは、ドイツ・ロマン主義のそれと見分けがつかない。「フアイツヒヨツホハイムにて一苑に入る。酒亭ありて憩ふべし。帰舟日落つ。舷に倚りて瞻望すれば、飛沫面を撲つ。快絶」。
これに対して、小倉日記でまず目につくのは、天気模様が、おそらくは「意味」もなく書き入れられてあるということだ(つまり、天候は内面を映しだすスクリーンにはけっしてならない)。これに温度のない箇条書きの報告がつづく、というスタイルで一貫している。独逸日記が油絵だったとすれば、こちらは水墨画で、そうしてみると、あるいは鴎外は独逸日記を書き換えによって漂白したのではなく、むしろやや色を加えていったのかもしれないという反対の想像もうかぶ。「意味」もなく天候が記されるためには、小説が意識されていなければならない。小倉の鴎外であるためには、彼は、ドイツの鴎外という主人公、その内面に反発しなければならないからである。
これは、歴史小説を書くときの態度と一致している・・・このあたりのことについて、これから考えてゆきたい。 March 05 本日、開店自分のモチヴェーションを維持するために、おくればせながら(やはり賞味期限は過ぎているのだな)ブログを始めることにした。どこかの社会学者が、ブログをつけることは自分をうまく管理してゆくツールになると書いていたけど、なんとなくそんな気もする。それにしても、半年前まではケータイももたない人間だったのに、この変わりようといったら・・・たぶん来年のいまごろは、ポケベルを使いこなせるようになっているだろう。わりと、環境適応能力はあるのです。
そういえば、先週、シェッフェルさんの50歳を祝うびっくり誕生パーティのとき、(たぶん)プロの女性歌手が呼ばれていて、ソングを2,3曲うたった。クルト・ヴァイルの!僕はクルト・ヴァイルのソングがとても好きなのですが、こうしてカフェで実際に歌われるのを聴いたのははじめてであり、ちょっと感動した。ああ、20年代そして30年代前半、ベルリンのキャバレーや大衆酒屋では、きっとこういう雰囲気のもとにクルト・ヴァイルのソングはうたわれたんだろうな、と。歌手と客のあいだはとても近い。同じ目線、聴き手の反応をみながら歌手はうたうのです。「ビルバオ・ソング」をうたった彼女はたぶん、確証はないけど、ユダヤ人だった。 |
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