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November 10 ドミノ倒しベルリンである。それはそうと、日本のマスコミには、「いぜん残る東西ドイツの格差!」 みたいなフィクションを流しまくるのはやめていただきたい・・・。紹介されるアンケート調査の数字も、ぜんぶデタラメじゃないか・・・。
zwar ...aber... の思考回路というのだろうか。「なるほどたしかに祝賀ムードだ。しかし東西格差は残っている・・・」みたいなストーリーが出来上がっている。ストーリーが出来上がったところから取材をはじめるのである。 September 13 一昨日はブンデスリーガゲートをくぐって、観客席へ。選手たちがウォーミングアップしています。対戦相手は少し格上のFCアウクスブルク。
試合前の取材陣。インタビュー受けてる人がちょっとリベリーに似ていた。この様子はラウンジのTVにも映し出されます。
試合開始! 今日は20000人くらい入ってました。ピッチと観客席がとても近いのが臨場感あってすばらしいです。
前に座っていた人の背中をパシャリ。この人もずっと "vorne spielen!!" と叫んでいました。やっぱり戦闘民族ですね(笑)。
試合終了。格上相手に1-1の引き分けは、まあまあの結果。このあとビールを飲もうとアルトシュタット、Zum Uerigeあたりに戻ったら、やっぱりサポーターの人だかりですごいことになっていました。それに金曜だったしね! ここの樽ビールは破壊的においしすぎる~。以上、ブンデスリーガな風景でした。
September 12 昨日はブンデスリーガデュッセルドルフ中央駅から78番の地下鉄にのって、終点で下車するとスタジアム。サッカーのある日は、中央駅からしてすでに警官はじめセキュリティが目立つ。
LTUアリーナからEspritアリーナに名称が変更になったスタジアム。ライン河からほど近く、スタジアム周辺にはあらゆる運動施設、競技場があって、整備が行き届いている。
スタジアムに入って、まるでホテルのようなチェックイン・カウンターで、このような腕輪をしてもらう。すると・・・
ラウンジに入室がみとめられて、飲食ができる。試合開始までゆっくりテレビをみたりして時間をつぶせるようになっている。パスの腕輪さえもっていれば、試合中も試合後も入室可能。ここからは扉を二つくぐればすぐに芝生がみえる。
ビュッフェになっているので、ここではアルトビール飲み放題、 食べ放題。夕食をすませて、さてそろそろ試合開始のようです。つづく。
August 20 メット↑ 豚の生肉。これを、メットという。牛肉じゃなくて豚の?! だいじょうぶ、お腹はこわさないよ~。ドイツの名物なのら。 きょうはとても暑い日で、30度くらいまで上がったとおもう。あちー。やってらんない。こんな日が年に3回くらいはある。 ↑ デュッセルドルフの夕焼け。9時くらいだったか。なんか秒速5センチメートルの色だこれは。とおもって撮ったよ。
ヴッパータールにないからデュッセルドルフまで買いにきたのに、やっぱりドラクエ5が置いてない。プンプンしていたのを、シューマッハーのビールを飲んでいたら怒りも忘れた。二軒目の店で、知りあいの駐在員の方にばったり。そこで勉強させていただく。ドイツは産官学がひじょうにうまくまわっている。また、中小企業が比較にならないくらいつよい。なんでこんなに「働かない国」なのに、国際競争力はトップレベルなのか。「働く国」日本が国際競争力がないのはなぜか。そういう話を、抽象論ではなくとても具体的に聴かせてもらう。
僕はずっと、ドイツは階級社会なので、国がうまく回っているのはトップの層の人間が優秀だからだと思っていた(優秀というか、責任を明確にもっているということ)。でも話をきいて、それだけじゃないということが少しわかった。中間層がおそろしく分厚く、安定性をもっている。そしてそれは、けっきょくのところ、ドイツのマイスター制をぬきにしてはありえない。歴史・伝統を生かしながら強国であることを確保する、ドイツのそのバランス感覚はすばらしい。 August 03 なぜ通報したし >ドイツ東南部のBavariaで、湖でペンギン2羽と楽しそうに
>泳いでいた男(58)が、通行人により警察に通報された。 >男は、過去にも何度もペンギンを連れて外で泳いでいたところを >咎められた事があると警察に説明した。 >また、男は「ペンギンと外で泳いでも良い」という、 >ちゃんとした必要書類を所持しており、今回、お咎めは無かった。 「ペンギンと外で泳いでも良い」必要書類っていったい・・・
August 01 げそきのうはグリルパーティ―。向かう途中、路面電車がとまって動かない。なんだろうと思ったら車内放送があり、ひとつ前の電車内でひとが倒れて救命活動がおこなわれているから、この電車も前に動けない、しばし待たれよとのことだった。30分くらい待っても進まないので運転士にきいたら、いつになるか分からないので降りたほうがいいという。それで降りて前の電車の方をみると、救命士とともに警官がいくにんか見え、ブルーシートみたいなので患者を囲っていた。ということはたぶん、助からなかったのだろう。
天気はきょうも抜群。会場は閑静な住宅街。ひかる庭の芝生がきれい。ブランコやジャングルジムでは子供たちが日本語やらドイツ語やらできゃっきゃと遊んでいる。庭を接する隣人のみなさんもみな外にでて涼んだり庭作業したり、おだやかだ。これぞドイツの夏だ、という感じがする。地ビールに、たっぷりの肉をたべる。そこであの助からなかったひとのことを思い出す。あの人はサイレンのない救急車で病院に運ばれて、電車の運転士は仕事を再開して町を走り、僕はバーベキューをしている。そんなことを思いながら、僕は肉をおかわりした。食べなければと思った。
「げそもあるよ!」という主人に、「おーっ!」と歓声があがる。しょうゆに何度もよく浸して、じりじりとそれは焼かれた。みんなうまいうまいと言って食べる。イカなんてどれくらいぶりだろう。煙によだれが出てあつっあつと言いながらかじると、日本人でよかったとおもうくらいおいしかった。
July 28 ルール川July 01 ドレスデンの世界遺産ドレスデンの「エルベ渓谷」が、世界遺産から登録抹消されてしまいました。理由は、建設中の橋が景観を損ねたため。
最初の写真で赤ペンで書き入れられているところが建設予定地です。この写真はその現場をクローズアップしたもの。
ユネスコは6月25日に登録抹消を決定しました。以前から警告はしていたようです。むつかしい問題です。橋があってもなくても美しいところだと思うのですが・・・。世界遺産ということに頼らずにやってゆくことも大事かもしれません。たとえば、バイエルン州には世界遺産が少ない(←絶対数が、ではありません)。登録されてもおかしくはない遺産がたくさんあるにも係わらずです。聞いた話では、これはバイエルン州が経済的に強いことと観光客が多いためで、「世界遺産なんぞに頼って客寄せしなくてもバイエルン人はやっていけるんだ!」ということのあらわれなのだそうです。バイエルンは保守的といわれますがそれはプライドがあるということなのでしょう。
ちなみに! 僕はドイツの世界遺産はかなりの数を訪れていると自負しているのですが(えっへん)、いちばんよかったのは<シュトラールズント及びヴィスマールの歴史地区>です。勝手にベスト3!
1、シュトラールズント及びヴィスマールの歴史地区 (シュトラールズント最高!)
2、ハンザ同盟都市リューベック (ブッデンブローク!)
3、ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー (ブロッケン山の魔女!) June 24 偽リヒター再びJune 17 教育ストライキ2009(ドイツ) 大学を主体としたデモ行進やバリケードで、60以上の都市の高校生や大学生が5日
間の教育ストライキを開始した。抗議運動は、とくに大学の授業料や学士・修士課程
の入れ替え、8年間のギムナジウムにおける上級学年の短縮に反対している。ピーク
は水曜日に80都市で行われるデモ行進で、主催者は15万人の参加を見込んでいる。
今日のドイツ・ニュース より
というわけで、ここヴッパータール大学もストライキに入りました。なかなか賑やかです。今週は授業はありません。というか、封鎖されて教室に入れてもらえません。なのでビールを飲むしかありません。じっさい飲んできました。飲みます。飲むでしょう。
動画は、おとといの集会のようすで、きょうは町でデモが行われた模様。「学生諸君は14時に、市庁舎前に集合せよ!」との文字が、大学中にあふれていました。
でも、動画を見てもらえればと思いますが、いちばん思ったというか、あらためて感じたのはあれだな。ドイツ語ってのはほんとに演説向き(プロパガンダ向き)の言語だってことだな。たとえ内容が空疎でもかっこいい。 "Wer seine Meinung kundtut, kann etwas gewinnen, nämlich die Freiheit bei der Bildung!!" June 01 聖霊降臨祭の休日、二日目きょうも正午から野球の練習。おそろいの真っ白のユニフォームでクリケットに興じるインド人たちを横目にノック練習、トスバッティング、フリーバッティング。もっとボールを前でさばくようにせよ、とか、まだまだスイングのスピードが遅いとか、いろいろ忠告をいただく。自分がうちやすいように打つことが結果をうみだすとはかぎらない。これは野球を通して学んだことのひとつである。書きたいように書いた文章がよい文章だとはいえないということだ。バッティングでいろいろダメなところを指摘してもらって、自分が「これでよい」と考えていたことが、あっさりとくつがえされる。ということは、自分の研究でも、「これでよいはずだ」と考えていることが大いに疑わしい可能性がある、ということだ。どんなにフォームがきれいでも、セカンドゴロばかりでは仕方がないし、なにより「勝てない」。これは、読むこと、書くことについてもそのままあてはまる。焦るじゃねーかこのヤロー。
練習後はシューマッハーでビールなどを調達しつつ、車でホーフガルテンへ向かう(写真)。きょうはこれから野球のみんなとピクニックなのでござる。それぞれが飲み物、手作り弁当などをもちよって・・・
ここで敷物をしいて夕方まで飲みつつ食べつつ、ゆっくりした(写真)。いちばんいい季節の、おだやかな一日。町の人々もねっころがって気持ちよさそうであった。ナイーヴを承知でいうと、こういうのがヨーロッパのしあわせのかたちである。さあ、明日からまたがんばろう。 聖霊降臨祭の休日
写真は、本日もパーフェクトに快晴だったデュッセルドルフ・ノルトパーク。湿度がひくいからきもちいい。というわけで、絶好の野球日和である。
20分ノック、40分バッティング練習のあと練習試合開始。1番サードで出場。守備では貢献できたが、4打数1安打というあるまじき成績。せっかく監督に1番で起用してもらったのに、あいかわらず打てないオレ。才能がないのか。目が悪くなったのか。自己嫌悪はつづく。鍛えてもらうしかない。野球経験者のYさん、夏にきたときには特訓をよろしくおねがいします。いやまじで。試合の方は11対1で勝利(格下の相手だったので)。
練習後はフランケンハイムへ。とくに一杯目のアルトビール。もうこのままビールといっしょに心中してもいいですよってくらいおいしかった。からだに沁みた。ここは特製のサラダもおいしいのである。スペアリブだってすばらしい。イエーガー・シュニッツェルも注文して食べつくす。二次会はヴァンプスという店。ジントニックなど飲んでいたらまたお腹がすいてきたので、なにわへ行く。日本食の店である。マックスが塩ラーメンがおすすめだというのでそれを注文する。たしかに、うまかった。
家にかえると12時だったが原稿のチェックをしてはくれぬかという添付メールが届いていたため、頭をきりかえて集中してそれにあたる。ばばっとやって送り返して、就寝したのは3時。ぐっすりだ。 May 18 EUから出ていけMay 10 美しくなければ。なにも今回の新型インフルエンザにかぎらず、「どうして日本人はマスクをするのか?」と、いったいこれまで何度ドイツ人に訊かれたことだろう。これはべつに、本当に「何故か」を知りたがっているわけではなくて、マスクをしなければ病気になっちゃうくらい空気の悪いところで暮らしている人種をあわれむと同時に、見た目のわるさ、醜さを、蔑んでいると考えたほうがよい。
たしかに、あの光景は不気味かつ異様である。末期的な感じがする。日本人の僕でもそう思うのだから、通勤ラッシュをマスクしてゆく人々の群れは、日本のイメージを確実に悪くしている。観光に力を入れるというとき、そういうところまで含めて考えないと東京=北京という構図は世界の中では固まったままである。それでもいいですか。ほんとうに? そうですか。
「なんで日本人はマスクをするのか?」と訊かれたら、僕はいちおう、あれは空気が悪いというより花粉症のためなんだと弁護したあとで、「それにしてもやっぱり理解できないけどね」とバッサリ言い放ち、ドイツ人と一緒になって「キモ~イっ!」と声を合わせることにしている(笑)。じっさい僕は日本にいたとき、まわりに風邪がはやろうが目がショボショボしようがSARSの脅威がささやかれようが、マスクなんてしたことは一度もない。
しようと思ったこともない。かっこ悪いからである。マスクをして外観を損なってまで病気を予防したくはない。「予防してます、健康でいたいんです」的な必死な感じが笑える。まわりにうつすのが本気で嫌なら自発的におのれを隔離すべし。ハウルじゃないけど、美しくなければ生きている意味なんてないのである。だから、もしも隣の人が新型インフルエンザに斃れても僕はマスクなんてしない。ぜったいに。
・・・たぶん。 April 08 ビールはドイツが素晴らしい。日も長くなり、ぽかぽかと、あたたかいのです~。 というわけで、やっぱりデュッセルドルフに移動して・・・
ま・・・また、飲んでもうた・・・(ボブ・サップの口調で)。 昼間っから、定番のシューマッハーで、アルトビールを。
じゃがいもと、肉と、ザウアークラウト。richtig deutsch (ほんまにドイツ) な料理を注文するべし!! まじうめー。
店内のようす。昼間から飲んでも罪悪感を感じずにすむドイツ。というわけで、どんどんグラスが空いてしまう。
一方、ライン河ちかくの店ツム・ユーリゲも定番のビアホール。外で立ち飲みするのが人気。というわけで、はしごして・・・
ま・・・また、飲んでもうた・・・。いったい全部で何リットル飲んだのかよくおぼえてません。奥のおじいちゃんたちが、お互いの健康を祝して、「ハイル、ハイル、ハイル!」と声を合わせて机をたたいてとっても陽気だったのが、みていて楽しかったのです。ドイツよ、永遠なれ! March 12 マールバッハ滞在記(マールバッハのマルクト付近では、シラー生誕250年を告げるフラッグがいくつもはためいていた)
3月9日
サービスはそのまま、運賃は上がるいっぽうのドイツ鉄道、のICEでシュトゥットガルトへ。Sバーンに乗り換えてマールバッハまでは30分。ネッカー川を見下ろしながらまずはホテルへ。チェックインをすませ荷物をおいたあと、パンをかじりながら文学資料館へむかう。街中のホテルから歩いて10分。
資料館に研究滞在中の先生(『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』の著者)にお会いする。資料館を案内していただいて、夕方までいろいろ調べ物をする。ここは文学の資料という点ではドイツ有数の地。研究者にとってはウハウハ。シュニッツラーの資料も未公開のものふくめ膨大にアリ。夜は先生とビール、食事等。先生からたっぷりお話をうかがうことができ、貴重な時間であったと同時に、真の研究者の凄さに自分の未熟さを痛感するばかり。
3月10日
隣接の文学博物館で生誕250年のシラー展をみたりする。マールバッハは僕は二度目だが初めてきたときはこの建物はまだなかったと記憶する。シラーの生家は行ったことがあるので今回はパス。昼前から夕方までは資料館で調べまくる。コピーをとる。閲覧を申請してあったシュニッツラーの手稿も無事に手にとれたので閲覧室でチェックしてゆく。とにかくここでしか見れない・読めないものをスピーディにインプットしてゆく。思ったよりはかどって、当初の予定よりもずいぶん余計に資料にあたれたので、収穫はおおきかった。夜はGlockeという店で地元料理などをいただく。先生とはここでお別れ。
※資料館については利用法など書いておくと、これから訪れようという人の役にたつかもしれないので、また別枠でエントリーします。
3月11日
平日の朝なのでホテルの朝食ルームには他に誰もいず、ゆっくり食べていたら係りの人が果物を切ってその場でジュースを搾ってくれた。ためだけに手で搾ってくれたそれはとても美味しかった。マールバッハからSバーンでシュトゥットガルトへ向かう途中、ルートヴィヒスブルクという町で下車。大きなレジデンスがあるということで先生にすすめられて見に行ってみた。日本のガイドブックにはのっていないけど見るべき町はとうぜん、このように無数にある。
さてテュービンゲンへ到着。じつは、不覚にも、初めてである。とにかく美しい町だった。品のある町でこういうところで学生生活を送れる人はうらやましい。見かけはしなかったが、日本人留学生も多いのだろう。町をずっと見てまわり、この日マンハイムから資料収集でテュービンゲン大学に来ていた友人と合流する。一緒に昼食。しっかり食べた挙句、イタリアンだったのでデザートにティラミスとカプチーノまで頼んだら、お店の人が喜んでくれた。こんなに食べるアジア人は珍しいのだろう。そしてお約束のヘルダーリンの塔など見てマンハイムへ。
マンハイムまでは3時間。着いてタイ料理屋で夕食。なぜか大江健三郎についてえんえん話す。どうしてそういう話になったのかよく覚えてないのはたぶん、酒のせいではない。そのまま友人宅に泊めてもらう。
3月12日
マンハイムは2回目。路面電車でハイデルベルクへ向かう。こちらはもう4回目。しかし何度きてもロマンティックな町であることは否定できない。ユゴーの『ライン河幻想紀行』のなかのハイデルベルクの記述を思い出しながら、そうして帰途につく。夕方、ヴッパータール着。
February 04 マインツの児玉源太郎
<源太郎はその夜はホテルで旅の疲れをいやし、翌朝迎えにきた南部大尉につれられて連隊に行く。マインツは、ローマ時代に建設されたドイツで最も古い都市で、印刷技術の発明者グーテンベルクの生地としても知られている。 壮大な司教区教会など古色を帯びた建物の塔がうっすらと雪をかぶり、その影を映すライン河畔の美しい風景に思わず目を見張ったが、市街が兵士であふれているのにもおどろいた。 「演習でもあるのかね」 と、源太郎は南部大尉に尋ねた。 「いや、いつもこんな状態です」 鉄血宰相ビスマルクの登場、英傑モルトケの活躍によって力をつけたプロイセン陸軍が、普仏戦争でフランスを打ち負かしたのは、二十年前のことだった。今や統一をなしとげた新生ドイツ帝国は、ヨーロッパを睥睨している。軍備も増強中だから、要塞の町マインツは、軍都の様相を呈しているのだと、南部が歩きながら説明した。 連隊に行くと、メッケルの指示が出ていたらしく、ただちに衛兵が整列し、鼓笛隊までそろえて日本の将軍を迎えるための儀礼をつくしてくれた。
「とにかく心ゆくまで見学してもらいたい。希望があればどこにでも案内してあげます」 はるばる訪ねてきた愛弟子を、下にもおかないといった歓待ぶりである。(中略) 要塞も見た。三千メートルの地下通路が掘られているのには驚嘆した。 「籠城するだけではなく、戦いのために移動しやすくしておくことが大事です。関門海峡に橋を架けることが必要だと私は言ったが、憶えていますか」 「そうでしたね」
と、源太郎は答えたが、かすかな記憶しかない。 九州での参謀旅行のあと、海峡のそばの下関の火の山に要塞を築くことになり、その設計を陸軍はメッケルに依頼した。源太郎が滞欧中の今、その工事はすすんでおり、翌年完成の予定だった。 山の中腹に壕舎を築き、縦横に抜け穴通路を掘ることにはしたが、対岸と連結するため、海峡に橋を渡すなどは不可能な話で、本気では聞けなかった。 「下関の火の山要塞は、海峡で孤立している。対岸に要塞を築いたとしても、自由に移動できないのでは機能半減だから、橋を架けろと言ったのだが、あなたたちは、まともに耳をかたむけてくれなかった」 と、メッケルは笑った。>
古川薫『天辺の椅子』より |
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