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    July 31

    カント入門

        
     
        学生ゾフィーが、にわかカント勉強の旅に出るようです。×10 この番組よくできてる!

    いるんげんヴぃるんげん

     
     >私はフォンターネという十九世紀のドイツのリアリスト作家の「迷路」という小説を読み終って、
     >さてとあたりを見まわしたが、お喋りがしたくなって。このフォンターネという作家は、訳者によ
     >ってリアリストと云われているが、リアリスムは、ドイツではこういう身分にさからったことをす
     >れば、結局不幸になる、という良識を、菊池寛のように恋愛その他の生活法にあてはめてゆ
     >く態度に限られていたのでしょうか。ドイツのリアリスムというものに興味を覚えます。ドイツの
     >文学史は知らないけれども。ゲーテ賞を(ノーベル賞なんかナチの文学者は受けるに及ばん。
     >ゲーテ賞をやる、ということで)貰ったカロッサにしろ、医者として或点大変リアリスティックで
     >すが、いざとなると、永井潜先生に近づき科学と宗教的なものとをまぜ合わせてしまっている。
     >フランスが文学に於て示したリアリスムの力づよい歴史的な功績と比べて面白い。
     
                                      
                                         宮本百合子 「獄中への手紙」 より
    July 30

    Bestandaufnahme

     
    年にいちど、ハウスマイスターが部屋の使用状況をチェックしにやってくることになっている。
     
    先日その知らせがきて、30日か31日にチェックするので、不在のあいだに勝手に部屋をみられたくない人は連絡してくださいとあった。それで返事を書いて、31日は不在なので30日つまりきょう来てくださいと頼んだのだった。・・・・・・って、朝からいくら待っても来ないしwww いいかげんすぐる(泪)。 きのうの大掃除3時間は・・・このたいへんなときに、いったい僕はなにをやっているんだろう。
     
    でもあしたはグリルパーティーだ。わーーい。(現実逃避)
     
    July 29

    ウルトラマン・エイト

     
    それでエンドレスエイトですが、批難されると分かってそうするこの決断は、やっぱりすごい。ある意味で、エヴァ的な「裏切り」だとおもいます。これで、何十年後とかにも確実に残る作品になったのではないでしょうか。ともあれ僕は長門しか見ていないのですが(笑)、とくに注目は彼女が夜店でえらぶお面。毎回ビミョウにちがってますけど、あれって基本、ウルトラマンですよね? だからもう、前の投稿からして、ウルトラマン=超人としか思えなくなってきましたwww
     
    ループとか、ループする、という概念が以前からはやりだけど、これはたとえば世紀末ウィーンにもありました。シュニッツラーの作品、とくに 『輪舞』 なんてまさにその典型です。エンドレスにループを出られない。さいきん僕は、おぼこ娘とかいうふうにかなり苦しく訳されてきた süßes Madl というのは、萌え要素をもった女の子と考えればけっこうすっきりするのではないかと考えはじめました。階級の問題は残りますが。アルテンベルクなんてオタクそのものです。バフチンは『フロイト主義』のなかで、インテリアな文化現象つまり世紀末ウィーンはオタク文化だというようなことを書いています。
     
     

    行人、走人

     
    来たる9月6日に、第22回デュッセルドルフ・ケー・レースという、とにかく走りまくるイベントがあり、一緒に出よう! と誘っていただきました。出たい! だがことわる! ちょうどその時期はドイツを留守にするのです。なにもなければぜひ出場したかったので、非常に残念。でもいつか出たい。
     
    ケー・レースの「ケー」というのは、有名なケーニヒ通りの愛称で、東京だと、なんでしょうか、表参道的な? 通りです(たぶん)。ブランド店がたちならぶちょっとハイソな雰囲気ですが、この大通りを長短いろんなコースで走りに走るということらしく、いろいろ話をきいてとても楽しそうでした。毎年たいへん盛り上がるのだそうで、日本人の参加者も多いのだそう。
     
    僕が誘ってもらったのは、5人×1,1kmのレースで、ミニ駅伝っぽいのであります。たぶん去年の上の図でいくと、一周が1,1kmということなのでしょうか。1,1キロといっても決して馬鹿にできないらしく、無酸素から有酸素運動に変わってからが地獄だそうで、しかも最後のコーナーを回ると見物客の視線と声援の前でカッコ悪くアゴを上げるわけにもいかず、大会本部からは実況のアナウンスも入るし、まあいろいろと試練の中距離になるようです。
     
    日本にいたら、「走るだって? まじかよ、いったい何の罰ゲームだよ!」となるはずが、こうしてドイツだと出てみたくなるのだから、不思議です。
    July 28

    ドイツ赤軍

      
     
    日本でも公開がはじまった映画、 『バーダー・マインホフ』 (2008)のトレーラーです。全国順次ロードショーとのこと。HPはここ、産経による紹介記事はここ。かのモーリッツ・ブライプトロイがバーダー役。ブルーノ・ガンツも出てます。
     
    有名な「Wir haben gelernt, dass Reden ohne Handeln unrecht ist.」のセリフが出てきます。このマルクス主義の矛盾をついたのがハイデガーでした

    ルール川

    きのうはエッセンへ。丘の上からルール川を見下ろす。社会で習うあのルール工業地帯のルールです。ヨットもみえる。
     
    雨が降り出した。休憩につれていってもらった店のテラスにいたのだが、自分の飲み物をかかえて店の中へ避難。対岸の方をずうっと進んでいくと、ヴッパータールにたどりつくのです。
    July 27

    メルケル8割

     
    なんでも、メルケルの支持率が80%なんだそう。半分くらい麻生さんに分けてあげればいいのに。秋以降のメルケルの続投は確実、そして日本では政権交代がほぼ確実・・・。国のトップがころころ変わるのだけで日本は損をしているし、信用を失っている。どうせすぐまた変わるんでしょ、と思われたら外交のコネもできない。戦略もたてられない。それでも日本がなんとかまわっているのは、持続的に根回しできる官僚がいるからなのに、官僚=悪ということに世間・マスコミではなっている。天下りでもなんでもどんどんやっていいから、官僚のみなさんにはぜひ既得権益を守り抜いてほしいと文学なんかをやっている人間としては思ったりする。それにしても麻生さんにいったいどんな政治的失策があったのかな? マスコミ的失策はあったんだろうけど・・・。コンテクストのなかでみたら、具体的な批判点があんまりみつからない。少なくともバッシングが異常な気がする。
     
    July 26

    ティルマンス

     
    きれい。これとは別に、ティルマンスの Wako Book 4, Japan (2008) がPDF化されており、フリーで鑑賞できます。彼は新宿のワコウ・ワークス・オブ・アートですでに6回も、個展をひらいているのですね、いまウィーンでも彼の展覧会をやっているみたいだから、時間があったらみにいこう。

    まにあわねー

     
    きょうは外がにぎやかだなと思ったら、自宅の前の道路が車両通行どめになって、自転車レースっていうんでしょうか、そういうののコースになっていて半日中、晴れたり雨が降るなかを何十人というレーサーたちがぐるぐるぐるぐるまわっている。一周するのに10分くらいかけて何十周もしていた。
     
    レース後、充実した様子で自転車を片づけるひとりの男子のもとに、きっと恋人かな、女の子がおつかれさまと、とんとんとんとかけよっていって二人ではしゃいで、でもそのはしゃぎかたが静かでとても品がよく、みていていいなあって思った。スポーツってこういうのがあるからいい。よろしい。
     
     
    10日にいっぺんの休みをはさんで、もう二ヶ月以上は一日16時間書き続ける日々が続いている。それでも間に合わなくなってきたのでさいきん、睡眠時間を減らした。すると朝方いつも、夢のなかでも書いている。ウソじゃなくほんとに。たしかに追い詰められて発狂しそうになるんだけれども、そこをいかにぐっとおさえるかが勝負ずら。寿命とかより大事なものはきっとある。
     
    というような生活を送っていると、なにがあろうと毎日なにかをしっかりと続けている人を、すごいとおもう。定期的とかじゃなくて、毎日毎日というのがポイント。たとえば那須日記さんの毎日の聖書読み。僕はいつも朝起きて、まず那須日記さんのブログをチェックしてから自分の作業に入る。なんかそうすると、リズムをもらえるような気がするのです。
     
    July 25

    Meine Liebe ist ホッチキス

      
    こ、これはwwwwwwwwwwwwwww すごいwww すごいナリよ!  キタ――♪ o(゚∀゚o) (o゚∀゚o) (o゚∀゚)o キタ――♪

    令嬢エルゼ

     
     
    パウル・ツィンナー監督の映画 『令嬢エルゼ』 (1928) はサイレント映画の名作であり、エリザベート・ベルクナーの迫真の演技で知られていますが、原作はシュニッツラーの同名の小説です。これは1924年の内的独白小説で、ハヤカワ文庫の 『夢がたり』 にも収録されています。世紀末ウィーンのあらゆるエッセンスが凝縮した、シュニッツラーの代表作。避暑地に遊ぶエルゼのもとへ、一通の知らせが届きます。それによれば、エルゼの父親が賭博ですってしまい大借金をかかえて、間近にせまった期限までに返済しなければ名誉も地位もすべてを失ってしまうというのです。それでエルゼには、おなじ避暑地に滞在中のひとりの富豪とすぐに交渉してくれと頼んできているのですが・・・。語り手のいない小説、また作品中に楽譜(シューマンの謝肉祭)が挿入されたことでも珍しい小説です。
     
    (それにしてもどんどん時間がせっぱつまってきたので、これからはこうしてエントリーが自分の専門の話題に偏っていきそうな予感が・・・。でもなるべく避けるように気をつけます。)
    July 24

    ジャーマンウイングス

     
    ウィーンに行くのでいろいろ調べていたら、ここからウィーンまでたとえば寝台列車で185ユーロと出た。でも飛行機でジャーマンウイングスだと、一番やすいので50ユーロ以下である。時間も十分の一。いったいどんなひとがそれでもドイツ鉄道を使っているのか気になるところ。ジャーマンウイングスはサイトも見やすくて、すごく簡単にチケットを買える。アマゾンみたい。ヨーロッパからの留学生は、これで安いチケットをみつけてはちょくちょく自分の国に帰っている。というか気づけばいまはもう夏期休暇のシーズン真っただ中なのですね! あっしはそれどころじゃないよトホホ・・・。
     
    July 23

    コンラート・ローレンツ小説

    マルセル・バイアーの『カルテンブルク』がペーパーバックになりました。以前書いた記事のリンク。「よい作家は、自分が考えている以上のことは言わない。」 ヴァルター・ベンヤミン
     

    マリア・ラーハ修道院で聴いた

     
     

    ヒリヤード・アンサンブルのバッハのコラール。マリア・ラーハ修道院での公演は最も心に残る音楽体験のひとつ。

    July 22

    ゼーバルト生家

     
    Wein, Weib und Gesang さんが、ゼーバルトの生家について書いておられます。リンク。ケンプテンには行ったことがない・・・すごくうらやましいです。
     

    『グールドのシェーンベルク』

     
    (以下、2年以上まえに冊子 「ほん」 に書いた書評の再掲)
     

     グールドのシェーンベルク

     グレン・グールド(著) 鈴木圭介(訳)

     筑摩書房 二〇〇七年 四二〇〇円

     

    音楽史において、録音という契機を強く意識し、それをいちはやく作曲の行程にフィードバックしたのがアルノルト・シェーンベルクだったとすれば、グールドがこの作曲家に専心したのも、ごく自然ななりゆきとして了解することができる。演奏のあり方へ断層をもたらした男が、「音楽を変えた男」に反応し、共振する―それはほとんど必然だったといってもよい。「リフォーメーション」という理念がこのふたりの音楽家をかたく接続していることからも、それは判る。

     

    一にも二にも、グールドにとって音楽はいささかも自明なものではなかった。そもそも音楽はなお可能なのかという疑い、ある楽曲をいま演奏することにはいかなる制約があるのかという問いの欠落したところに、緊張感ある音楽など生まれるはずはない。グールドがピアノというマシンから厳しい美しさを出力することができたのは、そうした問いにひとり自覚的でありつづけたからである。彼の演奏にはつねに、懐疑をくぐりぬけた確信がみなぎっている(そしてこの確信が、彼の音楽の、あの「構造の強度」として現象することになる)。演奏とは、グールドにおいて、きわめて批評的な営みであった。

     

    はたして、ピアニストという肩書は、おそらくグールドには窮屈すぎるのである。こえ肥り、たがの外れた既存の音楽から神をとりもどすこと。それをラディカルに、えらんで孤独に推し進めたのがグールドだったのだが、ピアノはあくまで、そのためのひとつの手段に外ならなかった。音楽史(イズム・ドグマの変転と偶像崇拝の歴史)から、ヴィルトゥオーゾ(無自覚な演奏者たちと自己充足的な名人芸)から、そしてコンサートホール(聴衆主導の監視空間または享楽の殿堂)から神を奪還するために、グールドはテクノロジーを動員する。このときグールドが受信し、その脳内に流れているのは、マルティン・ルターのコラールであるに違いないのだ。グールドはこの「宗教改革」者、その精神の正統な継承者なのであって、LPないし録音技術とは、彼にとって、二十世紀の活版印刷を意味したのである。ひとえにピアノ奏者だったわけではない、ピアノ自体が、関節のゆるんだ既存の音楽を「再編成」するためのひとつの媒体だったのであり、それを駆使する当の主体とは、なにより、批評家としてのグレン・グールドであった。

     

    ルターは信仰を批評した。あるいは、彼にとって信仰とは、批評という絶えざる運動でなければならなかった。からだを接しての共同鑑賞の場である教会から、そして肉付きのよい赤ら顔の聖職者たちから、神をとりかえそうとしたのである。どこにか。聖書に、である。「神の言」を、あからさまな共同幻想空間(=教会)からテクストへと移植した。この変換を可能にしたものこそ、ルター訳聖書だったのであり、信徒の手もとに配備されることで、それは従来の信仰形態を再編成した。

     

    グールドは音楽を批評する。あるいは、彼にとって演奏とは、批評という永続的運動でなければならない。彼は、コンサートホール(そこでは免罪符が下付される)を見限って、レコーディングスタジオ(=プロテスタントの私的な礼拝堂)もしくはラジオ放送局へと移動した。さもなくば数週間にもわたって自室にひきこもり、外界とはただ電話回線で接がれていた。アクセスされるべきは、身体ではなく神経組織である―そのための録音であり放送なのであって(本書はもともとラジオ番組のためのシナリオで、原題は『シェーンベルク連続放送』)、テクノロジーの侵入をグールドが要請するのは、電子メディアによるこうした変換・転送の働きが、音楽と人間の関係=布置(フォーメーション)を刷新すると信じて疑わないからだ。

     

    こうして、このカナダの演奏家=批評家をバッハに連結していたのは、ルター的精神だったことが判明する。そしてまた、彼がシェーンベルクに夢中になるのも、この作曲家にバッハと同じ美学的プロテスタンティズムのひらめきを感知したからに外ならない。

     

    ルターに源を発する精神がシェーンベルクに流れ込むとき、それは調性から無調への(コペルニクス的)転回として現象した。ルターは地理的な中心つまりメッカを信仰から排除したのだったが、ひとり聖書に向き合えという彼の勧告は、聖書を絶えず読みこむこと、すなわち永続的なテクスト解釈に必然的に帰結する。これが信仰=批評であることの背景である。ならば、シェーンベルクもまた問うたのである、はたして音楽は特定の中心音をもたねばならないのか、と。そしてこの懐疑、批評的精神をこそ、グールドは高く評価する。「彼としては自分の真の使命とは、永続的発展、永続的変奏が可能な音楽を作ることだと納得していたんだ」。そう語るグールドが、西洋音楽の中心地にではなく、遠隔の地トロントに生を享けたということ、さらには彼のマクルーハンとの知的交流を考えるとき、ひとつの大きな連関がみえてくる―グーテンベルクとルターの関係は、ベルリナー(グラモフォンの発明者)とシェーンベルクの関係に、そしてマクルーハンとグールドの関係に、等しく受け継がれている。

     

    これが、本書で新たに浮上した、美学的プロテスタンティズムの系譜である。グールドは、終始シェーンベルクについて語りながら、むしろこの巨大なコンテクストに対峙しつづけているようにみえる。

     

    ISBN 9784480873521

    July 21

    鷗外訳、シュニッツラー

     
    鷗外訳、シュニッツラーのデータ。ウェブ上にまとめたものがないので、作成したものをアップしておく。鷗外は全部で7篇のシュニッツラー作品を訳しており、作品数からいって、鷗外がもっとも多く訳した作家がシュニッツラーであった。
     
    以下では、翻訳発表年(西暦)、邦題、ジャンル、発表・連載時期(元号)、ドイツ語原題、それを収録した単行本タイトル、その初版の発表年(角型括弧内)の順であらわす。
     

     

    1907「短剣を持ちたる女」一幕物、明治4011, 12Die Frau mit dem Dolche, in: Lebendige Stunden [1902]

     

    1908a:「アンドレアス・タアマイエルが遺書」(ノヴェレ、明治411Andreas Thameyers letzter Brief, in: Die griechische Tänzerin. Novellen, Wien / Leipzig: Wiener [1905] ただし鷗外はDämmerseelen [1907] 所収のものから訳している。つまり同小説は両方の単行本に収録された。

     

    1908b:「猛者」(一幕物、明治4111月)Der tapfere Cassian, in: Marionetten [1906]

     

    1909年:「耶蘇降誕祭の買入」(一幕物、明治421月)Weihnachtseinkäufe, in: Anatol [1892 / 1893]

     

    1912a:『みれん』(ノヴェレ、明治4513月)Sterben [1895]

     

    1912b:『恋愛三昧』(三幕劇、明治454月~大正元年9月)Liebelei [1896]

     

    1913一人者の死」(ノヴェレ、大正21月)Der Tod des Junggesellen, in: Masken und Wunder [1912]

     

    July 20

    クライナー先生

     
    左: ヨーゼフ・クライナー 『江戸・東京の中のドイツ』 (講談社学術文庫)
    右: ヨーゼフ・クライナー、住谷一彦 『南西諸島の神観念』 (復刻版、未来社)
     
    先日の朝日新聞の記事、<日本民族学の出発点「後狩詞記」出版100年 柳田民俗学の背景探るシンポジウム>のなかで、ヨーゼフ・クライナー先生のことも触れられています。ボンでは先生にはお世話になりました・・・。
     
    『江戸・東京の中のドイツ』 は、タイトル通りの書。たとえば「八重洲」という地名がドイツ人の名前(ヤン・ヨーステン)からきていることをこの本で知ったときには、おどろいた。シーボルトをオランダ人と思っている人は多くて無理はないけれども彼はドイツ人である。ライデン大学が世界でも日本学の中心であるのはシーボルトの伝統か。シーボルトは死の前年、貢献をみとめられて勲二等瑞宝章を受けているが、この年1910年が 『遠野物語』 の年であることをおもうと感慨深い。
     
    『南西諸島の神観念』 は、奄美諸島のフィールドワークの書。日本人は、そして日本の神はどこからきたか。『海上の道』 に結晶する柳田の南島論、また折口の常世の国、異界論が実地に検証される。
    July 19

    野球

    デュッセルドルフのノルトパークは、今日もよい天気。というわけで庭園からグラウンドに移動して、野球だ野球だ。しばらく練習をさぼっていたのだが、いきなり練習試合を2試合。ところが! タイムリーが出たよ。守備もそつなくできた。練習をさぼっていたほうが結果がよいなんて、いったいどうしたらいいんだろう・・・。
     
     
    って考えたってしょうがないので、ビール。シューマッハーでビール。ビールを飲むのに好調不調はなくていつもおいしい。写真の食べ物は、はやい話がドイツ風の豚足。ドイツのビールにはドイツの料理がいちばん。本場のアルトを飲みつけていると、もう帰ったらスーパードライなどは絶対飲めない。スーパードライは炭酸水にしか思えないほど香りとコクがあるのです。おやすみなさい。