Wuppertal's profile エルバーフェルト日記PhotosBlogLists Tools Help

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    May 31

    方丈記とロダン

     
    そういえば、蓮田善明の 『有心 ― 今ものがたり』 には、リルケの 『ロダン』 がでてくるよ!
     
    May 30

    好きなんです、ブロッケンJr. が。

     
    子供のころ、なぜか大好きだったブロッケン・ジュニア。そのテーマ曲「ベルリンの赤い雨」です。考えてみると、自分がドイツに興味をもつようになったきっかけのひとつとして、ブロッケン・ジュニアの存在というのは確実に大きいなあ。かっこよかったなあ。というか今見ても超人のなかではやっぱり一番かっこいいなあ。
     
    お父さんのブロッケンマンがラーメンマンにひどいやられ方をして、父の仇を討とうとしてやっぱりラーメンマンにやられちゃう。父と子にわたって二度、闘いにやぶれるわけです。それがブロッケン・ジュニアの物哀しさにつながってゆく。象徴的だなあ。東西冷戦がおわったあと彼の居場所がなくなっちゃうというのも、深いなあ。
    May 29

    バレンボイム in ヴッパータール

    この町のシュタットハレには、きょうはバレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンを率いてやってくる。モーツァルト27番でのバレンボイムの弾き振りと、ハイドンのオクスフォードが聴けるということでかなり前からチケットをとっていたので、ちょっと行ってきます。下のプログラムで "u. a."とあるのが気になるところ。
     
       Fr. 29. Mai 2009, 20 Uhr   /   Großer Saal

       Klavier-Festival Ruhr: Daniel Barenboim & Staatskapelle Berlin

       Daniel Barenboim, Klavier & Leitung
       Staatskapelle Berlin

       WOLFGANG AMADEUS MOZART
       Konzert für Klavier und Orchester Nr. 27 B-Dur KV 595

       JOSEPH HAYDN
       Sinfonie Nr. 92 G-Dur Hob. I:92 »Oxford«
       u. a.
     
    行ってきました。(って最近このブログ、なんか、クラシック好き素人のコンサートレビュー・ブログみたくなってきたな・・・大丈夫か。) 結論を先にいうと、あまりにも感動的な内容だったので、モーツァルトの27番がおわった時点のパウゼで、いい気分のあまりゼクトを飲みほしながら恍惚状態でした。大丈夫か。
     
    プログラムに変更がありました。ハイドンのかわりにモーツァルトのジュピターが演奏され、ピアノ協奏曲27番とあわせて結果的にモーツァルト一色のプログラムとなりました。たしかに、ハイドンのオクスフォードがメインだとちょっと弱い気がするので、この変更はよかったです。
     
    僕が座った席はオーケストラの背後、つまり指揮者が正面にみえる合唱団席(Chorplatzといいます)でした。だからバレンボイムの弾き振りがよくみえてとてもよかった。じつはきょうのバレンボイムは(あるいはここのところそうなのか)、体調があまりよくなく、どこか体に痛みがはしるのか、顔をゆがめる瞬間もありました。しかしそのぶん、オーケストラはがぜん集中力が高かったように思います。カラヤンの82年の『英雄』のライブじゃないけど、指揮者が病のときにはオーケストラは常より高い能力を発揮するのかもしれません。
     
    CDでしか聴いたことがないので知らなかったのですが、バレンボイムは第一バイオリンの横にチェロ、次いでビオラ、そして指揮者からむかっていちばん右手に第二バイオリンという(古典的?)配置なんですね。こうすると視覚的にも第二バイオリンの動き、音の輪郭がシャープになってくるし、いわば両翼からチェロ、ビオラの中低音にとけこんでゆくわけで、モーツァルトにはよく合うのだと思います(これがベートーヴェンになってくるとしかし、話はかわってくるはずです)。
     
    それにしてもシュターツカペレ・ベルリンは、僕はこのオケをスイトナーのときから大好きですが、スタイリッシュでありながら昔ながらのよきドイツらしさをそのままのこしてもいて、香るような品格がすばらしい。さすがは我がプロイセン王立宮廷楽団である(笑)。
     
    バレンボイムはピアノ協奏曲27番では、この曲がもっている透明を透明のままさしだしてくれて彼自身がモーツァルトだった。それは彼がモーツァルトを弾くときには僕がいつも思うことであり、バレンボイムはモーツァルトを弾くときがいちばんしぜんで、かつ崇高だとおもうからです。いっぽうジュピターではその崇高さがそのまま建築の崇高さとしてあらわされ、こういう表現はまったくよくないのだがベートーヴェンのようなモーツァルトだった。それでもこれはこれで一つの解釈だといえるのは、ジュピターが完成したのが1788年、27番は91年で、つまり「18世紀」が終わる89年をはさんで後者にはもはや建築への意志などないからです。27番というあの中間休止(Zäsur)のような音楽は、「ヨーロッパ」がおわったということの空白の音楽、ベートーヴェンの音楽がはじまるための無であり透明だったのかもしれないからです。ふたつの曲はまったく相貌を異にしながらも、おなじひとつのことをいっている。そう思うのです。
    May 28

    芳賀徹が

     

      司馬 『名ごりの夢』はいい文章ですね。

      芳賀 ええ、私はいつもあれを読むと、なぜだか、鷗外訳のシュニッツラーやホーフマン

         スタールの戯曲とか短篇とかを連想するんですよ。幕末の江戸と世紀末のウィーン

         とにはなにか共通した甘美な雰囲気があったのか、それともノスタルジーをこめた

         語り口がよく似ているのか。とにかくみねさんの回想談には品のいい、江戸の高級

         武士の語り口が残っていて、国語学の上からも貴重な史料じゃないでしょうか。

     

                        『司馬遼太郎 対話選集3』(文春文庫)より※

     

     

    「芳賀」とは芳賀徹で、この連想はさすがにとてもするどくて、面白い。ひとつの文化が臨界点に達しようとするとき、デカダンスのなかに古典への意思が生じてくる。それが世紀末ウィーンだった。無定形な生(Leben)に形式(Form)をあたえること、それがシュニッツラーの仕事であり念願だったので、鷗外がシュニッツラーによく反応したのは彼の側にも「かた」へのあこがれがあったからである。江戸期にはあって明治にはうしなわれた、生の形式としての「かた」(Stil)である。その再生への意思が鷗外の古典性であったとすれば、シュニッツラーのばあいにはその古典性は「粋」(Schick)へのあこがれとしてあった。彼がくりかえしカサノヴァをとりあげたのも、そのためだったといってよい。乃木希典の死後、鷗外はみずからに「江戸」を定位した。そのすがたは、第一次大戦後もなお世紀末ウィーンだけを書き続けたシュニッツラーに、とてもよく似ている。シュニッツラーはあくまで19世紀を生きたのであり、そのなかで「哲学」のではなく「趣味」の問題に迫りつづけた。趣味をまもるとはときとして、哲学するよりもおそらくはずっと困難なことなのである。

     

    ※同書には海音寺潮五郎、江藤淳、奈良本辰也、橋川文三、大江健三郎らとの対談がおさめられている。やはり江藤淳との対談「織田信長・勝海舟・田中角栄」がすばらしい。また、長州の人間としては奈良本辰也(宮本常一とおなじ大島郡出身)との対談「日本人の行動の美学」にひきこまれる。橋川文三とは吉田松陰について語っている。

    May 27

    ケーテ・ハンブルガー(2)

     
    きのうのつづき。それで発見というのは、ハンブルガーの 『文学の論理』 (Die Logik der Dichtung) が、カッシーラーの 『文化科学の論理』 (Zur Logik der Kulturwissenschaften) を意識して書かれた書であるということで、前者は後者をおぎなうものとしても読めるとのことである (カッシーラーの書で文学はとりあつかわれないため)。
     
    1922年にミュンヘンでシラー論で博士号をとったあと、1922年から1928年までのハンブルク時代に、ハンブルガーは大学でカッシーラーの講義を聴いていた。彼女はユダヤ人だったので、ナチス政権掌握後はスウェーデンのイェーテボリにのがれるのだが、カッシーラーもまた亡命してイェーテボリ大学につとめていたことがある。
     
    アメリカに亡命したトーマス・マンとは、彼女はトーマス・マン論を書いていたこともあって、個人的な面識もあり、生涯にわたって手紙のやりとりがあった。戦後、ハンブルガーがシュトゥットガルト大学でようやく教授のポストについたのは1959年のことで、彼女はそのとき齢60を過ぎていた。その大学教授の資格をえるための論文が、 『文学の論理』 だったのである。
     
    60過ぎて教授職につけたとあっては、これはもう長生きするしかないだろう。
     
    なお、ハンブルガーをシュトゥットガルトへ招くべくイニシアティヴをとったのが、ドイツ文学史で有名なあのフリッツ・マルティーニであった。一冊の文学理論の書のうしろに、壮大な歴史ドラマが垣間見えるおもいがする。
    May 26

    ケーテ・ハンブルガー

     
    きょうのゼミではシュタンツェル、ジュネット、ケーテ・ハンブルガーをさらった。その補足テクストとしてシェッフェルさんの Käte Hamburger (1896-1992) を読むことになって、ハンブルガーの生涯、作品、影響を記述したものだが、いくつか発見があっておもしろかった。
     
    ケーテ・ハンブルガーの名前は聞きなれない方も多いかと思うが、しかし彼女の代表作 『文学の論理』 (1957/1968) ほど多くの言語に訳された本は、ドイツ文学研究においてはそうは存在しない。もちろん邦訳もある。ケーテ・ハンブルガー 『文学の論理』 (植和田光晴訳、松籟社 1986) がそれである。
     
    スタンダード・ワークである 『文学の論理』 は、抒情詩も一人称小説も「文学」ではないといいきってしまう問題作でもあって、しかしそうした強い問題提起力をそなえていたからこそ、60年代、70年代のゲルマニストたちはみなこの作品をさけて通ることができなかったのである。
     
    坂部恵が 『かたり』 のなかで詳述しているヴァインリヒの 『時制論』 (邦訳は紀伊国屋書店)も、シュタンツェルの 『物語の構造』 (邦訳は岩波書店)も、ハンブルガーの影響下に書かれたものだ。
     
    鷗外の「かのように」で知られる、ファイヒンガーの大著 『かのようにの哲学』 や、インガルデンの 『文学的芸術作品』 (邦訳は勁草書房) を批判するハンブルガー。彼女が「文学」にみとめる特徴は次の3点である。
     
     1、「文学」にあっては時制は、われわれが日常的にそれにみとめている機能をうしなう。
     2、「文学」にあってはダイクシスは、われわれが日常的にそれにみとめている機能をうしなう。
     3、「文学」にあっては、思う、感じる、考えるといった内面にかかわる動詞が第三人称に適用される。
     
    ハンブルガーは内容によって「文学」と非文学を分けることはせず、言語論理的にそうするので、一人称小説が「文学」でないと言われると奇妙な感じがするけれども、しかし言語論理的にはそれで筋が通っているのである。「私はきのう映画館にいってね、それでね」という日常の語りと、一人称小説とを区別する言語的基準を、僕たちはなんらもっていない。もっていないとなれば区別はつねに恣意的である。だからハンブルガーはそれを「文学」=「フィクション」の領域から除外するのである。
     
    いっぽうで三人称小説のばあい、僕たちはそれが「文学」=「フィクション」であることの言語論理的な証拠を、ちゃんと握っている。それが上に見た3つのポイントである。これら3つの特徴は、一人称小説にはけっしてあらわれてこない。三人称小説においてだけ、それらは証拠を示せるかたちであらわれるので、だからハンブルガーは三人称小説をフィクションの理想形とみなすのである。
     
    シェッフェルさんのテクストを読んでの発見いくつかを書くつもりが、『文学の論理』 のダイジェストになってしまった。つかれた。つづきは明日ということで。
    May 25

    プロップやヨレス

     
    講談社学術文庫から、プロップの 『魔法昔話の研究: 口承文芸学とは何か』 が出るようです。プロップの文庫化ははじめてとのこと。
     
    それで思い出したのですが、講談社学術文庫から出ている<ものがたり研究本>に、アンドレ・ヨレスの 『メールヒェンの起源―ドイツの伝承民話』 があります。これは1930年に出たヨレスの代表作 Einfache Formen (シンプルな諸形式) の翻訳であり、ナラトロジーの古典、あるいは民俗学の古典です。その原題のとおり、 
     
     第1章 聖人伝
     第2章 一族物語
     第3章 神話
     第4章 謎
     第5章 ことわざ
     第6章 決疑法
     第7章 追想記
     第8章 メールヒェン
     第9章 冗談ばなし
     
    という内容で、9つの素朴な文学形式たちを追ってゆくのですが、それぞれの形式の本質はなにかにアプローチするヨレスの手際は、あざやか、かつ堅実です。学問とはこういうものだという感じがする。それでいてひじょうに読みやすく、読者をけっして飽きさせない内容と語り口が魅力です。翻訳もすばらしい。名著。

    おしらせ

     
    「ベルリンで活動する実験映像作家ウテ・アウラント作品の上映会、公開セミナー」 が開かれるようなので、お知らせしておきます。詳しくは下のリンクから。
     
    May 24

    集団ヒステリー(画像のみ)

     

     ↑ 集団ヒステリー                         ↑ 集団ヒステリー
    May 23

    ワルキューレ

     
    アールト劇場では明日24日、ワルキューレのプレミエをむかえるということで、そのゲネプロを観にエッセンへ行ってきました。エッセンといえばなんといってもクルップで、ルール工業地帯を代表する都市ですが、来年2010年にはこの町が「欧州文化首都」をつとめるということで、ただいまメイン・ステーションはじめ、町を大改築中。
     
    なので今回のワルキューレも、2010年中に 『リング』 全曲を公演するという企画の一環なのだそうです。つい先日まではラインの黄金がかけられていました。
     
    さて、ゲネプロですが、ブルーを基調とした空間のなかに、ワルキューレたちの深紅の衣装がたいへんに映えてうつくしく、舞台、衣装ともに好印象。演出も、ワーグナーの神話世界を再現することに徹しており、とてもよい仕事だと思いました。いまは、あたりまえのことをしっかりとあたりまえにこなすことがとても困難な時代なので、そう思うのです。
     
    プローベなので、歌手も全力でうたうわけではないのですが、それでもブリュンヒルデの Catherine Foster はちょっとした発見でした。彼女はイギリス人だそうですが、声がハラリハラリと宙にういてしまうソプラノが多いなかで、その芯のある声はしかと地面をも響かせる力をもっており、ワーグナーとの相性はぴったりだとおもいます。ご存じのように、ワーグナーの歌い手はげんざい、世界的に絶滅危惧種です。彼女にはぜひ、デボラ・ポラスキにつづく歌手になってほしい。
     
    約5時間のゲネプロがおわったあとは、いつもお世話になっており、今回ワルキューレではバス・トランペットでのかっこいい演奏をきかせてくれるNさんに舞台裏に呼んでいただいて、オケピットを見せてもらったり(このアールト劇場のオケピットはヨーロッパでも屈指の規模をほこるのだそうです)、楽団員専用のカフェテリアでビールを御馳走になりながら、いろいろな裏話を聞かせていただきました。おもしろかったー。
    May 22

    北高文芸部

     
    きょうはワルキューレのゲネプロを聴きに、夕方からエッセンへいってきます。と、その前に・・・・・・昨晩! いよいよ来ましたね、「笹の葉ラプソディ」!! 僕もずっと楽しみにしていました。新作ということでのしかかってくる期待や思惑につぶされることもなく、奇をてらわずの正攻法で、とてもよかったのではないでしょうか。
     
    今回のエピソードで長門有希が読んでいた本。遠くからのショットでは一瞬、舞城王太郎の 『熊の場所』 かなと思いましたが、そうではなくてハインラインの 『愛に時間を』 だったようです。黄色のハードカバー。
     
    短冊でもやっぱり「調和」、「変革」がいちばんぐっときましたwww さて、ドイツでの反応はどうなるかな。英語字幕はすでに出ているので、今日中にはドイツ語の字幕もつくでしょう。それとは関係ないですが、ハルヒをみているとどうしてもひっかかってくる一節を以下に引いておきます。訳すのめんどくせー。
     
       Es glich dem Zufall, denn es bewies keine Folge, es ähnelte der Vorsehung, denn es deutete auf
       Zusammenhang. Alles, was uns begrenzt, schien für dasselbe durchdringbar, es schien mit den
       notwendigen Elementen unsres Daseins willkürlich zu schalten, es zog die Zeit zusammen und
       dehnte den Raum aus. Nur im Unmöglichen schien es sich zu gefallen und das Mögliche mit Ver-
       achtung von sich zu stoßen. Dieses Wesen, das zwischen alle übrigen hineinzutreten, sie zu son-
       dern, sie zu verbinden schien, nannte ich dämonisch [...]
     
                                       ゲーテ 『詩と真実』 第4部第20章より
     
                                       追記(5月23日): ドイツでのさっそくの反応をリンク
    May 21

    ひょん

     
    みなさんこんにちは。さいきんになって、ひょんなことから、自分がここヴッパータール交響楽団の指揮者、上岡敏之さんとおなじ誕生日であることを知りました。わ~い! しかも、パフュームの のっちとも誕生日が同じなんです。わ~い! さらに、日本国総理大臣、麻生太郎さんとも誕生日がいっしょなんです、わーい(←棒読み)。
     
    とまれ、さいきん、ひょんなことからクレメンス・ブレンターノの喜劇 『ポンス・ド・レオン』 をざざっと読む機会があったのですが、その冒頭が、コレ、大丈夫なんだろうか? というくらいきわどいのです、あぶないのです(性的な意味で)。いや、冗談じゃなくてほんとうに。ブレンターノもかなりいっちゃってるなあ・・・。
     
    あと、『けいおん!』 とならんで、ひょんなことから 『東のエデン』 をみるようになったのですが、リアルですごく面白いですね! そういえば、どうでもいいはなしですが、『けいおん!』 のたしか第7話で、唯の両親がクリスマス休暇に旅行するその旅先がドイツで、ベルリンのブランデンブルク門が出てきました。あー、ベルリン行きたい。
    May 20

    理論小説『不気味なもの』

     

    フロイトは、1919年に、『不気味なもの』 というエッセイを書いている。E...ホフマンの小説 『砂男』 を論じたものとして、たいへんに有名だ。種村季弘の訳で、ホフマンの『砂男』 とフロイトの 『砂男』 論を同時収録したものが、河出文庫から出ている

     

    しかしこのフロイトによる作品論は、理論小説と呼ばれもするほど、語り口が文学的で、「作家フロイト」が前面に押し出されたもののひとつである。たとえばフロイトは、イタリアでの自らの体験を、つぎのように物語っている。

     

    Als ich einst an einem heißen Sommernachmittag die mir unbekannten, menschenleeren Straßen einer italienischen Kleinstadt durchstreifte, geriet ich in eine Gegend, über deren Charakter ich nicht lange in Zweifel bleiben konnte. Es waren nur geschminkte Frauen an den Fenstern der kleinen Häuser zu sehen, und ich beeilte mich, die enge Straße durch die nächste Einbiegung zu verlassen. Aber nachdem ich eine Weile führerlos herumgewandert war, fand ich mich plötzlich in derselben Straße wieder, in der ich nun Aufsehen zu erregen begann, und meine eilige Entfernung hatte nur die Folge, daß ich auf einem neuen Umwege zum drittenmal dahingeriet. Dann aber erfaßte mich ein Gefühl, das ich nur als unheimlich bezeichnen kann, und ich war froh, als ich unter Verzicht auf weitere Entdeckungsreisen auf die kürzlich von mir verlassene Piazza zurückfand.

     

    訳: かつてある暑い夏の午後に、あるイタリアの小都市の見知らぬ人気のない通りを歩きまわっていたとき、私はとある場所に迷い込んでしまったのだが、その場所がいかなる種類のものであるかが判明するのに、さして時間はかからなかった。小さな家々の窓には化粧した女たちだけが見えたので、その狭い通りをつぎの曲がり角をぬけて去ろうと、私は急いだ。ところが案内もなくしばらくさまよい歩いたあとで、私はふいに、またおんなじ通りにいる自分を発見した。その場所で私はいまや注目の的となりはじめており、そこから離れようと急いだあげくが、あらたな回り道をして三度そこへ迷い込むということになったのである。ところでそのときに私をとらえた感覚は、ただ不気味と呼べるようなもので、さらなる探検をあきらめてさっき後にした広場に帰り着いたとき、私はほっとしたのだった。

     

    これはほとんどメルヒェンとして読める。そして、フロイト本人を主人公としてここで語られているのはたんに道に迷ったという話ではなくて、避けようとしてかえってそのものにつなぎとめられてしまうのは、『オイディプス』や 『マクベス』 の物語と同型である。なぜそんなことが起きてしまうのか、その謎を解くのが探偵フロイトの仕事だが、娼婦街から一刻もはやく離れようとするのが意識であり抑圧であるとすれば、そこへ何度ももどってきてしまうのはそれが彼の無意識だからである。抑圧されたものは、不気味なものとして回帰してくる。

     

    ところで原文中に下線を引いた「aber」を、どう理解すべきだろうか。ふつうに逆接の意味でとっては、文章が通らない。フロイトの語り口を考慮した場合、これは聖書・物語などでほとんど「und」の意味で使われる(単に接続を示す)「aber」ととれるのではないか。それにしてもピタっとこないので気になる。翻訳書ではどうなっているのだろうか? 手許にないので確かめようがない。

    May 19

    クザーヌスを読む西田幾多郎を読む(2)

    クザーヌスの『神を観ることについて』を読み終わったので再度、西田幾多郎『善の研究』にあたってみる。第4章「神と世界」冒頭でも、クザーヌスについて触れられている。

     

      純粋経験の事実が唯一の実在であって神はその統一であるとすれば、神の性質および世界との

      関係もすべて我々の純粋経験の統一即ち意識統一の性質およびこれとその内容との関係より知

      ることができる。先ず我々の意識統一は見ることもできず、聞くこともできぬ、全く知識の対

      象となることはできぬ。一切はこれに由りて成立するが故に能く一切を超絶している。黒にあ

      うて黒を現ずるも心は黒なるのではない、白にあうて白を現んずるも心は白なるのではない。

      仏教はいうに及ばず、中世哲学においてディオニシュース Dionysius 一派のいわゆる消極的

      神学が神を論ずるに否定を以てしたのもこの面影を写したのである。ニコラウス・クザヌスの

      如きは神は有無をも超越し、神は有にしてまた無なりといっている。我々が深く自己の意識の

      奥底を反省してみる時はかつてヤコブ・ベーメが、神は「物なき静さ」であるとか、「無底」

      Ungrund であるとかまたは「対象なき意志」 Wille ohne Gegenstand であるとかいった語に

      深き意味を見出すこともでき、また一種崇高にして不可思議の感に打たれるのである。その他

      神の永久とか遍在とか全知全能とかいうようのことも、皆この意識統一の性質より解釈せねば

      ならぬ。時間、空間は意識統一に由って成立するが故に、神は時間、空間の上に超絶し永久不

      滅にして在らざる所なしである。一切は意識統一に由りて生ずるが故に、神は全知全能であっ

      て知らぬ所もなく能わぬ所もない、神においては知と能と同一である。

     

    さて、「神は有にしてまた無なり」というクザーヌスをうけてこのように書く西田幾多郎をどう辿ればよいか。有にして無、とか、あるいはクザーヌスの「反対対立の合致」の思想を、ともすれば常識的に、「両極端は一致する」という意味でとらえたい誘惑にかられる。が、それはやはり厳密にはまちがっている。クザーヌスが謂っているのは、神は全能なのだから、「無で在る」能力も有す、ということだ。「無で在る」能力が全能のなかに「含まれて」いるのだから、有と無は同等でもないし、一致することもない。

     

    問題は、だから、「無で在る」能力は、いったい私たちにどのようなかたちで示されるのか、ということである。証拠がほしいところだ。ところが、それが私たちに示されることは決してない。それを目撃したことのある者はいない。証拠などどこにも、ない。しかし「無で在る」神が、いったいどうして証拠などのこせよう。証拠としてどのようなかたちもとりえないということ、そのことが、神が無でもあることを証だてている。これが「消極的神学」、つまり否定神学である。

     

    哲学とは徹頭徹尾、言葉の問題である。物のイメージでうまくゆくと考えてはならない。したがって、絶対者である神を考えるばあいに、はたして神は「有か無か」という問いを立てることには意味がない。意味がないし、誤っている。なぜなら、「AかBか」のどちらかでなければならない、どちらかでなければおかしい(証拠がない)と人間が考えるような基準を「超絶」しているからこそ、絶対者なのであるから。

     

    AさもなくばB、という存在の仕方しかできないのが人間である。ところが神にあるのは「AさもなくばB」という文法ではなくて、「AでありBである」という文法である。「oder」ではなくて「und」の存在様式が神であるから、神が「有か無か」を迫られることはない。「有にしてまた無」であるのが神である。「oder」は、つねにすでに限定する。対して「und」はどこまでも延ばしてゆくことができる。AでありBでありCであり、それには限界ということがない。それを西田幾多郎は「神は時間、空間の上に超絶し永久不滅にして在らざる所なしである」と、つまり神の無限というのである。

     

    無限には境界がないから、かたちがない、そのことで僕は鷗外が、Das Absolute(絶対的なもの)を「太虚」と訳していることを想い出す。張載の思想である「太虚」とは、無形で、感覚のない万物の根源であり、まさに絶対の概念なのだが、これはじつはDas Absoluteの訳語としてははるかに優れているとおもう。absolutab-lösen)とは、離れきること、一切のものから切り離されて、足場も寄りかかるものもなく(Ungrund)、虚空に在ることだからである。絶対的なものとは、太(おお)いなる虚のなかに在る「何か」のことである。そして(und)虚としても在る「何か」のことである。きっとこの「何か」が、神の名で呼ばれるものなのである。

    May 18

    EUから出ていけ

    さいきんよく車道などでみかける、「Raus aus dieser EU (EUから出ていけ)」のポスター。REP(Die Republikaner)は、ドイツのレヒツ・ラディカールな政党。規模はともかく、フランスの国民戦線、そのドイツ版みたいなものと考えてもらえればよい。レヒツ・ラディカールにおいてすら、EU自体はもはや否定されえなくなってしまっている、そのことを示すのがこのポスターである。
    May 16

    ニッポンデニック

     
    日本に一時帰国してきた人から、「着いてみたらインフルエンザで大騒ぎしているのでびっくりした。ドイツの空港は落ち着いてふだん通りなのに。」という話をきいて、そうですか、と思っていたら、こんどはパリに出張してきた別のひとから、「空港でマスクをしていたのは日本からの団体ツアー客だけで、周囲からかんぜんに浮いていた」という話をうかがった。
     
    ・・・空気を読めるのに「あえて読まない」のではなくて、単純に、空気を読めない日本人。ほんとうに危険なのはインフルエンザ・ウイルスなんかではなくて、そういう日本人の習癖、観念だろう。広辞苑によると、そういう習癖のまん延を、「ニッポンデニック」と呼ぶそうである。ああ、痛いニッポン、ジャパイン (JAPA i N)。
    May 15

    エッセンでワーグナーを

     
    チケットをいただいたので、きのうはエッセンでワーグナー 『タンホイザー』 などを聴いてきました。本場ドイツのオケと合唱で聴くワーグナーは、やっぱりちがいます。エッセンでは今月末から 『ワルキューレ』 もはじまるので、非常に楽しみです。夏前のオペラ、しかもワーグナーなんて、これ以上の至福はちょっとないかもしれない。
     
    さて昨日のコンサートは通常のではなく特別コンサートで、エッセン歌劇場「友の会」(後援会みたいなもの)のためのもので、チケット料金のかわりに、おもいおもいの額の寄付を払うというかたちでのコンサートでした。会員のひとにはこれまでと変わらぬ支援を、そうでないひとには町の文化事業を紹介し、知ってもらって、新たな支援者になってもらうことを目的としたものでありました。
     
    司会者がいて、曲と曲のあいだに色んな話がされたわけですが、ドイツ・エッセンでも世界同時不況の影響で財政が圧迫され、こういうときまっさきに予算が削られるのが、どうしても文化の方面になってしまうわけです。しかしこういうときだからこそ、音楽を愛する皆さんのこれまで通り、あるいはこれまで以上の支援が必要なのですという話で、おもしろいのは、たしかに危機なんだけれども、会場を埋め尽くした人々の反応、雰囲気をみていると、「あ、大丈夫だな、」と思わずにはいられないということです。どういうことか。
     
    ヨーロッパでコンサートなどに行かれたことがある方はご存じの通り、演奏会というのは、社交の場という機能を強くもっている。これには200年ほどの歴史があるわけで、会場にいるのは一定の層、つまり市民階級なわけです。彼らには、自負がある。自分の町の文化をささえ続けてきたのは我らであるという自負と、そして責任がある。自分たちこそ文化の主体であり、これを放り出せばいったい誰がそれを担うのか、という責任感がある。
     
    もちろん、お金がすべてなのはどこも同じですが、それにしても、文化とは、お金があまったときにそこにつぎ込むべきものとは、あまり考えられていない。文化は付録ではなく、酸素だ、生存に必要なものだ、という考え方が根付いています。音楽会とは、だから、娯楽を提供する機会であると同時に、もしくはそれ以上に、「呼吸」であり、また、自分たちの「文化の主体」としての立場、意識をおたがいに確認しあう場なのです。
     
    ですから、寄付を! という言葉を前にしたときの彼らから、「ようしわかった、なんとかしよう。」という空気(それをじっさい昨日、ぼくは感じ取ったわけですが)が生まれてくるのをみていて、これはちょっとやそっとでは潰れたり傾いたりするようなことはないなと、頼もしく、また脅威にも思った次第でした。
    May 14

    なんでベルリンが入ってないの?

     
    「世界で最も住みやすい都市」のランキングだそうです(引用元)。ドイツ語圏の都市に、アンダーラインを引っぱってみました。えへっ。
     
     >世界最大ヒューマンリソースコンサルティング会社のマーサーコンサルティングが世界215都市
     >を対象に、ニューヨークを基準に政治・保健環境・消費財など生活の質を比較調査し、発表した。

     >1位はオーストリアのウィーン、2位と3位はスイスのチューリッヒとジュネーブで、4位はカナダの
     >バンクーバーとニュージーランドのオークランドが並んだ。ドイツのデュッセルドルフとミュンヘン
     >6位、7位となった。[後略]

     >米国で最も順位が高い都市はホノルル(29位)で、アジアではシンガポール(26位)が最も高か
     >った。東京は35位だった。最下位(215位)はバグダッド。ソウルは昨年の86位から今年は83
     >位に上がった。 

     >一方、電気、飲料水、電話・郵便サービス、大衆交通、交通の疎通、国際線の就航などインフラ
     >施設が最も優秀な都市はシンガポールだった。ミュンヘン、コペンハーゲン、筑波、横浜がその
     >後に続いた。 

     >6位はバンクーバー・デュッセルドルフ、8位にはフランクフルト・ロンドン・香港が並んだ。11位は
     >シドニー、12位は東京、13位はパリ、14位はチューリッヒ。このほか、アトランタ、ベルン、モント
     >リオール、トロント、ウィーンハンブルグ、ヘルシンキ、オスロ、ストックホルム、ブリュッセルが後
     >に続いた。[後略]
     
    わりと健闘してるけど・・・でもなんでベルリンが入ってないの? ベルリンほど住みやすく、かつカッコいい都市はないとおもうけどなあ。世界中みてまわったわけではないけれど。
    May 13

    ナスターシャ・キンスキーが

     
    ヴェンダースの 『パリ、テキサス』 の、このシーンがとても好き。だれもことばを発しないが、ことばにあふれている。表現にみちあふれている。素敵だ。以上。
     
    May 12

    peinlich について

     
    ドイツ語にpeinlichという言葉がある。なかなか日本語に置き換えにくいもののひとつで、独和大辞典によると述語的用法では
     
      ・いやな
      ・ばつの悪い
      ・気まずい思いをさせられる
     
    とのことである。たとえば、サッカーになんてまったく興味のないドイツ人の女の子が、ブンデスリーガに熱狂して奇声を発するオトコどもにあきれて、peinlichだと言った場合を考えてみよう。イヤな、気まずい思いをさせられているのはたしかにそうなのだが、どうもそういう日本語ではしっくりこない。それだったらunangenehmとかでも済むはずなのである。
     
    peinは英語のpainであるから、「イタい」のほうが本質に近づく気はする。これについては、中央大学のとあるドイツ語の先生も、ブログに書いておられる(参照)。
     
    なるほどサッカーの例でも、バカバカしくてみている方がこっぱずかしくなるような感覚がpeinlichである。ところが「イタい」では、peinlichにこめられた、対象を非難する気持ちがイマイチ出せてないように思われる。「ったくしょうがねーな、なんとかならんものか」というある種のあきらめでありながら、対象を批評する精神がちゃんとやどった微妙な感じをさして、peinlichというのである。
     
    あきらめの感覚をAとしよう。そして批評精神をBとしよう。
     
    すると、「イタい」ではどちらかというとAが前面に出すぎている感じがある。「イタい」はけっして誤りではないが、精確でないのである。もっとほかにぴったりくる日本語はないだろうか? AとBのあいだでゆれる感情をあらわす語が? ・・・20分経過・・・ というわけで、あろうことか、2ちゃんねる用語のなかに発見してしまいました。
     
    Das ist peinlich = 「これはひどいw」
     
    「ひどい」で対象をつきはなしながらも、「ほかにどうしようもないのかもしれないが...」という一定の留保の苦笑いがほどよくブレンドされており、個人的にはかなりしっくりくるのだが、いかがだろうか。
     
    フロイトは、『夢解釈』 初版の序言で、自分自身の夢を分析にかけて披露していることについて、断り書きをしている。本来ならそうすべきではなかったし、必要以上に著者自身の内面生活をさらけだしてしまった、でもそれよりほかに仕様がなかったのだ、手持ちの材料がなかったのだというところで、彼は次のように書いている。
     
    "Das war peinlich, aber unvermeidlich." 
     
    「ひどい話だが、これはしかし避けられなかったのである」と訳すことができるだろう。ここにはフロイトの反省(みずからをつきはなす批評精神)と、しかしとはいえほかに仕様もなかったのであるが、という、ふくみのある苦笑いが同居しているのである。なぜ苦笑いなのか。それは、自分のやり方はたしかに最善かつパーフェクトではなかったかもしれないが、しかし自分がこの本でいっていることはけっして間違っていないという自恃が、彼にはあるからである。