Wuppertal's profile エルバーフェルト日記PhotosBlogLists Tools Help

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    March 31

    カフカが『田舎医者』やいうとるで

     
    こんにちは。きょうで3月もおわり。こちらでは夏時間に入って日本との時差は7時間となりました。勉強して論文を書いて野球してビールをのむ、という生活がつづいています。なんかこのままだと、できあがる論文が「愛と野球とビールと文学 ― 享楽と快楽の詩学」とかになってしまいそうでやばいです。
     
    それはおいといて、真剣モードにきりかえると、いぜん「救済から治療へ」ということでこんなん書いたことがありましたが、カフカの 『田舎医者』 にそのものずばりの記述があったので、訳してみたいと思います。
     
       "Wirst du mich retten?" flüstert schluchzend der Junge, ganz geblendet durch das
       Leben in seiner Wunde. So sind die Leute in meiner Gegend. Immer das Unmögliche
       vom Arzt verlangen. Den alten Glauben haben sie verloren; der Pfarrer sitzt zu Hause
       und zerzupft die Meßgewänder, eines nach dem andern; aber der Arzt soll alles leisten
       mit seiner zarten chirurgischen Hand.
     
       「僕を救ってくれるの?」その傷口のなかの生にすっかり眩惑されて、少年はすすり
       泣きながらそうささやく。この辺りの人びとはそんな調子である。いつも不可能なことを
       医者に望んでいる。 古くからの信仰を彼らはうしなってしまった。司祭は家にひきこも
       り、ミサ用の上衣を次から次へと引きむしっているのである。ところが医者はあらゆる
       ことをその繊細な、外科用の手でもってこなさなければならないのだ。
     
    でもほんとうは「そのものずばり」以上の記述であり、話はもっとややこしくなっています。少年の「傷口のなかの生」っていったい、なんやねん? ずっと考えても分からないのですが、セクシャルな意味をもっているとはたぶん言えて、少年の腰あたりに開いたこの傷口は「ピンク色rosa」だとあります。Rosaはまさに医者の女中の名前でもあるので、欲望の対象だったローザが、このうずく「傷口」に重なってきます。じっさいなぜか医者は、少年をあたためるためとかなんとか称して裸になって少年のベッドにもぐりこむのですが、これは少年との合体であると同時に、同一化で、つまり医者は、「不可能なこと」ばかり要求される立場、「救済する」立場から、庇護され、面倒をみてもらう「息子の立場」にいれかわりたいわけです。そういえば、この一家もやはり『変身』とおなじ家族構成ですね。
     
    息子というポジションへの憧れと、しかし息子であることは致命的な「傷口」をともなうものでもあるので、そういうわけのわからない感じが傷口の恍惚として表象されざるをえないということなのでしょうか? つーかこれは少年愛なのかローザへの欲望なのか医者に犯されたいのかほんとよくわからん。とにかく、「あらゆることをこなす」べき医者の、やわらかく感じやすい手が(それは聖職者にとってかわった全能者の手であるわけですが)、腰のあたりのピンク色の傷口にさしこまれるとき、エロいというだけではやはり済まされない不気味な、そしてなにか破壊的なイメージがひろがっていることになります。
    March 30

    癌腫カール・クラウス

     
     
    毒にも薬にもならないものに、意味なんて何もない。ということをカール・クラウスがいうと、こうなる。
     
    Nur eine Sprache, die den Krebs hat, neigt zu Neubildungen.
     
    Krebsは癌腫、Neubildungには新形成のほかに、新生物とか腫瘍の意味がある。いまの言語(文学)は「共生」ばっかりで、癌がない。口当たりのいいチクシテツヤ的な言葉はけっきょく紋切型に帰結する。
    March 29

    映画『O侯爵夫人』

       
     

    エリック・ロメールの映画 『O侯爵夫人』 (1976) のトレーラーです。ブルーノ・ガンツも出てます。わけー。原作はやばい男、ハインリヒ・フォン・クライスト。

    March 28

    ベンヤミンとかホフマンとか

     
    2ちゃんでおもろいのみつけたので引用してみた。後悔はしていない。
     
        243 :名無し物書き@推敲中?2008/06/26(木) 12:52:38
        ベンヤミンの『パサージュ論』がめっちゃ好きだ。
             ベンヤミン何言ってんだか全然わかんないけど眺めてるだけで幸せなんだ。
             出てくるパリ的な単語をひたすらメモしてるだ。
     
    「パリ的な単語」ってなんのことだか気になるだwwwww
     
        54 :吾輩は名無しである:2006/10/08(日) 22:57:20
        ドイツ・ロマン派は、まったく読んでいないけど、
             本屋で見かけたホフマンの「悪魔の霊酒」と、そこに描かれていたホフマンの自画像が強烈に
        印象に残っている。なんかここ2,3ヶ月は本屋によったら「悪魔の霊酒」を立ち読みして、家に
        帰るのが日課になってしまった…orz こんど買ってくるか(しかし、高い)。
     
    どんな日課だよwwwwwwwてか、2, 3ヵ月はながすぎるだろww
    March 27

    アルプスの少女ハイジ終了のお知らせ

     
    ハイジが関西弁をしゃべってみたようですが、これはひどい・・・。なおこちらではゲームオーバーなハイジの様子をご覧いただけます。ショッキングな映像が含まれておりますので、視聴にはくれぐれもお気をつけください。てかヨーゼフwwwギザカワユスw
    March 26

    エルンスト・ユンガー

     
     
    ベンヤミンに「ドイツ・ファシズムの理論」というエッセイがある。正確にいうとこれは書評で、ちょっとタイトルを失念してしまったがユンガーやクラーゲスらの文章が載った論集へのベンヤミンの応答であり、「ファシズム」を迎え撃つ批評家の戦略がひかっている。これを読むと、そして今からすると、ユンガーやシュミットの決断主義にまともに渡りあえたのはベンヤミンだけだったのではないかという気さえする。
     
    何年か前、ベンヤミンの書評だけを精読してゆくという大学院のゼミでこの「ドイツ・ファシズムの理論」がとりあげられて、それでユンガーの「総動員」( 『戦争と戦士』 (1930)所収)なども読むことになった。―「総動員」はのちに 『追悼の政治』 のなかに訳出された。ベンヤミンの書評の方も、あらたにちくま学芸文庫のコレクションⅣに収録された。―ユンガーの冷めたパトスを読むとき、誰もが口にするのにしたがって彼を戦争賛美者と呼ぶことの陳腐さがはっきりしてくる。
     
    ユンガーをファシストとして批判する者は、みずからの戦争加担についてはこれを決して見ようとしない。我々はすべてが現に戦争を遂行中である。これがユンガーの前提である。人はあいかわらず戦時と平時を 分け、「平和を!」とスローガンをたてることで満足している。しかしそもそも第一次大戦のテクノロジーと連動した総動員体制こそが、戦時とか平時といった区分をもはや不可能にしてしまったのではないか。ここから始めることなくして「思考」などありえない。自動車工場では自動車が生産されていると、けなげに信じて疑わないような人間こそが、平和と叫んではばかることがないのである。
     
    ベンヤミンの批判はそのことをよく踏まえた上でなされるのであって、つまりベンヤミン自身けっして非戦論者でもなければ単なるマルクシストでもない。脳内がお花畑の左翼はよくベンヤミンを味方にしたつもりになって得意げにその著作から引用するけれども、じっさいのところはベンヤミンには決断主義者への多大の共感があることはこの「ドイツ・ファシズムの理論」やシュミットとの往復書簡からも明らかで、ベンヤミン研究者がつとに指摘していることでもある。
     
    ベンヤミンに気に入らなかったのはユンガーの「正直さ」なのだといったら、言い過ぎだろうか。 しかし彼がユンガーに反撃するのに大好きなフォーティンブラス(『ハムレット』の)をもってくるとき、それはなによりユンガーの「ひねりの無さ」を撃つためであるように思えてしかたがないのである。
     
    フォーティンブラスならば戦争への動員をどのようにやってのけるだろうか、とベンヤミンは自問する。そしてそれはシェークスピアの技法から推論できるという。ロミオがもともとロザリンドに首ったけだったのは、それはジュリエットに対するロミオの恋が輝かしい情熱の焔のなかに、よりいっそう浮かび上がってくるようにするためなのである。そうだとすればフォーティンブラスもやはりまず、とろけるように甘い平和の讃歌、欺瞞的な平和の讃歌から始めるだろう。そうすれば、フォーティンブラスがいよいよになって戦争のために声を上げるとき、それを聞く者は誰であれ身震いして、こう漏らさずにはいられまい。平和の幸福で身も心も満たされていたこの人をして戦争に馳せ参じさせる力とはいったい、なんと巨大で、無量なものなのだろう、と。
     
    これがベンヤミンにとっての、闘争のための手順であり方策であった。この高等戦術からみてこそ、ユンガーの「素直さ」は戦略性に欠けるものと映ったのである。
    March 25

    W.G. ゼーバルトをもっと。

     
    僕自身すべてに目を通しているわけではまったくないが、W.G. ゼーバルトには、ルソー、メーリケ、ケラー、へーベル、シュティフター、シュニッツラー、ホフマンスタール、ホルヴァート、カフカ、ライムント、カネッティ、ベルンハルト、ハントケ、ゲルハルト・ロート、ジャン・アメリー、シールズフィールド、アルテンベルク、ヨーゼフ・ロート、ロベルト・ヴァルザー等々へのエッセイがあって、でもまだ日本語に訳されていない。
     
    ゼーバルトならば出せばそれなりに売れると思うし、これだけ多岐にわたる作家にふれているとなればなおさらだと思うのだが、気のせいだろうか。専門上、世紀転換期ウィーンの作家たちについてのエッセイは読んであるのだが ― ゼーバルトのドイツ語がもつ凝縮力ってほんとベンヤミンっぽい ― どれもすばらしく、シュニッツラーのなんて、いままでに書かれたどの研究論文よりもおもしろく深いことは断言できる。
    March 24

    高橋義孝 『森鷗外』

     
    ドイツ文学者、でもひょっとしたら横綱審議委員会・委員長としての方が有名かもしれない高橋義孝の鷗外論。東十条の斉藤酒場にもよく出没されていたそうである。新潮文庫のゲーテ、フロイト、トーマス・マンなどは多くこの人の翻訳だから、お世話になっている人は少なくないはず。以前はエッセイ集がたくさん出ていたのに、ついには講談社文芸文庫の 『私の人生頑固作法―高橋義孝エッセイ選』 まで絶版になってしまった。これはほんとうに「文芸」を味わえる本だっただけに惜しい気がする。
     
    『森鷗外』 も絶版だが、神保町にいくとどこの店でもということはないにしてもよく見かける本である。鷗外についての文章が長短あわせて30本ほど収録されている。しかし抜群なのはやはり1954年に出て読売文学賞を受賞した評論 「森鷗外」 で、巻頭におかれ、長さからいっても最もながく充実している。国文学者からは決して出てこないようなドイツ文学者ならではの気づきとアイディアに満ちていて、重厚でありながら江戸っ子の「いき」がしっかりと効いているので読んでいて楽しく、それでもラストでは読む者を泣かせてやまない ― 評論のお手本のような、見事な作品だとおもう。
     
    独文出身者ではあと小堀桂一郎による鷗外研究の重要性はよく知られている。石川淳の鷗外論はもはや古典だしちくま文庫にも入っているから読んだ人は多いとおもう。書きだしの見事さはこれを超えるものはたぶんあらわれないだろう。山崎正和 『鷗外 闘う家長』 も優れている。柄谷行人の 「歴史と自然」 (蓮實重彦はこれを腐していた)や、おなじく歴史小説を論じた斎藤茂吉の 「鷗外の歴史小説」 にも感銘をうけた、が、中野重治 『鷗外 その側面』 にはそのあまりのイデオロギー臭のためにちょっとついていけないところがある。
     
    鷗外研究なんて無限だからきりがないし、玉石混合かたっぱしから読んでいたら人生が終わってしまうのだがそれでも唐木順三の 『鷗外の精神』 をまだ読んでいないのは痛いというか、そんなことで鷗外を語るなと怒られそうである(だってなかなか手に入らないんだもん←図書館にいけよ図書館に!)。とにかく紹介しておいて高橋義孝さんには申し訳ないけれどもいままで読んだ鷗外について書かれた文章のなかでいちばんびっくりし、また圧倒的だったのは 『鷗外の方法』 、蓮田善明である。これはほんとうにすごい著作だとおもうのでだまされたとおもってぜひ、一度。
    March 23

    ドストエフスキのホルバイン

     
     
     
      <ドストイェフスキーの「白痴」の中で、ラゴージンの家の客間には、いろいろな絵がかけてあるが、次の部屋
      に通ずる扉の上方の一枚の絵は、作品の中で最も重要性を持ってるものである。それはホルバインの模写で、
      十字架から下されたばかりの救世主が描かれている。ホルバインの原画について「こんな絵を見たら人は信
      仰心がなくなるだろう。」と作者は語っているが、ラゴージンの客間の中の古びた模写は、果してどんなものだ
      ったろうか。吾々が知るところはただ、その絵が重大な象徴的役目を荷わせられてることだけである。>
     
                                                    豊島与志雄 「形態について」 より
    March 22

    映画 『エフィ・ブリースト』 (2009)

     
     
    先月公開された映画 『エフィ・ブリースト』 (ユリア・イェンチュ主演) のトレーラーです。小説を読まないドイツの学生も 『ブッデンブローク家の人々』 や 『エフィ・ブリースト』 ならば読んでいる人がわりといて、国語の教科書に出てくるからというのもあるのでしょうがいままたこうして映画化されるのは―『ブッデンブローク家の人々』はやはり昨年あらためて映画化されました―よく親しまれている作品だからだろうと思います。
     
    上の写真はファスビンダーのDVDと、岩波文庫のフォンターネ 『罪なき罪 ― エフィ・ブリースト』 です(上下二巻あります)。昨年もアテネ・フランセでファスビンダー映画祭があったようですが僕が同じくアテネ・フランセで 『エフィ・ブリースト』 を観たのはたしか2006年で、4日間ファスビンダーの映画をまとめて流していたのですが若いお客さんがいっぱいで、これくらいたくさんの人がドイツ文学にも興味をもってくれたらさぞか(はかない望みなので以下略)。
     
    なお、ドイツ文学者で映画評論家の渋谷哲也が未来社の小冊子『未来』に連載していた「ファスビンダーと戦後ドイツ社会」はとてもおもしろかったです。また彼には単行本 『ファスビンダー』 (2005年、現代思潮新社)という著作があります(といいつつこちらは僕はまだ読んでいません、紹介にもならない紹介で申し訳ないです)。
    March 21

    ティル・フェルナー

     
    ECMからティル・フェルナーの「インヴェンションとシンフォニア」が出ましたがこれが本当に、すばらしい出来。(ECMはやっぱりハズレが皆無。) フェルナーのECMからのリリースは「平均律第一巻」につづいて二作目となります。シュタットフェルトのようなスター性はないけれどもレパートリーをドイツのものにしぼって、正攻法からしっかりと聴かせてくれるのが僕は好きです。
     
    5月にはまた東京へも行くようです。というのは、トッパンホール(文京区)では彼のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会が進行中なんですね(2008年12月から2010年10月にわたって)。行きたい! 6月にはユリア・フィッシャーも来るということで、いい仕事をしているトッパンホール。
     
      <ティル・フェルナー ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 全曲演奏会 3> 2009/5/16(土) 17:00開演
        ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1
        ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 Op.10-2
        ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3
        ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106 《ハンマークラヴィーア》
     
    March 20

    シュテーケルを引用するサリンジャーを引用する攻殻機動隊

     
    ドイツでも映画館(プログラムキーノ)が劇場版『攻殻機動隊』なんかを流すと、立見が出たりする。それはともかく『攻殻機動隊S.A.C.』の第22話では、『ライ麦畑でつかまえて』で引用されているシュテーケルの言葉がふたたび引用されている。動画8:00あたり
     
    原文および『ライ麦』では: Das Kennzeichen eines unreifen Menschen ist, dass er für eine Sache nobel sterben will, während der reife Mensch bescheiden für eine Sache leben möchte. / The mark of the immature man is that he wants to die nobly for a cause, while the mark of the mature man is that he wants to live humbly for one.
     
    なお、岩波書店から刊行中の 『フロイト全集』 の月報に、平野嘉彦が「フロイトとシュテーケル」を連載中。
     
    March 19

    トーマス・マンが解らない。

     
    ドイツにはビルドゥングス・ロマーンときってもきれないジャンルとして芸術家小説というのがある。ゲーテが書き、100年後にはそれを多分に意識してトーマス・マンが書いた。とりあえず話を20世紀にしぼると、トーマス・マンがこれにほとんど偏執的にとりくんだのは、それは彼の単なる趣味ではもちろんなくて、それこそ「Die Zeit ist aus den Fugen 世界のたがが外れた」ときにそれでも芸術家はどう生きられるか、その問いから去らないためであったことは、その手の本を読めばどれにでも書いてある。第一次大戦がショックであり断層であったのは(これも教科書的だが)、知識人、芸術家の無力が露呈したからで、自分たちはイニシアティヴをとれないということ、たとえば(人文主義的な)知がテクノロジーを動員しコントロールするのではなくて、テクノロジーは知の手綱なんかたんに「知らない」ということのそれは戦慄だった。
     
    このときに積極的にとりうる選択肢はたぶん、大きくいってふたつあった。「役にたたない」ことが判明した以上、人文主義的な知にサヨナラを言って去るか(審美主義)、「役にたつ」知のほうへかじを切るか(コミュニズム)で、ユンガーとルカーチをそれぞれ思い浮かべるといいとおもうけれども、しかしマンの場合はどちらでもなくそのあいだの道をいったようなところがある。20世紀の『ファウスト』ともみなされるマンの『ヨセフとその兄弟』(←ケールマンが読め! と言っていたあれね)の原理としてあったのは、彼の「Umfunktionieren des Mythos ins Humane 神話の、ヒューマンなものへの機能転換」というモットーだったが、ここにもあらわれているとおり、マンは「あえて」人文主義的な知を諦観しない立場をとった。これをだから一概に、保守的だとかいうことはゆるされないが、それでも少なくとも僕にははっきりしないのは彼の1920年前後の転向で、ナチスの根が16世紀ドイツにすでにあるかのように示唆する(『ファウスト博士』)とき、それと『非政治的人間の考察』は彼のなかで矛盾なく両立していられるのだろうか。
     
    しかしそもそもなぜ―そしてこここそがトーマス・マンについていけるかいけないか、好き嫌いがわかれる最大の分岐点だとおもうんだけど―「あえて」人文主義的な知を諦観しないのか。この「あえて」こそ、ロマンティッシェ・イロニーの蘇生ではないのか? ベンヤミンは30年代に、ドイツでは「芸術家としての責任」とか「作家・詩人・インテリとしての責任」というふうに、知的、感性的に上にたつものが社会や歴史にたいして過剰になにかを背負おうとする傾向が強いとして、これを危険視している。要するに、ドイツではほとんど無意識的に、美学的なものが政治的なものに対して優位にたたされる、期待されるということだろう。もしベンヤミンのいっていることが正しいとすれば、責任なんてとろうとしないユンガーなんかよりトーマス・マンのほうがよほど「ドイツ的」であり、危ないということになる。危なくは表面上まったくみえないのだから、よほど危険だということになる。いや、ベンヤミンを俟たずともすでに例えばハイネが、『ドイツ古典哲学の本質』 とりわけその末尾でフランス人に警告するかたちで「ドイツ的なもの」の危険性をうったえている(どうでもいいがハイネのこの箇所はじつにカッコイイ)。
     
    ドイツ文化は16世紀に、世界史的にも重要な二つの人物形象をもつにいたった。ティル・オイレンシュピーゲルとファウスト博士である。前者がトリックスターでありピカレスク小説の系譜に連なるもので起源的にもカトリックの色調を強く帯びているのに対し、後者はきわめてプロテスタントな背景をもつとされるがおもしろいのはそれがピカレスク小説のようには特定の文学ジャンルに定着しなかったことで、叙事詩でとりあげられもすれば抒情詩もあり、ゲーテのように悲劇にもなって、この事実だけからも、とにかくファウスト博士その悪魔との契約ということの不気味さというか手にあまる感じがつたわってくる。いずれにせよこの両極的な二つの形象が生まれた同じところにドイツの人文主義も芽生えたのであって、マンの小説にこの両極が変奏されるかたちでくりかえしあらわれるのはだから決して偶然ではない。トーマス・マン研究のことは僕は知らないがこのあたりのことはおそらく論じつくされていることだろう。マンの小説の人物たちがある特定の時代の特定の思想、表現としてきわめて作為的なかたちで登場してくることは 『魔の山』 でもおなじみで、ハンス・カストルプにかぎらず僕たちはいわば主人公とともに中世から近代まで、あらゆる時代とその表現の「チェンジリング」をサーフィンするのである(あまりにも冗長なそのサーフィンを退屈と感じる人が多いのも事実ではあるが)。
     
    ドイツに特有な精神をあらわす概念として、「マイスター的なもの」というのがある。むろん世界史の教科書でも習うマイスター制度からきているのだが、制度が概念をつくったのか精神が制度を生み出したのか、これをいってみてもはじまらず、気になるのはこれと「ファウスト的なもの」との関係の方である。 ルターの精神の、あの悪魔的なまでの妥協のなさを思い浮かべてほしい。完膚なきまでに、仕上げ、つきつめる(zur Spitze führen)のがマイスター的であるということだとすれば、ここからレーヴァーキューン(シェーンベルクがモデル)まで、あるいはそれを超えて、ひとつの系譜がみえてくる。ビルドゥングス・ロマーンのビルドゥングとは陶冶することであり、その代表例ゲーテの 『ヴィルヘルム・マイスター』 の世界はマイスター的なものを物語の動力としている。ワーグナーの 『マイスタージンガー』 が、ゲオルゲ・クライスの、ゲオルゲをマイスターとする秘教的な徒弟制度が、そして音楽において美学的プロテスタンティズムをつきつめた結果、十二音技法にたどりついたシェーンベルクがこれに加わるだろう。「マイスター的なもの」にみられるこのようなデモーニシュな力が、「ファウスト的なもの」と踵を接していることは、連想として、ぼんやりとした感覚としてはわかるのである。そうだとしても、マンの小説でそれらがヒューモアなもの/ヒューマンなものと相俟って、あるいはせめぎあってそれを僕たちが目撃するとき、そこで何がおきているかはしかし少しも自明ではない。マンだってべつに答えをだそうとしたのではないだろう、だけれども彼はドイツ人に、あるいはたんに彼の読者に、いったい何をみせようとしたのか? トーマス・マンが解らない。しかし、トーマス・マンが解らないということはドイツが、そしてドイツ人が解らないということでもある。
    March 18

    川村二郎の仕事(11)―『イロニアの大和』

     
     
    大和ということの美しさを云うこと、保田與重郎はただその一心だったんだというある先輩のことばが強烈に記憶にのこっていて先輩というのはヘルダーリン研究者であり、その彼もまたよい本だといっていた保田與重郎論が 『イロニアの大和』 で、きょうは川村二郎の仕事を紹介する第11回目。とりあえずは今回でこの企画は最後、ということにしたいと思います。それで最後にとりあげるとなればふさわしいのはやはり保田與重郎論ではないでしょうか。2003年に出た 『イロニアの大和』 を彼の総決算とみなしたくなるのは、内容はもちろん、その発表年と、そもそも彼の文藝批評が保田與重郎とともに始まっていたからです。目次は以下のとおり。
     
      1 吉野                            9 奈良
      2 後南朝                      10 東国
      3 神器                          11 ヘルダーリン
      4 天誅組                      12 イロニー
      5 十津川                      13 ゲーテ
      6 山処                          14 ナポレオン
      7 天平                          15 後鳥羽院
      8 山田寺                      16 ヤマトタケル
     
    保田與重郎がヘルダーリンに親和したのはヘルダーリンがただただ清らかな詩人であったからで、ヘルダーリンは古典主義なのかロマン派なのかヘーゲルとの関係はフランス革命との関係はといった争奪戦にはいっさい興味はなかったのでした。ヘルダーリンにイロニーはない。イロニーを超えたところからその言葉は発されているのであり、清らかであることと詩人であることがおなじ一つのことであるのは保田與重郎にとってしぜんでした、後鳥羽院からもそれはよくわかることだと思います。そうすると、保田與重郎のイロニーだとかいって日本浪曼派にくくりつけて、便利にレッテルをはってすませてきたことがいかに思考停止であったかがわかります。
     
    ドイツ・ロマン派→日本浪曼派に影響→日本浪曼派のイロニー→保田與重郎のイロニーという、たんに事実として間違っている図式を固めてしまった橋川文三 『日本浪曼派批判序説』 の罪は、大きい。
     
    保田與重郎にイロニーなんてない。逆にいうと、しかしだからこそ保田與重郎は危険なのです。イデオローグであることさえ超えてしまうのが詩人であり、ヘルダーリンの清らかさもまさにその点にあるといってよい。
     
    その上で、にも係わらずなぜ、「イロニア」の大和なのか。それは本書をひもといてみてくださいとしかいえないのですが、僕自身は「大和ということの美しさを云うこと、保田與重郎はただその一心だった」という先輩のことばに尽きると思っています。たったひとつのことだけ云えば、それでよい。そんなたったひとつの言葉があるかどうか。 ある、とわかりきって、信じた人がいたということが僕たちにとってはしかし大事なのではないでしょうか。
     
    本書は、桶谷秀昭 『保田與重郎』 そして福田和也 『保田與重郎と昭和の御代』 とならぶ名著で、ほんとうにどれも甲乙つけがたい。なお、新学社の保田與重郎文庫・第2巻 『英雄と詩人』 (ヘルダーリン論ふくむ)の解説を川村二郎が書いているのはまさに適任というほかはなく、また、これはすでに以前エントリーしたことですが、講談社文芸文庫の 『保田與重郎文芸論集』 の編集・解説も川村二郎でこちらもたいへんに読みごたえがあるので、ぜひ参考にしていただければと思います。
    March 17

    ファウストは、クラナドである。

     
     
    番外編をのこしてはいるものの、第二期クラナドもおわってしまいましたー。世界中で流された涙をあつめてみるといったい何リットル分になるんだろーか。とりあえずドイツでの反応をざーっと眺めてみた。翻訳して要約したらウケはいいかもしれないですね! だが断る。
     
    ともあれ、みた感じではこっちではあの両義的なハッピーエンドがいいという人もいればつまらないという人もいて、わかれてはいても(そりゃそうだろうな)、それでも第一期クラナドよりはほめている人が多いのは間違いないでしょう。どうなんでしょうか、でも Air の方がやっぱりリードしてるかなあ。
     
    僕自身はだんぜん Air 派だったのですが、今回のAfter Storyにはけっこうウルウル感動してしまいました。だってこれはもう 『ファウスト』 にしか思えないだろ! 既視感であべし・ひでぶ状態。というかぶちあけ、ファウストがクラナドなんである。(ここでドイツ文学者からモーレツな野次)
     
    <ゲーム、アニメ第一期、第二期>がそれぞれ<民衆本、ゲーテによる第一部、第二部>に相当している、というのがウソだと思うならユングの論文 「心理学と文学」 を読んでみるべし。いや、ちょ、ほんとまじで。とくに「心理的」と「幻視的」の区別のところ。ファウスト第一部が前者、第二部が後者に相当。
     
    それにメフィストなんて、あれは可能世界から可能世界へとジャンプするというか、「リセット」を可能にする審級として機能しているし、グレートヒェンの嬰児殺しそれからヘレナが生んだ オイフォーリンの死は、朋也による育児放棄=存在否認それから汐の死として反復しているし、有名なせりふでファウストが「ああ、決して生まれてこなければよかった!」というとき、それはループから逃れられない朋也の叫びそのままだし、同じくめちゃくちゃ有名な「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」にしたって、とりあえずのハッピーエンドが実現された 「ひとつの」 可能世界に対して吐かれうることばとしてしか、意味をとれない。
     
    というわけで結論: やっぱりファウストはクラナドだったのである。それにしてもブログのドイツ人も書いてますけど、ひとり風子だけが大人にならない・なれないですよね、これはどういうことなんでしょうか。ホムンクルスが風子なのか!?
    March 16

    クリスタ・ヴォルフ80歳、あるいは村上春樹の「卵」と「壁」

     
    あさって3月18日でクリスタ・ヴォルフが80歳をむかえるということで、さいきんインタビューをうけた彼女のようすが3 Satで放送されました
     
     
      自らが生み出した破壊的な事物と物化された諸関
      係からなる世界の真ん中に、 とても壊れやすく、
      人間が立っている。 そしてその傍らには文学、こ
      れもまた脆いもの。
     
       クリスタ・ヴォルフ、フランス芸術文学勲章受勲演説(※藤井啓司訳)
     
     
    ※藤井啓司 『歴史の此岸 歴史の彼岸 ― 近現代ドイツ文学論集』 (2008) 所収、「ドイツ統一と文学の現在 ― クリスタ・ヴォルフをめぐる論争について」 より。
     
    引用したヴォルフのことばは1990年のものですが、先日のエルサレム賞の授賞式で村上春樹が「卵」と「壁」の比喩で講演したその内容を読んだとき、僕ははっとしたのでした。もちろん、ヴォルフと村上春樹はおなじことを語っている、とまではいえないし、いってみてもしかたがないのでしょう。しかしヴォルフもまた、人間自身がつくりだしたシステムという「壁」―彼女の場合はベルリンの壁でもあったわけですが―の前では壊れやすく脆い存在であるほかない「卵」を、みずからの文学の正面にすえてきた人であることを考えるとき、なんともいいがたい気持になってきます。
     
    だって、かたや東ドイツとともに過去へと抹殺され、かえりみられることもない作家のことばが、いまこうして世界的に注目をあびる日本の作家のことばとだぶってきてしまうということ、この居心地のわるさみたいなものは、いったい何なのか。
     
    ウェブ上でも村上春樹の講演の是非について議論がたいへんにさかんですが、それよりも、いったい何が、ヴォルフ(というより彼女が代表するもの)とハルキ・ムラカミをかくも隔絶させているのか、そのことを僕は知りたいし、考えたい。いや、そうは離れてはいないものを離したがっているのは、じつは読者の方かもしれないのです。
     
    「卵」の側にたつと述べた村上春樹を支持するのなら、そしてそういう人が実際に多数派であるようですが、システムの前に「やぶれさった」ヴォルフを読むのをやめないことこそが、「卵」の側にたつことでしょう。それなのに、それをしないということは、そして見たいものしか見ないということは、口では「卵」「卵」といいながら、ほんとうはしっかりと「壁」を補強する側に回ってしまっているのです。
    March 15

    ステレオ・トータル

     
    フレンチ×ジャーマン・デュオのステレオ・トータルのWir Tanzen Im 4-eckです。フランスはブザンソンに留学していた仏文の友達から教えてもらってCDかしてもらってききまくったのもはるか昔の7年前かあ。
     
      wir tanzen im 4-eck
      wir tanzen konzentriert
      ich tanz mit dir
      du tanzt mit mir
      ich du ich du ...
      ich du du ...
      wir tanzen konzentriert

      das ist meine liebe zu dir
      ich will dich abhängig machen von mir
      du sollst genauso sein wie ich
      du sollst mein zwilling sein
      das ist meine liebe zu dir
     
    それはともかくこの歌詞の内容とビデオのつながりぐあいがまったくもって意味不明。ヘンタイ日本人に変態オジサンでそろいもそろってへんたいばっかりじゃないか。けしからん。じつにけしからん。
    March 14

    川村二郎の仕事(10)―『アレゴリーの織物』

     
    10回目のきょうは、ドイツ文学論集にしてベンヤミン論の 『アレゴリーの織物』 です。「群像」連載のエッセイをまとめたもので、川村二郎の代表作といっていいかと思います。彼の仕事は膨大なのでどれから読み始めればと迷ったときには、あるいはどれか一冊を選べといわれたら(少なくとも僕は)本書から読むことをおすすめします。ほんとうにエキサイティングかつ勉強になる本で、げんざい絶版なのがただただ残念なのですが、大学院入試の前に古本屋でこれをみつけて読み始めたらとまらなくなってしまって気づいたら朝方だったのを今でもよく覚えているのは、集中力がまったく続かない僕にはこんなことはまったく珍しいことだからです(笑)。そしてこれが僕にとっては川村二郎の文章を読んだ最初でした。
     
     目次
        ベンヤミンとゲオルゲ
        バロックの探究
        ベンヤミンとバロック
        影のゲーテ
        ヘルダーリンの冷静
        アレゴリーとシンボル
        カフカの沼
        「せむしの侏儒」
     
    ゲオルゲ・クライスとベンヤミンの「かけひき」から入って、『ドイツ悲劇の根源』における「バロック探究」を探究したあと、ベンヤミンがおそらくは最も愛した作家であろうゲーテにふれ、ゲオルゲ・クライス他とのいわば「ヘルダーリン争奪戦」を闘うベンヤミンを注視しつつ、カフカの「沼」に始原とアクチュアリティをかさねみるこのユダヤの批評家が論じられるとき、アレゴリカー=アレゴリーの織物師としてのベンヤミンの輪郭がはっきりしてくるのが読んでいて実感できるようで、ベンヤミンが論じるこれら作家たちは川村二郎が日本語に訳しまた論じてきた作家たちばかりでもあるので、その定着した手ざわりが心地よいのは「信頼できる」という心地よさであるような気がするのです。
     
    いちばんはじめに僕は川村二郎のように研究・翻訳・批評をすべてやってのけられる人はあまりいないと書いたわけですが 『アレゴリーの織物』 が代表作であるのはそういう意味で彼の研究・翻訳・批評の集大成であるにちがいないからです。そして「信頼」というものは、それがあるとすれば、こういうところにしかないと思う。
     
    法政大学出版局からは川村二郎訳(共訳)の 『ドイツ悲劇の根源』 が、また日本における第一次ベンヤミン・ブームを可能にした晶文社の 『ベンヤミン著作集』 にも彼は訳者・編者として深く係わっています。
     
    ところで 「複製技術時代の芸術作品」 のなかで建築のメディア性について触れられる箇所がありますが、あれはユゴーの 『ノートルダム・ド・パリ』 からきているのですね、知らなかった。さいきん自分のなかでユゴーが気になるのであれこれ読んでいるうちにそうと知ったのですが、言われてみればそうかと思うことも普段は気づかないものですね、アーメン。
    March 13

    E.T.A.ホフマンを介さない猫

     
    スキュデリ嬢といえば、鷗外に、それにブロッホの探偵小説論がおもしろい! 光文社古典新訳文庫からホフマンの 『黄金の壷/マドモアゼル・ド・スキュデリ』 が、新潮文庫からは巽孝之訳の 『ポー短編集(1)』 が出たということで、
     
      先生は昔し烏を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌をやって放し飼にしたのである。
      先生と烏とは妙な因縁に聞える。この二つを頭の中で結びつけると一種の気持が起る。先生が
      大学の図書館で書架の中からポーの全集を引きおろしたのを見たのは昔の事である。先生は
      ポーもホフマンも好きなのだと云う。この夕その烏の事を思い出して、あの烏はどうなりましたと
      聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留ったまんま、翌日に
      なると死んでいましたと答えられた。                
     
                                           夏目漱石 「ケーベル先生」 より
     
    ケーベルは特殊な例かもしれないけどお雇い外国人教師の好みというのは、あんがい日本人の歴史にとって大きい意味をもっていたような気がする。漱石の『猫』だって、ケーベルの好みがちがっていたらどうなっていたかわからない。そもそも当時のお雇いは、すべてがそうとは決していえないにしても、優秀な人が多くやってきたし、政府もそのぶん高い給料を支払った。そうでなければ誰も危険を冒して極東の島国にまでやって来はしなかったろう。エリートがエリートに教えを施すことになるので、大学はとうぜん生きる。
     
    昨年夏に日本に帰ったときの学会で、日本の大学で教えているあるドイツ人が、漱石の『猫』とホフマンの『牡猫ムル』の比較研究みたいなものを発表していた。いったいいつの時代のことなのだろう・・・それでさらに驚いたのは漱石が小説のなかでホフマンに直接ふれていないので漱石がホフマンを意識して書いたかどうかは推測するしかないというのである・・・。日本文学専門の研究者でないとはいえ、それはいくらなんでも痛すぎる・・・。したがって―と順接の接続詞になるのだが―お雇い外国人が給料や条件の面で不満を漏らしている、と耳にすることは多い。もうなんていうかここに、ケーベルの時代の大学 とのちがい全てが、凝縮している。
     
    March 12

    マールバッハ滞在記

    (マールバッハのマルクト付近では、シラー生誕250年を告げるフラッグがいくつもはためいていた)
     
     
    3月9日
    サービスはそのまま、運賃は上がるいっぽうのドイツ鉄道、のICEでシュトゥットガルトへ。Sバーンに乗り換えてマールバッハまでは30分。ネッカー川を見下ろしながらまずはホテルへ。チェックインをすませ荷物をおいたあと、パンをかじりながら文学資料館へむかう。街中のホテルから歩いて10分。
      資料館に研究滞在中の先生(『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』の著者)にお会いする。資料館を案内していただいて、夕方までいろいろ調べ物をする。ここは文学の資料という点ではドイツ有数の地。研究者にとってはウハウハ。シュニッツラーの資料も未公開のものふくめ膨大にアリ。夜は先生とビール、食事等。先生からたっぷりお話をうかがうことができ、貴重な時間であったと同時に、真の研究者の凄さに自分の未熟さを痛感するばかり。
     
     
    3月10日
    隣接の文学博物館で生誕250年のシラー展をみたりする。マールバッハは僕は二度目だが初めてきたときはこの建物はまだなかったと記憶する。シラーの生家は行ったことがあるので今回はパス。昼前から夕方までは資料館で調べまくる。コピーをとる。閲覧を申請してあったシュニッツラーの手稿も無事に手にとれたので閲覧室でチェックしてゆく。とにかくここでしか見れない・読めないものをスピーディにインプットしてゆく。思ったよりはかどって、当初の予定よりもずいぶん余計に資料にあたれたので、収穫はおおきかった。夜はGlockeという店で地元料理などをいただく。先生とはここでお別れ。
      ※資料館については利用法など書いておくと、これから訪れようという人の役にたつかもしれないので、また別枠でエントリーします。
     
     
    3月11日
    平日の朝なのでホテルの朝食ルームには他に誰もいず、ゆっくり食べていたら係りの人が果物を切ってその場でジュースを搾ってくれた。ためだけに手で搾ってくれたそれはとても美味しかった。マールバッハからSバーンでシュトゥットガルトへ向かう途中、ルートヴィヒスブルクという町で下車。大きなレジデンスがあるということで先生にすすめられて見に行ってみた。日本のガイドブックにはのっていないけど見るべき町はとうぜん、このように無数にある。
      さてテュービンゲンへ到着。じつは、不覚にも、初めてである。とにかく美しい町だった。品のある町でこういうところで学生生活を送れる人はうらやましい。見かけはしなかったが、日本人留学生も多いのだろう。町をずっと見てまわり、この日マンハイムから資料収集でテュービンゲン大学に来ていた友人と合流する。一緒に昼食。しっかり食べた挙句、イタリアンだったのでデザートにティラミスとカプチーノまで頼んだら、お店の人が喜んでくれた。こんなに食べるアジア人は珍しいのだろう。そしてお約束のヘルダーリンの塔など見てマンハイムへ。
      マンハイムまでは3時間。着いてタイ料理屋で夕食。なぜか大江健三郎についてえんえん話す。どうしてそういう話になったのかよく覚えてないのはたぶん、酒のせいではない。そのまま友人宅に泊めてもらう。
     
     
    3月12日
    マンハイムは2回目。路面電車でハイデルベルクへ向かう。こちらはもう4回目。しかし何度きてもロマンティックな町であることは否定できない。ユゴーの『ライン河幻想紀行』のなかのハイデルベルクの記述を思い出しながら、そうして帰途につく。夕方、ヴッパータール着。