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    February 28

    スローターハウス5

     
    映画 『スローターハウス5』 (1972) のトレーラー。ドイツ映画じゃないけどドレスデンってことで。ヴォネガットもドイツ系ってことで。あと音楽はもちろんグールドね。
    February 27

    川村二郎の仕事(7)―ルカーチ『魂と形式』

     
    ルカーチの『魂と形式』です。ルカーチについては『限界の文学』のなかでも書かれていましたが訳業も川村二郎の重要な仕事であり、『魂と形式』は共訳ではあっても彼の日本文藝への貢献であることに変わりはありません。
     
    さて、『魂と形式』といえば、いわくつきの書。ルカーチ最初期の作品(1911)ですが、これの原書がなかなか手に入りません。ルカーチ著作集に収録されていないからです。著作集は18巻からなるのですが、1巻と3巻はいまだに出ていない。(というかこれからも出ない。)
     
    これは僕の記憶では、ルカーチは(じゅうぶんマルクス主義的でない?)初期作品が著作集に収められることにOKを出さなかったからで、というわけで原書『魂と形式』―ほんらいならば「魂たちと諸形式」と複数形―を参照するだけでもけっこう困難なのです。引用はみんな1911年版によっています。
     
    それがこうして日本ではルカーチ著作集の第1巻として出ていることはとてもありがたいし喜ばしいことなのですが、これも今では古本でかなりの高値がついています。
     
             目次
            エッセイの本質と形式について  レオ・ポッパーへの手紙
            プラトン主義、詩、そして形式    ルードルフ・カスナー
            生における形式の破砕                  セーレン・キルケゴールとレギーネ・オルセン
            ロマン派の生の哲学について    ノヴァーリス
            市民性と芸術のための芸術        テーオドル・シュトルム
            新たな孤独とその抒情詩             シュテファン・ゲオルゲ
            憧憬と形式                シャルル=ルイ・フィリップ
            瞬間と形式                リヒャルト・ベーア=ホフマン
            富、混沌、そして形式         ロレンス・スターンについてのある会話
            悲劇の形而上学について            パウル・エルンスト
     
    リヒャルト・ベーア=ホフマンを選んでくるあたり、ため息が出ます。シュトルム論には有名な「形式なき形式」が出てきます。『魂と形式』からトーマス・マンの『ヴェニスに死す』が生まれたことは有名ですし、『魔の山』のナフタは、あれはルカーチがモデルであります。
    February 26

    リーメンシュナイダー/古井由吉

     
    NHKの「世界・わが心の旅」で、古井由吉がドイツでリーメンシュナイダーについて語る回があったのをよく覚えている。彼は闘病中、リーメンシュナイダーがこころの支えだったようだ。調べてみたらタイトルは「ドイツ 中世の祈りのかたち」で、放送日は2003年4月22日とのこと。
     
    NHKアーカイヴスといっても、こういうのをもう一度観たいときに再放送をまったり現地まで足を運ばなければならないのは、ちょっと白ける。受信料をちゃんと払ってる人にはウェブで再生できるようになればいいのになあと考えたりするのはワガママなのだろうか。
     
    リーメンシュナイダーは僕はヴュルツブルクとローテンブルクでみた。むろん、そんなのは自慢にもなんにもならないので、この人はすごい。写真のCDはナクソスで、「リーメンシュナイダーの時代の音楽」という素晴らしい企画。本を読む時に流すのに、ちょうどいい。
    February 25

    探偵小説―詩学・理論・歴史

     
    ヨッヘン・フォークト編の『探偵小説詩学・理論・歴史』(1998)です。いい本です。タイトルの通り、探偵小説について書かれた文章を集めたアンソロジーであり、多角的なので非常に重宝します。これ、翻訳したら売れるの確実だと思うんだけど、気のせいでしょうか。
     
    ベンヤミン、クラカウアー、ブレヒトエルンスト・ブロッホリヒャルト・アレヴィーン、F・キットラーといったドイツの探偵小説理論のほか、ドロシー・L・セイヤーズロジェ・カイヨワ、ウンベルト・エーコ、カルロ・ギンズブルク、フレドリック・R・ジェイムソントドロフらの論考も収められてます。
     
    ギンズブルクそしてブロッホがとりわけ優れていると思いますが、しかし他の追随をゆるさないのがこれ。クラカウアーの『探偵小説の哲学』(Der Detektiv-Roman. Ein philosophischer Traktat, 1925)。僕の知るかぎりではこれを超える探偵小説論はまだ書かれていません。ミステリー好きは必読。というかこれだけ読んでおけばあとは何とかなります。

    アウトバーンでパリへ、もしくは反プロイセン小説理論

    じつはこの週末は、車にのっけてもらってパリへ行ってきました。デュッセルドルフから、ユゴーの『ライン河幻想紀行』にも出てくるアーヘンを通ってベルギーに入り、リエージュ、モンスなどを経て、パリへは環状線・リングからバスティーユ広場あたりに入ってゆくことになります。
     
    国境のコントロールはもちろんないのですが、国が変わったことが分かるのが道路を通してであることが面白いです。フランスもベルギーも高速道路ぼっこぼこ。道が悪い。それがドイツに入ったとたん、道がなめらかになって振動・騒音がなくなります。こういうところにこそ国がらが出ていて、アウトバーンはやはり凄いのだなあと感動をあらたにしました。
     
    やはりというべきか、パリでは飲んだくれていたわけですが、贅沢をして高めのワインとチーズでやっていたら、こんなにおいしいけど道が最悪の国と、道は上等だが食べ物はそれほどでもない(でもビールおいしい)国とどっちがいいだろうかとまさにどーでもいいことを考えているうちに時間は流れ。二日酔いの朝にのむカフェオレ、これがまた犯罪的においしかったのです。
     
    基本的にアルコールと文学にしか興味がないので、ということは文学の話もしなければならなくて、町を歩いてああ、ここが『感情教育』のあのシーンの舞台かと、わりと真面目に修学の旅行でもあったのだと言い張りたいのですが、僕の師事しているシェッフェルさんはバルザック研究家でもあって、だからバルザックの小説のことを考えながらフラヌールしてました、とでも書けばちょっとかっこいい気もするのでそういうことにしておきましょう。
     
      
     
    レクラム文庫から、シェッフェルさんがドイツ語に訳したバルザックが出ています。左は『ウージェニー・グランデ』。右は『あら皮』です。どちらも好きだなあ…。巻末のシェッフェルさんの解説も大変いいのですが、彼には「バルザックのパリ」という素晴らしい論文があって、こういうのを読むとドイツ語やっててよかったという気がしてきます。
     
    それで今日、彼と話していて話題はドイツのリアリズム小説で、みなさん御存じのとおりドイツにはビルドゥングス・ロマーンの歴史があって、これがヴィーラントからトーマス・マンにまでのびており、理論的にそれを支えたのがそれぞれブランケンブルクであり、またルカーチなわけです。
     
    ビルドゥングス・ロマーンのテロスが不全をきたすのがモデルネで、カフカもシュニッツラーも「発展」を書けなくなる。これが教科書の説明です。しかしまさにこういう見方こそ「ビルドゥングス・ロマーン的」ではないのか、ということで話がもりあがってきました。
     
    例えばバルザックの同時代人にグツコーという人がいる。ハイネらとともに青年ドイツ派にくくられている作家です。彼に「並列の小説」というすごく面白い批評文があって、彼はそこでヘーゲルを、そしてプロイセン的な小説観を批判している。そして実際に『精神の騎士』という9巻本の小説を書いていて、それは「並列の小説」の実践をねらったものでした。
     
    これは世界精神に顕著な通時的発想へのプロテストです。だとすれば、モデルネとはこのプロテストの拡大であって、なにも新しいことではない。つまり、ビルドゥングス・ロマーンの歴史と並行して、「並列の小説」的な歴史が走っていたのであり、それをみずに歴史を一本の線でとらえることこそ悪しき目的論なわけです。
     
    それでも話は済まないのが現実で、第一次大戦まではドイツ語圏の首都はウィーンでした。プロイセン/ベルリンなんてそれに比べれば田舎だった。そういうなかで生き残りをかけてプロイセン的な理念(ナショナルで、プロテスタント)をもった小説が書かれたことを一概に批判することはできません。いっぽう多民族国家の首都でありカトリックであるウィーンの19世紀が文化的にはむしろ貧しくて、反プロイセンの小説理論や理念が生まれてきたのがあくまでドイツ国内だったということも事態を複雑にしています。(国内という言い方も微妙なわけですが)。
     
    とにかくはっきりしていることは、ドイツのリアリズム小説は見た目ほど貧しくはないということ、とくに理論面においてそうなのです。ロマン主義と世紀転換期にはさまれた時代にはワーグナーしかいなかったように思われがちだけれども、ハイネとかビューヒナーとかグツコーとかフライタークの播いた種があったからこそいわゆる「クラシック・モデルネ」が花開いたと考えるほうが実際に近いということです。
     
    というわけで、シェッフェルさんとの話を整理するとこんな感じ。「並列の小説」の系譜・・・グツコー、フォンターネ、シュニッツラー、デーブリン、フリード・ランぺ、ヴォルフガング・ケッペン。エッセイスムスの系譜・・・ムージル、ヘルマン・ブロッホ。
     
    それでカフカは? 僕にはよくわからないですがシェッフェルさん曰く。「たとえば『失踪者』をみてください。あれをビルドゥングス・ロマーンじゃないと言い切れるかどうか。カフカの新しさをいいたい人はいつもカフカにおけるビルドゥングの挫折をいいますけど、しかしこの観念はモデルネがやってきたくらいではそう簡単に野たれ死にするようなものではない、そのことをカフカは、理論的にではなく直観的に、知っていたと思いますよ。」
    February 24

    川村二郎の仕事(6)―川上弘美

    異界というと少しく大げさなのでファンタジーにすると、これを書けるひとは数多くいてたとえば佐藤亜紀、また言語そのものによい意味で「神経」質なのも少なくないその例は多和田葉子、池内紀が『バルタザールの遍歴』に解説を寄せ、田中純が『ゴットハルト鉄道』を論じていたりするなかで川村二郎が川上弘美に反応していることはおもしろいしまた、納得がゆくように思うのです。
     
    異界はたんにそこにあるものであって「つくられる」ものではないし、任意亡命にはどこか言語学の論文を作品化したような人工的なものがにおう(倫理臭)。しかし川上弘美の異界はしぜんであり、そのしぜんさをすくいあげられる言語感覚には(多和田葉子とちがって)垂直的な力があります。彼女のばあい「神経」はかみを経るので、横に滑ってはゆかないのです。
     
    つまり、僕は勝手に、川村二郎は川上弘美に巫女をみているはずだと考えているのですが、でも、彼が解説を書いている『龍宮』からはたとえば『海上の道』が響いて来ざるをえない。貝殻に耳をあてて波の音が聴こえるか、聴こえないか。聴こえるはずがないと思う人には川上弘美の神々はどう映るのでしょうか。『神様』に出てくるあの異形の神々は。
     
    踏まれちゃった蛇も、『神様』のなかの短篇「夏休み」も、そのユーモアは内田百閒ゆずり。内田百閒が独文の出身であることは案外知られていませんが(1914年東大独文卒、ドイツ語教師として陸軍士官学校などにも勤務)、川村二郎には内田百閒論もあって、さきほど納得と書いたのはそういう理由です。
    しかし川上弘美は女流文学の歴史のなかにこそ棲んでいて、物語が、始まる。というとき、ではいつから始まっているかというと、
     
       かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語などもとめて見せたまふ
     に、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひな
     どもえせず、誰もいまだ都なれぬほどにてえ見つけず。いみじく心もとなくゆかしくおぼゆ
       るままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せたまへ。」と、心のうちに祈る。
     
    とあって、「この悲しみの色彩が、更級の作者に、源氏の中にむしろ光源氏の実在を空想させた。現実よりも物語の嘘の方を実在とした。この空想はすでに一つの同じ色に描かれる。」と書いたのが保田輿重郎です。とうぜんながらここには現実に空想を対置して満足する類の低級の想像力はひとつもありません。そしてたぶん、おなじことを川村二郎が書くと、次のようになるのだと思います。 
     
     裏が透けて見えるほどに薄い、白い紙の上に、気をつけねばたどれない程度の淡い線で、
     あれこれの図柄が描かれている。下に敷かれた模様をなぞって描かれているのか、とも思え
     るが、紙をめくってみるとしかし、下敷きは見つからない。ただ表の紙の細い描線が、あまり
     に心細げにあえかであるばかりに、それが隠れている何か別のもの、別のゆらぎに触れて
     揺れているように感じられてしまう。
      川上弘美の『龍宮』は、おしなべてこの奇妙なゆらぎを読者に伝えて来る、連続した小さな
     地震の物語である。
     
    この「下敷き」が、物語であり女流文学の歴史なのだと、僕は解しています。そして彼女を通して「連続した小さな地震」をこちらへ送ってよこすのが、時にかわいく、時に戦慄的な日本の神々のおしゃべりなのだと思います。ユーモアと悲しみは、一つのことなのです。
     
    さいごに川上弘美のドイツ語訳を二冊、紹介しておきます。左は最近出たばかりの『中野商店』。右はタイトルがずいぶん変わっちゃいましたが、昨年出た『センセイの鞄』です。
     
    February 22

    志賀直哉シュニッツラー挟んで里見とん

     
    以前こういうのを書いたことがあるのだが、小谷野敦が自身のブログで連載している「里見とん年譜」を読んでいて、1912年のところで
     
      5月7日、志賀、武者ら大勢で有楽座「マグダ」を観る。
        10日、青木、志賀と渋谷に隆三を訪ねると稲生がいる。
        12日、志賀とともに鏡花を訪ねるが不在。
        17日、志賀と溜池の牛肉店。
        19日、志賀の提案で箱根へ行くことにする。
        20日、電話で断る。
        29日、志賀と武者と浅草で映画。
      6月5日、志賀宛葉書、シュニッツラーを一気に読了。その後一向元気が出ない。
     
    とあるのに出会って勉強させてもらった (余談だが、こういう風に引用できるブログってほんとに数少なくて、あとはもう専門も立場も何もない感想たれ流しブログばっかりである)。
     
    それにしてもシュニッツラーの何を読んだのだろうか。鷗外訳の「みれん」が出たのはちょうど同じ年の1月のことだから、これだろうか。それとも何か別のものをやはり英訳で読んだのだろうか。
     
    1912年というとシュニッツラーはちょうど50歳で、その誕生日にはフロイトから手紙が届き、カール・クラウスはあの「ファッケル」に「シュニッツラー祝典」を書いて載せ、誕生日の晩には26ものドイツの劇場がシュニッツラー作品を上演、またベルリンのフィーシャー社からは7巻からなる著作集が刊行され、そういった催し物を避けるようにシュニッツラー自身はトリエステ、ヴェネツィアへ旅に出ていたが、ウィーンへ帰ってみると450通を超える手紙と電報が山をなしていたという。このとき彼の名声はピークにあったのである。
     
    February 21

    ハイネ・シューマン・詩人の恋

    >追記しました
    きのうの記事に続けると、ラインということでまっさきに思い浮かべるのは『詩人の恋』で、ユゴーのあの本とは成立もほぼ同時期である。ハイネの生まれたデュッセルドルフはシューマンが生活した町でもあり、またラインに身を投げたその町もデュッセルドルフであった。『詩人の恋』では「ライン、聖なる流れに」が第六曲としてあり、ケルンとケルンの大聖堂をうたっている。ケルンのフィルハーモニーでは開始ブザーの代わりに交響曲「ライン」が流れていたが、いまでもそうだろうか。
     
    僕がシューマンの「『ファウスト』からの情景」を初めて聴いたのは、ボンはパリーザー・シュトラーセ近くの教会か公会堂のようなところで、ボンはベートーヴェンの町であると同時にシューマンの町でもあり、自殺をはかったシューマンが助けられて収容されたのがこの町のエンデニヒにある精神病院だった。僕は当時この近くに住んでいて、エンデニヒには古い映画をながすよい感じでやる気のない映画館があったのでよく夜に通ったのだが、そのときに自転車でいつも通り過ぎたのが写真のいまはシューマン・ハウスである。
     
    ところでハイネの批評性はロマン派でありつつロマン派を内側からくつがえすその内破の力にあるとされていて、そういう詩を『詩人の恋』でシューマンがふさわしく扱いきれているかが問題だというけれどもこれはおかしな話で、シューマンにとっても地面の下はがらんどうだったのであり、どうして彼の音楽には沈んでいくような瞑想も落ち着きもないのか、それを考えればハイネにはあるイロニーの欠如とかをいうのは当たらないことが分かってくる。
     
    しかしそもそもロマン派的でありつつロマン派的でないとは、どういうことなのか。こういう言葉にはいかがわしさがあるので、ちょっとでも素直に考えてみると分からなくなってくるのが本当ではないだろうか。たとえば第五曲「心を潜めよう」の詩で、
     
      Ich will meine Seele tauchen
      In den Kelch der Lilie hinein;
      Die Lilie soll klingend hauchen
      Ein Lied von der Liebsten mein.

      Das Lied soll schauern und beben
      Wie der Kuß von ihrem Mund,
      Den sie mir einst gegeben
      In wunderbar süßer Stund'.
     
    ここには批評性もイロニーもないことは動詞をみても分かる。この中には事実を記した言葉はeinst gegeben(かつてあった)しかなく、「かつてあった」はまさしくロマン派がみた夢であり、夢であることで事実を揚棄しに返ってくる。「かつてあった」は本当はあったのか、なかったからこそ、なのか。分からなくなってくるとはそういうことで、そうでなければ200年をかけて読まれ聴かれる詩というものはもとよりありえない。
     
    なにを言っているかというと、分からないことになにも答えを出そうというのではない。ただハイネが二つの顔をもっているという図式のウソをただしたいだけだ。ロマン派的でないことをも含むというのがロマン派でありその発明だった。そして国民はそのことを意識せずとも生活のなかでよく心得ていて、ただハイネを好きだったから、彼がユダヤ人であってもそんなことは気にしなかった。たとえハイネの方で気にしていてもそうなのである。
     
    ナチスはハイネの書を焼いた。だが、「ローレライ」の詩を焼くことはできずに、ハイネの名を消して「作者不詳」としてうたいうたわれることをゆるした。これは事実である。それくらい親しまれていたからこそ「ローレライ」は焼けなかった。作者不詳とされても、けっきょくナチスはハイネを焼けなかったのである。
    February 20

    ユゴー『ライン河幻想紀行』

    ロマン主義、炸裂。の一冊。吉田健一がなんと言おうと、こういう19世紀は決して悪いものではない。
     
    僕は知らなかったのだが、ユゴーはドイツ系の血を享けているとのことである。編訳者によると、そのことが彼のロマン主義的傾向、ゲルマン的なものへの憧れとも関係しているという。憧れをドイツ語ではSehnsuchtといって、九鬼周造に「Sehnsucht といふ語はドイツ民族が産んだ言葉であつて、ドイツ民族とは有機的関係をもつてゐる」ということばがある。
     
    ユゴーはブザンソンに生まれたが、僕もこの町を訪れたことがある。シタデルを中心に、まさに幻想的な町であった。あれ以上町が大きいと、そういう雰囲気は薄れてしまうだろう。
     
    「わたしはフランス人でなければドイツ人であることを望む」と書いたユゴーのこの本を、ミシェル・トゥルニエも絶賛している。ユゴーとライン河の出会いを、偉大な詩人と「われわれの文化の源との再会」と言っているところ、こういう余裕がドイツとフランスのあいだにはあったこともひとつの歴史である。
     
    ラインは、ユゴーにはひとつの河ではありえなかった。彼はそこにアダム以前からカエサル、カール大帝、そしてナポレオンにいたるまでの悠久の歴史をみている。そして第一章「ライン・伝説の河」を、こう締めくくっている。上流から河口へむかって、地理的なものを社会から歴史へむかってひらいてゆく想像力、そのおおらかな飛翔をみる思いがする。
     
      ライン河はコンスタンツからロッテルダムへ、鷲の国から鰊の国へ、ローマ教皇と公会議
      と皇帝たちの都市から商人と庶民の売り台へ、アルプスから大西洋へと流れくだる。それ
      はまるで、人類自体が、気高く、不変で、近寄りがたく、清澄で、光輝ある思想から、広く、
      変化しやすく、波瀾万丈で、陰鬱で、役に立ち、流動性があり、危険で、底知れぬ思想へ、
      すべてを受容し、すべてを支え、すべてを豊かにし、すべてをのみこむ思想へと、神政政
      治から外交政治へ、一つの偉大なものからもう一つの偉大なものへと流れくだったのにも
      似ているのである。
     
    February 19

    川村二郎の仕事(5)―折口信夫

    鏡花をあつかった前回を「民俗学的エッセイ」ということで閉じたので、きょうは折口信夫に接げてみましょう。

    川村二郎には折口信夫について書いた文章も少なくないのですが、彼にとって泉鏡花の「春昼」にあたるものが折口信夫の「死者の書」だったといっていいかと思います。それくらいのめり込んでいる。
     
    中公文庫の『死者の書』の解説を、川村二郎が書いています。そこで彼は、『死者の書』は明治以後の日本近代小説の、最高の成果であるとしている。
     
     >初めて読んで衝撃を受けて以来五十余年、その間にはわれながら茫然とするばかり莫大な量の書物
     >のページをめくり、濫読に次ぐ濫読を重ねて来たはずなのだが、『死者の書』は、日本近代小説の世界
     >で「無比」の作品だという思いが消えることはないのである。
     
    それにしても、『死者の書』の一体なにが彼をしてこう書かせるのか。
     
    「小説家」という存在は、「語り手」が絶滅したところから生じ来たるということ、それを云うためにベンヤミンを持ち出す必要はなくて、グリム兄弟の仕事も、というよりドイツ・ロマン派は、民俗・伝承の喪われにじつは動力を得ています。小説家は、語り手を擬態したのです。
     
    『死者の書』にも、例えばこういう忘れがたいフレーズがあります。「新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。」物語に信を置くことが、できなくなってしまったところから、遠野物語も常世の国も生まれているのです。「もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。」
     
    ところが折口が異様なのは、彼の異界との交感力が、諦念を突き抜けてしまうところにある。つまり、物語なら物語を、それが「もはやない」がゆえに信じるといったいわゆるイロニーに留まりえないくらい、彼の巫術はふりきれていた。だから、ドイツ・ロマン派とちがって、彼のばあい語り手が小説家を擬態するということが唯一的に起こり得たのであり、それが小説『死者の書』であり、そこに川村二郎は「無比」をみたのではないでしょうか。
     
    ところで、川村二郎は、折口信夫とは別の人物の作品集の解説で、次のように書いています。
     
     >個人的な話をつけ加えれば、この文章を初めて読んだ時は、まだ釈迢空の『死者の書』も知らなかった
     >し二上山を仰いだこともなかった。しかしその後、『死者の書』に心酔し二上山に何度も登るようになった、
     >そのきっかけはこのエッセーにあると思えば、愛惜の念はいよいよ深まるのである。
     
    「このエッセー」とは、保田與重郎の「大津皇子の像」であり、照応ということがあるとすればこういうことをいうのでしょう。大津皇子が描かれるのが折口の『死者の書』であり、折口が保田與重郎の、感動的なラストをもつこのエッセイを読んで執筆に向かったことはまず、間違いないと思います。そして、保田與重郎から出発した川村二郎ということが、ここにもよく顕れていると思うのです。
    February 18

    長門有希から「読んで。」と頼まれた『精神現象学』

     
    長門有希に「本、読んで。」と頼まれたら、ぜったい断れません。ヘーゲルの 『精神現象学』 は動画1:30ごろから。
     
    『ハルヒ』 の有名な 「サムデイ イン ザ レイン」の回でのあの読書スピード。彼女は 『精神現象学』 をどのくらいで読み切ったのでしょうか。僕は夏に一時帰国したさい、有斐閣から出ている「精神現象学入門」をもってこちらへ戻ってきました。そしてそれを手元に、レクラムの原書を毎日少しずつ読むことにしました。
     
     
    「・・・。」
     
     
    そして気づけば4か月が経過! まだ読み終わりません。というか、まったく分かりません。一生かかっても「理解」は無理のような気がしてきました。や、もちろんストーリーと世界観はふつうにわかるのですが・・・でも・・・ 「精神現象学入門」 なんてほとんど役に立たない・・・というかあきらかに、執筆者たちもお茶を濁してるやん! もっとちゃんと教えてほしかったのに、もうこうなったら長門有希に2:25の表情で講義してもらうしかありません。どうだァ、キモチ悪いだろぅー
     
    ところで巷を騒がせている<「涼宮ハルヒの憂鬱」、4月から「改めて」放送開始>のニュースですが、一期の再放送なのか、それとも新しい続編なのか、はやくはっきりさせてほしいところです。
    February 17

    ミヒャエル・シェッフェル

     
    きのうは、僕が師事している教授のシェッフェルさん (日本ではよく学者連中が「師匠」という言葉を使うけれども、あれってなんかキモいしウザい) とゆっくり話す機会があったのだが、この人はいったいいつ寝ているのかと不思議なのは今回も同じであった。
     
    日本にせよドイツにせよ、大学の先生なんて一般の社会人にくらべればヒマ! というのは20年前はどうか知らないが完全な妄想で、「大学人は社会に出てないから社会を知らない」とか寝言をいう人が今もけっこう多いのはあきれるを通りこして笑える。自分たちだって大学教員(もはや教「官」ではないのです!)の現状について何も知らないので、有能な人はいつだって黙って仕事しているものだ。
     
    しかしシェッフェルさんも最近では学部長させられたりこんなことまでさせられてそのぶん授業の数が激減して、出世はして欲しいけど残念でもあり複雑であるるる。
     
    大学も変わったねとか、けっきょく有能な人に仕事があつまって大変だねとか言っても仕方ないし実際どうでもいいことだが、ひとつだけ確実なのは、もう事務の仕事をできない人はこれから大学にいなくなるので「社会人」のみなさんは安心してくださいね、ゆっくりしていってね! ということである。や、でも半分は本気で言っていて、つまり文系でいうと、めちゃくちゃ文献を読めて研究が天才的でも、それではもう就職できない。
     
    シェッフェルさんの背中をみていていちばん勉強になるのはその総合力で、研究はいまさら言うまでもないし専門のことをここで書く必要もないが、いちどある大きなプロジェクトで、日本でいうと文科省的なところに提出する申請書類を読ませてもらったことがある。役人あいての文書というものはこういう風に作成するのかと目からウロコだった。たしかに、予算をとってくる能力も研究能力と思ってやらなければ、ほかに希望はない。可能性もほかにない。
     
    けれどどこかで、こういう人には予算とか事務とかまったく考えず研究に没入してほしいという気持ちを捨てきれない。とか書いたらこれ、いろいろまたヒンシュク買うんだろうなあ。
     
    彼はいつも仕事しながら昼食をとっている。こちらからメールを出して、6時間以内に返事がこなかったためしはない。そして息子さん二人は「ヴェニスに死す」のタージオのごとく美しくておとなしくて、はじめ女の子かと思った。
     
    そういえば、「ヴェニスに死す」のユニークな読解ものっている彼の著作の翻訳を、まだこのブログでは紹介していなかった。原書の方はもう7版か8版まで出ていて、ドイツの大学の文学部ではもうほとんどカノンになっている。カノンは言いすぎかな?
     
     
    でも素直に、とてもいい本です。いま一冊あまりがあるので、欲しい方は連絡くだされば僕に面識がなくても新品を無料でドイツからお送りします。
    February 16

    イベント告知 「私と桜とドイツ文学」

    講演会のお知らせです。水島氏は早稲田の独文出身だったのですか、そうですか。知らなかった。
     
     
      日時 平成21年(2009)2月21日(土曜)

      場所 文京区 文京シビックセンター(03-3462-0212)地下学習室
      http://www.b-academy.jp/b-civichall/access/access.html

      時間 午後6時-9時(開場5時30分) 会場費1000円 学生500円

      テーマ 「私と桜とドイツ文学」  

      講師  水島総先生(映画監督・チャンネル桜代表)
     
    February 15

    川村二郎の仕事(4)―泉鏡花

     
     
    金沢の泉鏡花記念館へ行くと、館内入ってすぐのところにテレビが設置してあって30分ほどのビデオが流れており、そこでは川村二郎、種村季弘そして坂東玉三郎が泉鏡花への愛を語っている。
     
    種村季弘はたとえばちくまの「泉鏡花集成」全14巻を編集・解説しているし、川村二郎はやはりはやくから泉鏡花を論じていた(例えば 「幻想小説論序説-あるいは泉鏡花の世界」 (『群像』一九七〇年十月)。
     
    このふたりが独文学者だったことは偶然ではないはずで、三島由紀夫が泉鏡花について「言葉と幽霊とを同じやうに心から信じたこの作家は、もつとも醇乎たるロマンティケルとして、E.T.A.ホフマンの塁を摩するものである」と書いてもいるように、ドイツ・ロマン派とはコンゲニアールであった泉鏡花に独文学者が反応するのは、ほとんど必然といってよいのである。
     
    ビデオでは種村季弘は母・水・出生について語り、川村二郎はただ「春昼」の凄さを伝えようとしていたと記憶している。名作名作と騒がれる「春昼」だけれども、彼が語るのとでは説得力がやはりまるで違うのである。
     
    岩波文庫からは川村二郎編の鏡花短篇集が出ていて、解説もたいへん味わいがある。ただしこれには「春昼」は収められていないのでご注意を。またさくねん講談社文芸文庫に入った『白山の水』はべつに熊本の話ではなくて、鏡花をめぐって金沢にはじまり金沢に終わるこれは民俗学的エッセイである。
    February 14

    ドイツ文学ベスト・いれぶん


    ドイツ文学の愛しの作家たちでサッカーチームをつくってみた。後悔はしていない。システムは3-5-2だぉ。以下、「ポジション」 「選手名」 「理由および特徴」 の順です。
     
     ゴールキーパー: ゲオルゲ:       (顔が)いかちーから。
     センターバック:    マゾッホ:       いつも受け身でマゾだから。
     右サイドバック:  ユンガー:        右寄りでしかも引きこもりだから。
     左サイドバック:    ブレヒト:        左で人民戦線を張りそうだから。
     ボランチA:      シュトルム:       地味だけどいい仕事してるから。
     ボランチB:      トーマス・マン:     スタミナだけがセールス・ポイントだから。
     右ウイング:      ムージル:        どうみても特性のある男だから。
     左ウイング:    E.T.A.ホフマン:     レッドカードで一発退場くらいそうなヤバい男だから。
     司令塔:        ゲーテ:         まあねえ・・・。
     フォワードA:        クライスト:         守備になんてまったく興味ないから。
     フォワードB:        ニーベルンゲンの歌: 作者不詳で規格外の大きさだから。(ヘディングに期待)
     
    監督はセルジオ越後で、ホームスタジアムは30万人収容のでっかいのをそうですね、信濃町かどっかに作ろうと考えてます。え? ちょっとおっしゃってる意味がよく分かりません、すいませんほんとにもう。
    February 13

    はいりがー・みすと

     
    さいきんの「オレ」を箇条書きでまとめてみまひた。
     
     1) 海外でひとり生活しながら博論を書くというのは、けっこうまあそれなりにハードなのである。
     
     2) しかし傍目には決してそうはみえないで、狭い日本を逃れての悠々自適の生活にうつる。
     
     3) というわけでインターネットは便利である。メール一本で日本から仕事が送られてくる。
     
     4) もっと悪いことに、みんなが「あいつはドイツだから少し余裕があるはずだ」と考えている。
     
     5) ブログなんかやってるから余計に暇そうに見える。
     
     6) むしろ「お前のことは忘れてないぜ!」 的に恩を着せるかたちで仕事がくる。
     
     7) したがって悠々自適どころか日本にいるころより忙しい気がするのはきっと気のせいではない。
     
     8) こういう事態をヘーゲルは、「悪無限」(schlechte Unendlichkeit)と呼んでいる。(←大ウソ)
     
    しかしあのヘーゲルの憮然とした表情を見よ! ひゃらりら~
    February 12

    ブラームス「深い谷間で」

    僕はヴェルニゲローデ合唱団のCDは全部もってるくらいドイツ民謡を愛してやまない人間なのですが、そのなかでも特に美しいのが 「深い谷間で」 という曲で、ブラームスが歌曲にアレンジしているのでも有名です。ヤノヴィッツが歌っています。詩はシュヴァーベンの方言で書かれていますがこんな民謡をもつことのできたドイツだからこそ、僕はその民俗・伝承をたまらなく好きでいられるのだという気がします。ナイーヴですいません。だけれども実際、こんなにも素晴らしい民謡をこんなにも豊富にもった民族は、ほかにないのです。
     
     Da unten im Tale         
     Läuft's [Lief] Wasser so trüb,       
     Und i kann dir's net sagen,       
     I hab' di so lieb.       
           
     Sprichst allweil von Liebe,       
     Sprichst allweil von Treu',        
     Und a bissele [bisserl?] Falschheit       
     Is auch wohl dabei.       
           
     Und wenn [wann] i dir's zehnmal sag,       
     Daß i di lieb und mag, [magカット]       
     Und du willst [mi] nit [net] verstehn,       
     Muß i halt weitergehn. [weiter halt gehen]       
           
     Für die Zeit, wo du gliebt mi hast,       
     Da dank i dir schön, [Daカット]       
     Und i wünsch, daß dir's anderswo [dir dass jetzt]       
     Besser mag [soll] gehn.       
     
    ヤノヴィッツはほんと神・・・・・日本語訳は動画の字幕にあるので省略するとして、オリジナルをあげた上で、じっさいにヤノヴィッツが歌っている歌詞を聴きとりで カッコ内 に示してみました。民謡なので純粋なオリジナルというのはないにしても、やはりヤノヴィッツが歌っている歌詞のほうがずっとずっといいことは、ドイツ語を少しでもかじった方ならお分かりいただけると思います。(二連目の Falschheit の前は bisserl で間違ってたら誰か教えてください!)
     
    一連で動詞を Lief と過去形にすることで一気に奥ゆきが増して物語性が宿るし、三連では weitergehen のあいだに halt を挟みこむことで、すんなりとはやはり旅立てないためらいを、うまく表現している。一番最後も、mag じゃなくて soll でなければだめですね。そうして初めて jetzt と呼応して、決意というか、悲しみをふりきる「つよさ」が滲み出る。泣いているのに笑っている、その機微があらわれる。
     
    dank i dir schön、ありがとう、というところを聴いてみてください。これほど美しい danke schön は、僕は聞いたことがない。ありがとう、ヤノヴィッツ。
    February 11

    川村二郎の仕事(3)―ヘルダーリン

     
    前回では、川村二郎の批評が保田與重郎からはじまっていることをみました。その保田與重郎が東大の美学科に提出した卒業論文がヘルダーリン論だったことはよく知られています。
     
    保田與重郎だけではありません。川村二郎が訳し紹介していったベンヤミンやアドルノ、さらにはルカーチやハイデガーといったそうそうたる顔ぶれが、そろってヘルダーリン論を書いています。ハイデガーは「ヘルダーリンの詩はわれわれにとって運命である」という言葉をのこしている。伊東静雄もツェランもヘルダーリンの圏域にあります。
     
    川村二郎訳のヘルダーリン詩集(岩波文庫)は、げんざいもっとも手にとりやすいヘルダーリンの一冊だといっていいでしょう。ただ、詩 「パンとブドウ酒」 で、<Aber Freund! wir kommen zu spät.>のところが 「われらは遅刻した」 となっているのは、御愛嬌。
    February 10

    保坂和志のカフカ『城』ノート

    本当は「館」と訳すべきカフカの『城』
     
    きのうのカフカで思い出したのだが、保坂和志が雑誌「新潮」に連載している<カフカ『城』ノート>は、批評と研究が修復不可能なほどかい離した現在だからこそ、とても貴重な仕事だと思う。
     
    いまは批評が研究・アカデミズムを罵り、研究・アカデミズムが批評をみくびる時代で、お互いに馬鹿にしあって、お互いがどんどん貧しくなっている。もちろん昔もある程度はそうだったといえる。しかし文句を言う程度にはみんな相手の仕事を気にし、読んでいたわけで、いまは読んですらいない。たとえばいまこのブログでは川村二郎さんの仕事を紹介してゆこうとしているが、彼のように研究と批評と創作を有機的に結びつけることができる人がいま、いるだろうか。
     
    僕が知らないだけなのかもしれないが、どうして独文学者は保坂和志の仕事に対して沈黙を守っているのだろう。そして逆に、どうして批評を書いている人たちはカフカを、そしてカフカ研究を読みもしないのだろう。
     
    膨大なカフカ研究について僕は無知だけれども、保坂和志が書いていること、最近でいえば例えば『城』の主人公Kはほんとうに測量士なのか? といった問いや、カフカの場合、作者が(トーマス・マンのように)こう書こうと事前に考えているのではなく、一文を書くことによって作者がそれを知り、自分で驚くといったことなど、それはもうカフカ研究では論じつくされた内容であって、何をいまさらというのがカフカ研究者にはあるのかもしれない。
     
    Kが測量士かどうか検証するといっても、人物が小説のどの時点でも同じ人物を指示するという約束が壊れてきた、それこそがカフカでありモデルネの文学だったということは、もはや常識としてある。
     
    にも係わらず保坂和志の仕事が重要なのは、アウェーに出て問いを発しているからだ。「正しいこと」をいうのが問題なのではない。研究と批評と創作、その全体性をどう確保するかといういま一番大きな問題に彼は向かっている。向かっているのだとすれば、研究者がホームにひっこんでリアクションしないのは、失礼であるだけでなく、たんに卑怯である。
     
    少なくとも僕には<カフカ『城』ノート>は発見に満ちている。それはとくに創作者・保坂和志が前面に出てくるときだ。<カフカ『城』ノート>なんて仮に書かなかったとしても僕は小説家・保坂和志が好きだし、けれども現にこうして書いているからもっともっと好きだ。
    February 09

    カフカ・中島敦・メランコリア

     デューラー「メランコリア」
     
    <今彼の読んでいるのは、フランツ・カフカという男の「窖(あな)」という小説である。小説とはいったが、しかし、何という奇妙な小説であろう。その主人公の俺というのが、鼹鼠(もぐら)か鼬(いたち)か、とにかくそういう類のものには違いないが、それが結局最後まで明らかにされてはいない。その俺が地下に、ありったけの智能を絞って自己の棲処(すみか)――窖を営む。想像され得る限りのあらゆる敵や災害に対して細心周到な注意が払われ安全が計られるのだが、しかもなお常に小心翼々として防備の不完全を惧(おそ)れていなければならない。殊に俺を取囲む大きな「未知」の恐ろしさと、その前に立つ時の俺自身の無力さとが、俺を絶えざる脅迫観念に陥らせる。
     
    「俺が脅されているのは、外からの敵ばかりではない。大地の底にも敵がいるのだ。俺はその敵を見たことはないが、伝説(いいつたえ)はそれについて語っており、俺も確かにその存在を信じる。彼らは土地の内部に深く棲むものである。伝説でさえも彼らの形状を画くことができない。彼らの犠牲に供せられるものたちも、ほとんど彼らを見ることなしに斃(たお)れるのだ。彼らは来る。彼らの爪の音を(その爪の音こそ彼らの本体なのだ)、君は、君の真下の大地の中に聞く。そしてその時には既に君は失われているのだ。自分の家にいるからとて安心している訳に行かない。むしろ、君は彼らの棲家にいるようなものだ。」
     
    ほとんど宿命論的な恐怖に俺は追込まれている。熱病患者を襲う夢魔のようなものが、この窖に棲む小動物の恐怖不安を通してもやもやと漂(ただよ)っている。この作者はいつもこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、夢の中で正体の分らないもののために脅されているような気持がどうしても附纏(つきまと)ってくるのである。>
                                                      
                                                      中島敦 「狼疾記」 より