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December 29 マンフレート・シュナイダーが推薦する雑誌「Literaturen」12月号に<クリスマスにおすすめの本>と題して作家や評論家にアンケートした結果がのっていたので、そのなかからきょうはボーフム大学教授、日本ではメディア論集『時空のゲヴァルト』で知られるマンフレート・シュナイダーのおすすめ本を以下にご紹介します。 ― ドイツ語オリジナルは原則としてそのまま表記、オリジナルが英語の場合、シュナイダーさんはすべてドイツ語訳をあげているけれども、これに関してはやはりオリジナルの方をあげました。ただし日本語訳がすでにあるもの、および日本でもよく知られた作者の場合は日本語表記です。[ ]内は僕の補足です。
・ガチの一冊 エンツェンスベルガー: Hammerstein oder der Eigensinn. Eine deutsche Geschichte
・古典 ヘルダーリン全集
・新発見をもたらす一冊 Reiner Stach: Kafka ― Die Jahre der Erkenntnis [話題のカフカ研究書]
・読んでみようの一冊 Shaun Tan: The Arrival [グラフィック小説のようです]
・楽しかった一冊 Norbert Gstrein: Die Winter im Süden [オーストリアの作家]
・聴いてみようの一冊 エドガー・アラン・ポー: ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語
・2008年の一冊 トマス・ピンチョン: Against the Day [今年ドイツ語訳がでました]
December 28 ユング ドキュメンタリーDecember 27 エルンスト・ベルトラム書誌
ゲオルゲ・クライスの一角を占め、日本浪曼派の芳賀檀が師事したことでも知られるエルンスト・ベルトラム。代表作は『ニーチェ』で、トーマス・マンへもつよい影響を与えた。ここエルバーフェルト生まれの彼の著作のうち、日本語で読めるものをかき集めてみた。これだけの書誌を作るのにも12時間かかったが、楽しい作業だった(リストにはまだ抜けているものもあるかと思いますので、ご教示いただければさいわいです)。
○単行本 ベルトラム『ニーチェ 一神話の試み』浅井眞男訳(筑摩書房1941) ベルトラム『言葉の自由に就いて』豊永喜之訳(文林堂双魚房1942) ベルトラム『獨逸的形姿 祝祭並びに記念講演〔ゲーテの秘密論・北方と独逸浪曼主義他〕』外村完二訳(白水社1942) ベルトラム『ニーチェ 上』『ニーチェ 下』浅井眞男訳(筑摩書房1970-1971)
○雑誌等掲載 ベルトラム「架橋と車駕と」芳賀檀訳、『コギト』69号所収(コギト発行所1938) ベルトラム「芳賀檀に与ふ」芳賀檀訳、『コギト』70号所収(コギト発行所1938) ベルトラム「アルヤの書の戒言(1)」芳賀檀訳、『四季』35号所収(四季社1938) ベルトラム「アルヤの書の戒言(2)」芳賀檀訳、『四季』38号所収(四季社1938) ベルトラム「バッハ頌 (1)― 第20回独逸バッハ祭講演」西野茂雄 訳、『音楽公論』2巻2号所収(音楽評論社1942) ベルトラム「バッハ頌 (2)― 第20回独逸バッハ祭講演」西野茂雄 訳、『音楽公論』2巻3号所収(音楽評論社1942) ベルトラム「バッハ頌 (3)― 第20回独逸バッハ祭講演」西野茂雄 訳、『音楽公論』2巻4号所収(音楽評論社1942) ベルトラム「光の秘密」斎藤栄治訳、『世界文学大系55』所収(筑摩書房1958) ベルトラム「シュティフターの手紙を読むニーチェ」三光長治訳、『筑摩世界文学大系44』所収(筑摩書房1972) ベルトラム「アーダルベルト・シュティフター」浅井眞男訳、『世界批評大系3』所収(筑摩書房1975)
○関連 ハンス・カロッサ『指導と信従』より「ベルトラム」芳賀檀訳、『コギト』53号所収(コギト発行所1936) 芳賀檀「トーマス・マンとエルンスト・ベルトラム ― 恩師エルンスト・ベルトラム先生に捧ぐ」、『論攷』12号所収(関西学院大学編1967) 外村完二「エルンスト・ベルトラム」、『外村完二論文集』所収(大谷大学ドイツ文学研究室外村完二論文集刊行会1972) 椎名麟三「エルンスト・ベルトラム『ニーチェ』」、『椎名麟三全集22』所収(冬樹社1977) 生松敬三「ゲオルゲの周辺 ― ベルトラム/グンドルフ/ゲオルゲ派」、『二十世紀思想渉猟』所収(青土社1981/岩波現代文庫2000) December 26 ケールマンが推薦する雑誌「Literaturen」の12月号に、<クリスマスにおすすめの本>と題して、作家や評論家にアンケートした結果がのっていたので、そのなかからきょうは、ダニエル・ケールマンのおすすめ本を以下にご紹介。 ― ドイツ語オリジナルは原則としてそのまま表記、オリジナルが英語の場合、ケールマン自身はすべてドイツ語訳をあげているけれども、これに関してはやはりオリジナルの方をあげた。また、日本語訳がすでにあるもの、および日本でもよく知られた作者の場合は日本語表記した。ブービー賞のこと、よく分かるなあ…
・ガチの一冊 Orlando Figes: The Whisperers. Private Life in Stalin's Russia
・古典 フアン・ルルフォ 『ペドロ・パラモ』
・新発見をもたらす一冊 Adam Soboczynski: Die schonende Abwehr verliebter Frauen oder Die Kunst der Verstellung
・読んでみようの一冊 アート・スピーゲルマン: Portrait of the Artist as a Young %@?*!(←ママ)
・楽しかった一冊 スティーヴン・キング: Duma Key
・聴いてみようの一冊 マックス・ゴルト: Nichts als Punk und Pils und Staatsverdruß (Hörbuch)
・2008年の一冊 デニス・ジョンソン: Tree of Smoke
・ブービー賞 例によって本では特にない。ただ、ドイチェ・バーンがむかつく。 December 25 バルメンもしくはバルメン宣言1929年にヴッパータールとして合併するまでは、エルバーフェルトとバルメンは別個の町だった。バルメンといえばエンゲルスの生まれた町として有名だが、それとともにバルメン宣言の町としても知られている。
一年以上も前に、神学を勉強しているドイツ人学生に案内してもらったのがゲマルク教会(写真)で、バルメン神学宣言はここで成立した。1934年のことである。カール・バルト本人も議決の場に居合わせたのかどうか。
それでガサゴソ調べていたら、東北大学付属図書館、特殊文庫中の宮田文庫にたどりついた。
ここには『ローマ書』初版をはじめ、『バルメン宣言決議集』の1934年版オリジナルテキスト、さらには「ドイツ教会闘争資料」というファイルがあって、このファイルにはバルメン宣言の「本文を教会員たちに報せるためにタイプライターで作成されたオリジナル資料や、告白教会の会員証」がおさめられているという。
いったい誰がこんな貴重資料を日本にもちかえったのかとあやしんでいたところ、なんのことはない、宮田文庫の宮田とは宮田光雄のことであった。 December 24 ドイツ文芸批評筑摩書房から出ている 『世界批評大系』 全7巻から、ドイツに関係するものを以下にリストアップしておきます。とてもいい企画で重宝するのに、あまり知られていないようなので。
「ラオコオン(抄)」 ゴットホルト・エフライム・レッシング 訳:高橋義孝
「詩についての談話」 フリートリヒ・シュレーゲル 訳:大久保健治
「ゲーテの『ヘルマンとドロテア』」 アウグスト・W・シュレーゲル 訳:登張正実
「『親和力』についての書簡」 カール・ゾルガー 訳:柴田翔
「『ドン・キホーテ』の序」 ハインリヒ・ハイネ 訳:山下肇
「人間の一般的な性質を文学はいかにして個性化するか」 W・ディルタイ 訳:小栗浩
「イプセン」 ゲオルク・ブランデス 訳:岩淵達治
『世界批評大系2 ― 詩の原理』
「リヒァルト・ワグナーと『タンホイザー』のパリ公演」 ボードレール 訳:阿部良雄
「シューベルトのピアノ・ソナタ」 カール・シュピッテラー 訳:川村二郎
「国民の精神的空間としての著作」 ホーフマンスタール 訳:円子修平
「モーツァルトの魂」 ルードルフ・カスナー 訳:城山良彦
「ゴーゴリ」 ルードルフ・カスナー 訳:城山良彦
「新たな孤独とその抒情詩」 ゲオルク・フォン・ルカーチ 訳:川村二郎
「ロココの精神」 フランツ・ブライ 訳:大久保健治
『世界批評大系3 ― 詩論の展開』
「ジャン・パウル」 シュテファン・ゲオルゲ 訳:氷上英広 「ヘルダーリン」 シュテファン・ゲオルゲ 訳:氷上英広 「ヘルダーリンの『多島海』」 フリードリヒ・グンドルフ 訳:浅井真男 「アーダルベルト・シュティフター」 エルンスト・ベルトラム 訳:浅井真男 「ウェルギリウス」 ルードルフ・ボルヒァルト 訳:松浦憲作 「風景の哲学」 ゲオルク・ジンメル 訳:生松敬三 「シェーンベルク」 ポール・ローゼンフェルド 訳:宮本陽吉
『世界批評大系4 ― 小説と現実』
「イェレミアス・ゴットヘルフ論」 ゴットフリート・ケラー 訳:増田義男 「『石さまざま』序文」 アーダルベルト・シュティフター 訳:松浦憲作 「ウォルター・スコット」 テーオドル・フォンターネ 訳:立川洋三 「老フォンターネ」 トーマス・マン 訳:立川洋三
『世界批評大系5 ― 小説の冒険』
「カフカとヴァルザー」 ローベルト・ムージル 訳:城山良彦 「マルセル・プルースト」 エルンスト・R・クルティウス 訳:円子修平 「ジャン・パウル『ジーベンケース』」 ヘルマン・ヘッセ 訳:古見日嘉
『世界批評大系6 ― 詩論の現在』
「エクスタシーの詩三篇」 レオ・シュピッツァー 訳:沢崎順之助 「晩年のリルケ」 ハンス・エゴン・ホルトフーゼン 訳:永野藤夫 「詩の様式規定」 ヴォルフガング・カイザー 訳:小堀桂一郎 「夜ふけの船」 エーミール・シュタイガー 訳:高安国世 「雲」 ヴェルナー・クラフト 訳:高本研一 「ルードルフ・ボルヒァルト」 テーオドア・W・アドルノ 訳:円子修平
『世界批評大系7 ― 現代の小説論』
「ドン・キホーテにおけるユーモラスな人格化」 マクス・コメレル 訳:円子修平 「ホーフマンスタールの散文作品」 ヘルマン・ブロッホ 訳:菊盛英夫 「フランツ・カフカ」 ヴァルター・ベンヤミン 訳:高木久雄
December 23 柳田國男とフーコーヴッパータール大学には<物語研究センター>などもあって物語研究がさかんである。これはしかし比較的に最近になってのことで、もともとはここはメルヒェン研究で知られていた。グリム・メルヒェンの研究で名高いハインツ・レレケがいたのである(現在は名誉教授)。対象をメルヒェンから物語という現象いっぱんにひろげたのが、いまのかたちということになる。
僕はどんなに素朴だといわれようと文芸の根本は、民俗的な意味での「物語」と「うた」にあると信じている。だから以下に引く柳田國男からの一節に、僕はくりかえしたちもどる。
旅に出てごく片田舎の農家などに泊った夜、炉辺の平和な暖かな光の中で、この
手帖【昔話採集手帖のこと】 を取り出して読んできかせたり、あるいは見せなどす
ると、その座の人々の中に一種の活気が感じられて、顔を見合せて笑い、また知
っている話を語り出す者さえできて、 急に心持はほぐれ、 和やかな空気になって
ゆく。こんなことは民俗学徒のみが味わえる幸福ともいうべきもので、 単に昔話に
限らず、他の部門でも同じことがいえるのですが、特に昔話採集の際に多いという
ことは、 私達からいうと同情せずにはおられないのであります。 というのは、以前
の農漁村の淋しい生活には、祭や節供の日を除いては昔話以外に平生の心を慰
めるものがなかったということが、間接に判るからであります。
「昔話のこと」 より
ドイツの物語を読むことでの念願は、このような物語の原風景(とその失われ)を、その基底にさがすことにつきると思っている。
じつはさきほどフーコーの 「汚辱に塗れた人々の生」 を読んで、その感動のなかにいまもいる。そしてそのこころの動きがこのエントリーを書かせている。僕はフーコーのこの小文を読みながらずっと、柳田國男のことが念頭にあった。フーコーは、汚辱に塗れた人々の生を「美しい」と書いている。この「美しい」ということばを自分にゆるすまでに、いったいどれだけの逡巡がひつようとされたか。フーコーも柳田國男も、人々の美しさを、平生の心の慰みのなさ、その痛苦と「同時に」発見している。フーコーも物語の人だったのかと、そういう気がした。でなければ、そういう感性がなければ、あのような原風景の発見は不可能だったはずだからである。
フーコーは、《汚辱》に塗れた人々の生に「美しさ」を見出す。その彼がつぎのように書くとき ― 彼が文学になにを見ようとしているかがわかるだろう。
他の如何なる形式の言語活動にもまして、文学は《汚辱》のディスクールであり続
ける。すなわち、もっとも語り難きもの ― もっとも悪しきもの、もっとも秘匿された
もの、もっとも呵責なきもの、もっとも恥ずべきものを語るのが文学なのである。
December 22 ドイツ哲学 vs. ギリシア哲学ドイツ哲学代表と、ギリシア哲学代表が、サッカーの頂上決戦をおこなったようです。試合のようすはコチラ。スタメンは以下のようになっています。てか、アルキメデス、リフティングうますぎwww
ドイツ代表 ギリシア代表
1 ライプニッツ 1 プラトン
2 カント 2 エピクテトス
3 ヘーゲル 3 アリストテレス
4 ショーペンハウアー 4 ソフォクレス
5 シェリング 5 エンペドクレス
6 ベッケンバウアー(?) 6 プロティノス
7 ヤスパース 7 エピクロス
8 シュレーゲル 8 ヘラクレイトス
9 ヴィトゲンシュタイン 9 デモクリトス
10 ニーチェ 10 ソクラテス
11 ハイデガー 11 アルキメデス
意味不明なことに主審が孔子で、副審は アウグスティヌス と トマス・アキナス のようです。それにしても、こんなすごいメンバーでチームがつくれるのはドイツとギリシアくらいのもんです。やっぱドイツってすげえ。ぱねえ。だって マルクス と フロイト がベンチスタートですよ!? December 21 マルセル・バイアー in ヴッパータール 会場となったCafé Adaの外観。ヴッパータールでもっとも雰囲気のよいカフェである。ライヴ会場、パーティ会場、ダンス会場、文化イベント会場としての機能をもつ。接客もすばらしい。おいしい酒を飲みながらイベントを楽しめる。さて、先日お伝えしたマルセル・バイアーとフーベルト・ヴィンケルスの対談について、簡単にふれておきましょう。マルセル・バイアーについてはすでにこのブログでも何度か言及しているので、つぎのことを言うにとどめたいと思います。三修社から「ドイツ現代文学セレクション」の一冊として出ている『夜に甦る声』は、掛け値なしの名作です。 ― 宣伝大臣ゲッベルスの娘ヘルガと、あるマッドサイエンティストのモノローグによって、だれも知らなかった「歴史」が切りひらかれます。ミステリーとして読んでもいいと思います。フーベルト・ヴィンケルスについては良識的知識人という形容でじゅうぶんでしょう。バイアー、ヴィンケルスともに本郷の独文研究室で(べつべつに)講演をおこなったことがあり、その際バイアーは新作だった『夜に甦る声』から朗読したそうです(これについては僕は未出席)。
対談の模様を再現しはじめるとキリがないので一点に絞りましょう。それはバイアーのいらだちについてです。その静かないらだちは、歴史と文学をノンフィクションとフィクションとに振り分けようとする思考停止状態に向けられています。たとえば彼は『夜に甦る声』を発表したさい、さまざまに批判をうけた。それはこういうものだったといいます。「戦争の生き証人でもないくせに、よくもあんなものが書けたものだ」(註)。対談の最大のキーワードがじっさい「Zeitzeuge生き証人」だったわけですが、この類の批判は、生き証人こそが歴史について語る正当な権利・資格をもっている、という一見それらしい考えを前提にしています。あるいは、生き証人としてではなく歴史についてなにかを語りたければ、せめて人は歴史家(歴史研究者)であらねばならないという(倫理的)判断を前提にしています。
(註:日本でもこれに似た懸念がこの小説についてなされたことがあります、保坂一夫氏によって。)
バイアーは、それはちょっと違うんじゃないかと言う。もしも生き証人であることが歴史を語るための最重要ファクターだというなら、ちかい将来、最後の生き証人がいなくなった時点で、「だれもそれを口にしてはならない」という奇妙な事態が生じてしまう。また、もしも歴史が、研究者だけがアクセスできるようなマテリアルの蓄積によってのみ担保されるというなら、歴史の真実性は、マテリアルの量の問題になってしまう。つまり権威の問題になってしまう。より多く資料を所有しているもの=真実を知るもの、という問題に、歴史がすりかえられてしまう。
しかし、ここが肝心なのですが、バイアーはべつにだからといってレヴィジョニストなどではないということです。上のような際限のない問題をああだこうだと議論するのはけっきょくは「学者」の仕事であって、そこにバイアーの関心はない。なぜなら彼は詩人だから。バイアーはただ、文学だけに可能な「歴史」を書いている、それだけです。文学だけがすくいとることのできる歴史というものもある。そういうごくあたりまえのことを見ずに、ひとはそれをかならずフィクションだとか史実だとかに回収して、満足しようとする。回収すれば安心だからです。それ以上考えなくてもすむからです。文学をただ文学として受けとることが出来ないその窮屈さに、バイアーは違和感を感じているようでした。困惑している、と言ったほうが、彼の物静かなひとがらには合っているかもしれません。
このほかにも、新作『カルテンブルク』が『夜に甦る声』の対作品にほかならないことを確認できたこと(前者の語り手「私」はヘルマン・フンク、後者はヘルマン・カーナウであり、両者ともに東ドイツを生きた科学者・収集家である)は収穫でしたし、バイアーが創作でもっとも神経をつかい、また時間をかけるのが、作中人物の名前を決定することであること、また、なぜ彼が東西ドイツ統一後にドレスデンへ移住したのかなども聴けて、ひじょうに有意義でした。ヴィンケルスによれば、ベルリンはともかくとして、西側で育った作家が、統一後あえて旧東側に移り住むような例は、珍しいそうです。
最後に、バイアーがめずらしく熱をこめて発したことばを、しかし自分に言い聞かせるようにして発したことばを、ここに記しておくことにします。
「生き証人がベストな証人であるということは、言えない。」 December 20 ハイネから保田與重郎へDecember 19 英雄・宣伝・悪態ベンヤミンは、ゲーテの 『親和力』 を論じたエッセイのなかで、グンドルフのゲーテ論をこきおろしている。完膚なきまでにこきおろしている。ゲッベルスでさえこれを読んだら苦笑したのではないか、と思われるほどだ(ゲッベルスは、ハイデルベルク大学でグンドルフに学び文学の博士号をえた。この「師」からとくに感銘はうけなかったようではあるが。グンドルフはユダヤ人である)。
ベンヤミンとちがって、ニーチェがつく悪態にはユーモアがある(というより、おそらく 『親和力論』 でベンヤミンはニーチェにあこがれていたのに気づいてみればカントを真似てしまっていたのである)。『ツァラトゥストラ』 で超人について書いたのに、世間がこれを誤解してばかりでみていられなくなって、「ったくどいつもこいつも!」という感じでニーチェは、『エッケ ホモ』 でふたたび超人について説明をくわえている。
超人ってのはキサマたちが思ってるような無垢なヤツでもなければ善良なヤツでもねーんだよ! とニーチェは世の誤解と無知蒙昧をののしりつつ、次のように書いている。チェーザレ・ボルジアに言及する、有名な箇所である。
Andres gelehrtes Hornvieh hat mich seinethalben des Darwinismus verdächtigt; selbst der von mir so boshaft abgelehnte »Heroen-Kultus« jenes großen Falschmünzers wider Wissen und Willen, Carlyles, ist darin wiedererkannt worden. Wem ich ins Ohr flüsterte, er solle sich eher nach einem Cesare Borgia als nach einem Parsifal umsehn, der traute seinen Ohren nicht.
固有名詞をあげると、ダーウィン、カーライル、チェーザレ・ボルジア、そしてパルジファル(ワーグナーの)となる。はやい話が、ボルジアこそ超人と呼ぶにふさわしい存在だとされ、あとは全員ぶった斬られているのである(ワーグナー涙目)。
それにしてもカーライルの斬られかたはひどい。大言壮語がカーライルのウリなのに、その「英雄崇拝」が「あんなのは素っ頓狂の贋金づくりだ」と吐き捨てるように言われてしまう始末(むろん意訳してます)。ひどいんだけれども、妙な気持ちよさと笑いがあとにのこるのが、ニーチェの文体=思考の不思議である。ニーチェの場合、悪態こそが哲学となる。
ところでカーライルはカーライルで、選挙権とか投票箱とか、つまりはデモクラシーを呪いつつ、「世俗的にしろ精神的にしろ、君主、真正の君主が存しないならば、事のうち最も憎むべき無政府状態に到るのほかはないのである」などと書いている( 『英雄論』、栗原孟男訳)。もし彼が生きていたら、彼はヒトラーに Ja! と言っただろう。
このあたりの水脈はカッシーラー 『国家の神話』 にあたればいいとして、さて文学博士・宣伝大臣ゲッベルスの日記を読むと、彼もまたカーライルの著作に読みふけっていたのがわかる。ゲッベルスがフリードリッヒ大王について学んだのは、カーライルが書いた伝記 『フリードリッヒ2世の歴史』 からだった。ベルリン陥落とみずからの終わりを覚悟したゲッベルスが最後のときを過ごしたのはこの本とともにであったのだが ― これについて書きだすと長くなるので、今日はこのへんで。 December 16 「世界でもっとも素晴らしいコンサートホールのひとつ」 by サイモン・ラトル「世界でもっとも素晴らしいコンサートホールのひとつ」 ― ベルリン・フィルのサイモン・ラトルがそう形容したホールが、ヴッパータールにはあります。ここで定期演奏会をおこなうヴッパータール交響楽団とその音楽総監督、トシユキ・カミオカ(上岡敏之)のコンビは、つねに最上の音楽を体験させてくれます。
きょうはシーズン第四回目の定期演奏会。例によってホールはびっしり埋まっていました。指揮者である上岡さんの人気は圧倒的なのです。一地方オーケストラだったこの楽団を、彼がやって来てから一流オーケストラに昇格させたということで、町のひとはそれを誇りにしているようです。昨年にはCDも発売され、ドイツでも日本でも話題をよびました。
きょうのプログラムのテーマは<Vollendet unvollendet >。翻訳するとニュアンスが消えてしまうのですが、「完成 未完成」という意味と、「申し分ない未完」という意味とが、遊びごころをもって重ねられています。
・マーラー 交響曲第10番 (未完)
・シューベルト 交響曲第7番 『未完成』
・ドヴォルザーク 交響曲第7番
とりわけメインのドヴォルザークが抜群の出来でした。有名な第3楽章。こういう色気のあるものを振らせると、本当にうまい。このコンビはもちろんオペラもやるのですが、来年3月にはワーグナーの『トリスタン』が聴けるとのことなので、チケット獲得にむけて動くつもりです(とれるかなあ・・・心配)。
話はすこし変わりますが、この町は「指揮者の町」でもあります。クラシックを好きな方であれば「ほう、そうなのか」と言ってもらえそうなヴッパータール出身の指揮者を何人かあげてみましょう。クナッパーツブッシュ、ヘルムート・コッホ、ギュンター・ヴァント、ホルスト・シュタイン。 ワーグナーはじめ正統的なドイツ音楽を得意とするひとたちばかりですね。 December 14 Moe-Effekt? ドイツのFandub力をチェック『らき☆すた』でドイツのFandub力をごらんください。これをつくってるcrimsonstudioには「よくやってる!」という独オタからの称賛のこえが多数寄せられてて、じっさい全体的にはよくできてると思うのですが・・・しかし・・・ひとつだけ、言わせてもらってよかですか? (ゴーマニズム宣言風)
「これは こなたではない・・・」 (´Д`) December 13 ハルキ・ムラカミ事件の張本人がやってくるこんにちは! 告知が遅れてしまったのですが、きのうからここヴッパータール・エルバーフェルトで、文学イベント<文学と歴史>がはじまりました。これは、ドイツ現代文学作家のうち、「歴史」との取り組みのなかで作品を執筆している4人の代表的作家を呼んで、著名な文芸評論家と対談してもらう、という、まあそんな感じのイベントです。去年のテーマはちなみに<家族>でした。今年の顔ぶれはこんな感じです。
12.12.2008 Marcel Beyer im Gespräch mit Hubert Winkels
16.01.2009 Jenny Erpenbeck im Gespräch mit Sabine Küchler
23.01.2009 Felicitas Hoppe im Gespräch mit Denis Scheck
06.02.2009 Ilija Trojanow im Gespräch mit Sigrid Löffler
第一回のきのうが、マルセル・バイアーとフーベルト・ヴィンケルスの対談で、出オチというか(笑)、いきなりのハイライトですね(聴きに行ってきたので、それについては別枠でエントリーします)。
じっさい、日本の読者になじみのある(関係が深い)のは、下線を引いた3人だといっていいでしょう。バイアーとヴィンケルスはもうすでに何度か日本に来て、講演しています。たとえば2005年の日独文学シンポジウム<出版都市TOKYO2005>ですね。ドイツからは多和田葉子とか、日本側からは奥泉光、角田光代、川上弘美、島田雅彦、高橋源一郎、平野啓一郎、古井由吉、山田詠美らが出席していました。僕的には島田雅彦の圧倒的パフォーマンスしか記憶に残ってません(笑)。
「でさあ、最終日のSigrid Löfflerってだれよ!?」ということなんですが、このレフラーおばちゃんこそ、あの「ハルキ・ムラカミ事件」を引き起こした張本人です。有名なので経緯を知っている人も多いとおもいますが、ドイツには2001年まで「文学カルテット」という人気番組があって、そのなかでレフラーが村上春樹の小説を「こんなのは文学でもなんでもない。ただのファーストフードだ」と発言したことから激しい論争になって、反論され個人攻撃までされたと怒り心頭のレフラーが番組を降りることになった事件ですね。このセンセーションによってハルキ・ムラカミの認知度があがり、ますます彼の本が売れるようになったという皮肉な経緯がありました。
なお、このイベントの企画者はヴッパータール大学のミヒャエル・シェッフェル教授です。道理でさいきん、いつにもまして忙しそうなわけだ。 December 10 ジャン=リュック・ナンシー in ボーフム
きょう、ジャン=リュック・ナンシーがやって来るとのことなので、ちょっとボーフムまでいってくる。テーマはずばり<技術>であるらしい。
行ってきました。とりあえずは状況だけでも書いておくことにします。イベントはルール大学・メディア学科が主催。ちなみに、かの F.キットラー はベルリンへ移る前はここの大学の教授だったんですね(科は異なる)。会場は、とうぜんというべきか、満員でした(昨年にはそのキットラーがやはりメディア学科主催のイベントに呼ばれて、集客力をみせつけたらしい)。
入場は無料。きょねんだったか、キットラーが安田講堂で講演したときには二千円払ったおぼえがある。これはお金の話というより知に対するリスペクトの差でしょう。「日本まで呼ぶと航空費とか寿司代とかいろいろかかるんだよ!」 というのも確かにあるのでしょうが… 余談ですが、そのときキットラーとともに講演したのが蓮實重彦で、映画における「声の抑圧」を論じたものでしたが、すばらしい組み立てと内容で、キットラーを圧倒していました。これぞプレゼンのお手本、という感じで。まさにこれが権力闘争にうちかって総長にまでのぼりつめる政治力につながっているわけですね、わかります。
(どうもキットラーにばかり話が流れてしまって申し訳ないのですが、そのときキットラーを接待したのが、この夏シノドスでセミナーをおこなった東大情報学環・准教授の林香里さんです。そのとき聞かせてもらった裏話によると、飛行機を降りてくるなりヘビースモーカーのキットラーは、ニコチン切れでふらふらしていたらしい。また、気をつかって寿司を出したのに「私はハシが使えない」と言いだしたりして、まあいろいろとあったみたいです。林さんはドイツでながいこと研究されていた方なので、それでその仕事がまわってきたそうです。)
余談ばかりでまったく本筋に入れないでいますが、きょうは疲れているので続きはおいおいということで、勘弁ねがいたいんです…(ボーフムまで片道2時間ですよ!) おやすみなさい。
つづき。
聴衆は、男女比が5:5もしくは4:6くらい。日本だったらこの手のイベントは7:3もしくは8:2になるのではないでしょうか。会場にはカメラが二台入っており、動画が後日、メディア学科のHPにアップ・公開されるはずです(過去のイベント分も音声アーカイブ化されている)。だから、講演の内容を逐一このブログで再現するようなことはしません。それを期待していた人はがっかりするか、あるいは僕をののしってください。
使用言語について。当初の予定では、講演はフランス語ないしドイツ語で行われる、ということでした。ですが結果的には99%ドイツ語で行われました。通訳もいたのですが、どうしても言葉がみつからない2、3の場合をのぞいて、ナンシーはドイツ語で話すことを貫きました。
ナンシー自身がはじめにことわったように、彼は必ずしもドイツ語が流暢ではない。文というよりは単語に重点をおいて話すかんじで、文法ないし構文がくずれまくることで意味がまったく通らなくなると、会場からは笑いが起こります。それでもナンシーは通訳に頼ることをしませんでした。多くハイデガーを論じていたのでハイデガーのことばをそのまま引きたいというのもあったと思いますが、むしろ、そうした笑いが証明している「誤配」を肯定する、そういう彼の姿勢のあらわれだったように思います。伝達は、誤配と「ともにあるMitsein」。
ところで、ハイデガーと取り組むことなしに思想を展開したような人は、フランス現代思想の哲学者のなかにはいません。それは、彼らがハイデガーの思想=イデオロギーを信じたからそうしたのではなく、むしろハイデガーが彼らにとって「他者」にほかならなかったからでしょう。その意味で、彼らはサルトルの問題意識を共有している(共有しないわけにはゆかなかった)。
ハイデガーがおそろしいのは、そのことを織り込みずみで「他者」であることに徹した点です。つまり、もしこれからの哲学が「他者」をめぐって自己展開してゆくものになるのだとすれば、それを抜きにしては哲学が成り立たないような、それを抜きにしては哲学が自己矛盾におちいってしまうような「他者」を構成することこそを、ハイデガーはみずからに課したわけです。じっさいそのようになったというべきでしょう。ハイデガーは一見古くさい「孤高」の存在に徹することで、20世紀の哲学をリードしつづけたのですから。
きのうある人が「ナンシーはフランス現代思想の最後の生き残りだからね」と言っていたのが忘れられません(1908年生まれのレヴィ・ストロースはまだ御存命ですが)。ヨーロッパは、いわゆる現代思想をもはや必要としない世界(EU)を着々と立ち上げつつあります。「ヨーロッパに~を学びにきました!」という日本人留学生にしばしば遭遇しますが、しかしもはやそんな呑気なことを言っている場合ではない気がします。今日日、明治や戦後におけるような「知の輸入」という幻想を生きてみたところで、仕方ありません。「学ぶべきもの」なんて用意されていないし、知の輸入なんて、日本のだれも期待していない。期待されてないのにそれを自任するのは、たんに滑稽です。
ナンシーは、現在の私たちの方向感覚喪失(Des-Orientierung)の状況は、ある意味で天地創造のそれに似ているといいます。オリエント(Orientationにかかっている)もオクシデントもない世界なのだと。にもかかわらずヨーロッパへなにかを学びにきたと無邪気に言えてしまうならば、それは暗黙のうちにオリエントvs.オクシデントを温存・確保していることにはならないか。つまり、そのように無邪気にいえることがゆるされているのは、ヨーロッパをより豊かな経験をもつ場所、「Abendland」だとみとめる、ヘーゲル主義者にだけです。(つづく)
前回まで、外堀をうめるつもりでぐずぐずやっていたら、「レビューくらいチャチャっと書いてくれよ!」と、お叱りをいただきました(笑)。申し訳ないです。しかし、僕にも自分の博論とか、日々の生活というものがあってですね、なにもブロ(以下略)。 ― というわけで、急いで内容に触れたいとおもいますが、箇条書きにします。これはエコノミックな理由にもよりますが、ナンシーの微妙・難解な思考を安易に物語化してしまうのを避けるためでもあります。とにかく、伝達・誤配のアンビヴァレンツをすっとばしてナンシーの「本意」をてっとりばやく入手しようとすることだけは、避けねばなりません。
・「脱構築」ということばはいまやよく広まっているが、しかし本当によく理解されているだろうか。「デコンストラクション」はein dunkles Wortである。したがって私たちは、ハイデガーにおける「デストラクション」の概念をまずは参照・考慮しなければならない。
・講演のタイトルはここから来ている。<ストラクションもしくはテクネーの想起としてのデストラクション>。しかし注意すべきは、「テクネー」がどこに係るかである。想起される対象としてのテクネーなのか、テクネーが想起する主体なのか、それともデストラクション=テクネーなのか、一義的に決められないのは、ナンシーの意図だろう。
・技術といってもべつにテクノロジーやメディアについて工学的に話そうとは思わない、私が話したいのはハイデガーにおける技術の哲学的問題についてである、とナンシーはいう(メディア学科主催だが、話はメディア論にはならなかった)。
・アリストテレス以来哲学は、自然(フュージス)と技術(テクネー)を、二元的にとらえてきた。これに変更をせまったのがハイデガーである。
・私たちはもはや、どこまでが自然でありどこからが技術の領域なのか、単純に線を引くことなどできない。技術は世界に浸透しきっている。もし世界がこのように技術とともに構築されたものである(ストラクション)とすれば、Denkenとは、このストラクションに乗じることなのでは当然なく、むしろストラクションを可視化すること(freilegen)にほかならない。哲学の意味はそこにある。したがってハイデガーのいうこのデストラクション(=Denken)を、いわゆる「破壊」のようなものとして受けとってはならない。
・デストラクションが可能であるためには、その対象、つまり「デストラクションのための基体」がなければならない。これがストラクションというマトリックスである。デストラクションであるところのDenkenはしたがって、実体的であろうとするもの(例えば「存在das Sein」)を相手にするのであり、実体的なものを揺さぶるのがDenkenの働きである。
・「存在Das Sein」のような実体的なものなどない。あるのは実体(名詞)ではなく、その都度の行為(動詞)である。動作が動作主に従属するのではなく、むしろその逆である。すくなくともDenkenは、そのように働かなければならない。
・じつはこのことをラディカルなかたちで表している領域こそが、技術の領域である。技術の自己変革の運動には、じっさい際限がない。もし技術になんらかのたしかな根拠・根底・足場(Grund)があったなら、このような際限のない運動は生じようがなかったはずである(どこかで止まっているはずだ)。技術は私たちに道具として従属しているのではなく、むしろ逆である。
・私たちは、たしかな根拠・根底・足場(Grund)の上に存在しているのではない。私たちが実体的に存在しているという根拠などどこにもない。地面(Grund)の上で眠るのは動物であって、人間はベッドという技術の上で眠る存在である(アリストテレスが技術について語るのにベッドの例を持ち出しているところから)。
・スピノザの重要な発言を思い出そう。「幸福は私たちの中には存在しない」。これはニヒリズムではない。私たちがおかれているのは方向感覚喪失という状況だが、これはしかしチャンスでもある。というのも、幸福は私たちじしんの中にはないけれども、だからこそ私たちの外側に、私たちと「ともにある」ことを希うのに、この状況はけっして不利ではないからだ。
さて、質疑応答ではつぎのような質問がとび、これに対しては、ユーモアあふれるナンシーの語り口も歯切れがわるくなってしまっていました(とはいってもナンシーは終始おだやかに語りかける好々爺でしたが)。「ナンシーさん、お話は分かりました。オリエントとオクシデントの差異が無効だということも、根底などないということも、実体などないということも。ですが、あなたは『私たち』という代名詞をつかってお話をされましたね。ではこの『私たち』というのは、いったい誰を指すのですか? 『私たち』というのはどういうカテゴリーなのでしょうか。」
おそらく質問者が納得がいかなかったのは、けっきょく「私たち」と語るまさにそのことによって「私たちではない者」を生みだしているではないか、ということだったと思います。ナンシーは「じゃあwirを使うのはやめましょう」と冗談をいっていましたが、納得のゆく説明は最後までされませんでした。「私たち」をもちいることと「Zusammenseinともにあること」はけっして矛盾しないんだ、ということだけははっきりしていましたが。
質問者の言っていることには同感です。たとえばナンシーは現在の状況を、希望をこめて天地創造になぞらえる。しかし天地創造という概念じたい、キリスト教文化のなかで育まれたものであり、たとえば僕のような東洋人には共有されていないわけです。にも係わらず、僕も「私たち」に含まれるのか。含まれることを強いられるのか。
ナンシーは、実体などなく、また、グローバル化による方向感覚の喪失そのものを私たちは共有しているのだという。しかしこれは、共同体などないまさにそのことによって共同性を確保しようとする、典型的な否定神学ではないか。
以上、とりこぼしはもちろんのこと、僕の一方的な誤解も含まれているかもしれませんが、レビューおよび感想はこのくらいにしたいと思います。気になる方は、ウェブにアップされる録画を確認していただきますよう。 December 09 GJ! ドイツ連邦公文書館!Technobahnが報じております。すばらしい!
>ドイツ連邦公文書館、Wikipediaに10万件のイメージファイルを無償提供
>ドイツ連邦公文書館がWikipedia(ウィキペディア)に対して10万件に及ぶイメージファイル
>をクリエーティブ・コモンズの 「表示-継承(Creative Commons Attribution Share-Alike)ラ
>イセンス」 として提供していたことが 7日までにWikipedia財団の発表により明らかとなっ
>た。
>クリエーティブ・コモンズの 「表示-継承」ライセンスの場合、原則として、原著作者のクレ >ジットを表示する限り、 自由にデータを展示、 配布したり、 またデータを利用して二次的
>著作物を制作することも可能。
>クリエーティブ・コモンズのライセンスの元でWikipediaを通して利用可能となったイメージ >データは近代ドイツ史を飾った政治家、軍人、著名人などの肖像写真の他、有名な建築
>物から一般の街角の風景、 一般市民が暮らす日常風景やナチスドイツのよる政治集会
>の模様を写したものまで、1860年から現在までのドイツの様々な原風景を写したものとな
>る。
>Wikipediaでは同財団に寄付されたデータとしては過去最大規模だとして、ドイツ政府機 >関による今回の対応を高く評価している。 December 08 シュレンドルフ『魔王』ミシェル・トゥルニエ原作、シュレンドルフ監督作品 『魔王』 のトレーラーです(日本語版)。シュレンドルフはいまや映画監督をこえて、現代ドイツを代表する知識人のひとりとみなされています。スローターダイクとザフランスキが司会のTV教養番組 『哲学カルテット』 にも出演していました。ムージルの 『テルレス』 や、クライストの 『ミヒャエル・コールハース』 を映画化しデビューしてから、40年がたとうとしています。シュレンドルフについてはまたこのブログでも触れる機会があるでしょう。
さてこの映画 『魔王』 ですが、ビデオのさいごで紹介されているように、浅田彰がこんなレビューを書いていますね。
「 ― 宿命に抗うのではなく、宿命を自らのものとして受け入れ、愛すること。最後にユダヤの子どもをかついで沼地に沈んでゆくアベルの姿は、そういうニーチェ的な「運命愛」の形象にほかならない。」
映画はナチス・ドイツをとりあげていますが、アベルをトリックスターに設定することで、このテーマにありがちな平板化をまぬかれるための「距離」をつくりだしています。その意味で、おなじくトリックスターであるオスカーを主人公にしたギュンター・グラスの 『ブリキの太鼓』 に通じるものがある。シュレンドルフはご存じのように、『ブリキの太鼓』 も映画化しています。
それから、この映画には、かのゲーリングが登場し、重要な役割を演じています。僕の知るかぎり、ゲーリングをかくも「忠実」かつ効果的に描いたフィクションは、ほかにありません。じっさい、この映画でいちばん印象にのこったのは、ゲーリングという人間の救いがたいイヤらしさであり、むきだしの欲望であり、その正直さなのでした。 明治44年 寺田寅彦のクリスマスみなさんこんにちは。こちらはクリスマス市がまっさかりです。あったかいグリューワインもいいのですが、キンキンに寒いなか飲む冷たいアルトビールもおいしいのです。ところでいまから約100年前、明治44年(1911年)のクリスマスを、寺田寅彦はドイツ・ゲッティンゲンにて過ごしています。彼は「先生」にあてて、こんなことを書いています。「先生」が誰かは、もうみなさんご存じですね。
>去年の降誕祭(ワイナハト)は旅でしました。ウィーンで夜おそく町をうろついて、
>タンネンバウムを売っているのを見た時にちょうど門松と同じだと思ったのと、
>ヴェネディヒで二十五日の晩おびただしい人が狭い暗い町をただぞろぞろ歩
>くのを見てさびしい思いをしたきりでしたが、ことしはここの田舎で田舎らしい
>純粋の降誕祭(ワイナハト)を経験しました。 二十二日の晩宿の主婦から、 天
>主教(カトリック)の幼稚園(キンダアガルテン)で 降誕祭式(ワイナハトフェスト)がある
>から行かぬかと誘われたので行って見ました。
その様子をくわしく再現したあと、彼はこう続けます。
>降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃ
>や駄菓子などの露店が並びましたが、 いつ行って見ても不景気でお客さん
>はあまり無いようでした。 売り手のじいさんやばあさんも 長い煙管を 吹かし
>たり編み物をしているのでありました。ひやかしていると、「ドクトルの旦那さ
>ん、降誕祭贈物(ワイナハトゲシェンク)はいかがです」と呼びかけるのもありまし
>た。町の店屋へ買い物に行くと、お前さんの故国でもワイナハトを祝うかなぞ
>ときくのがだいぶありました。
不景気だったんですね(笑)。今年2008年のクリスマス市も、世界恐慌の影響はあるでしょう。去年は好景気が続いていましたから、クリスマス商戦、どこもだいぶ売り上げはよかったそうですが、今年はそれにくらべるとだいぶ落ち着くかもしれません。と思っていたら、でも町に出てみると、ずいぶんにぎやかで、それはもうさかんなとりひきです(宮澤賢治風)。 December 06 アドルノ往復書簡集こちらではさいきん、アドルノとクラカウアーの往復書簡集が刊行されて、話題になっています。詳細な註と写真つき。
これはズーアカンプ社の『アドルノ往復書簡集』の第7巻で、既刊における書簡の相手は以下の通り(ただし第6巻は近日刊行予定)。
第1巻 ヴァルター・ベンヤミン 1928-1940
第2巻 アルバン・ベルク 1925-1935
第3巻 トーマス・マン 1943-1955
第4巻 マックス・ホルクハイマー
1 1927-1937
2 1938-1944
3 1945-1949
4 1950-1969
第5巻 両親宛て 1939-1951
第6巻 ハインツ=クラウス・メッツガー 1954-1967 |
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