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November 30 魔弾の射手 リップヴァーン・ウィンクル中尉ふたたび 『HELLSING』 より、リップヴァーン・ウィンクル中尉が 『魔弾の射手』 の一節をうたうシーンです。ウェーバーの原作でいうと、たしか第一幕・第一場で、クーノーが主人公マックスを鼓舞するシーンに該当します。
Mein Sohn, nur Mut! Wer Gott vertraut, baut gut! -
Jetzt auf! In Bergen und Klüften Tobt morgen der freudige Krieg! Das Wild in Fluren und Triften, Der Aar in Wolken und Lüften Ist unser, und unser der Sieg! Und unser der Sieg! Und unser der Sieg!
ウェーバーなしにワーグナーは考えられませんが、そもそも、
モーツァルトの 『魔笛』 (1791)
ベートーヴェンの 『フィデリオ』 (1805)
ウェーバーの 『魔弾の射手』 (1821)
の3作品を理解することなしには、ドイツ近代文学の理解もありえません。それくらい重要なオペラです。そしてオペラというのは当時、それくらい重要なメディアだったのです。 November 29 ベンヤミンに映ったアンソールここヴッパータールのフォン・デア・ハイト美術館でいま、<ジェイムズ・アンソール展>が開かれているということで、ボーフムで研究している先輩に誘われ観にいってきた。
アウトサイダーであり、群衆や仮面をテーマに画いた・・・。 アンソールについて知っていることはたったその程度である。それでも喜んで出かけたのは、誘ってくれた先輩が「群衆」をテーマに研究しているため、彼からいろんなことを聴けて勉強できると思ったからである。
「ヴァルター・ベンヤミンが群衆論でアンソールについて書いていてね・・・」というのを聴きながら実物をみることができたのは、ほんとうに得難い体験だった。こういうのって、ぜったい一生忘れないな。
といってもいぜん門外漢であることにはまったくかわりがないのでありますから、展覧会の感想なんかより、肝心のベンヤミンを引いてみよう! しかーし、ベンヤミンの原文テクストが手元にない!(←努力しろよ) ウェブ上で濱村篤という方の日本語訳をみつけたので、以下、引用させていただきます。http://homepage3.nifty.com/atsushihamamura/ より(本来であればむろん原文に照らし合わせた上で引用すべきですが、論文ではないということで、どうか勘弁してください)。
...このように技術が途方もない形で展開されるのに伴って、これまでになかった新しい種類の貧困が、人類の上に襲いかかってきている。占星術、瑜伽の英知、クリスチャン・サイエンス、手相術、菜食主義、グノーシス主義、スコラ哲学、交霊術が復活するとともに、ひとびとのもとに-というよりはむしろ、ひとびとの上に-押し寄せてきた、息苦しさを覚えるほどの、おびただしい数の思想とは、実は、この新しい種類の貧困を裏返しの現象に過ぎないのだ。ここでおこなわれているのは、思想の本当の復活ではなく、表面に鍍金をほどこしているに過ぎない。ここで、亡霊どもが大都市の大通りを埋めつくしている、アンソールのすばらしい絵画を思い起こしてみたくなる。カーニバルの衣裳で変装した俗物どもが、粉をまぶしたゆがんだマスクを身に着けて、金ぴかの王冠を額の上に戴き、街路に沿って見渡す限りうなりをあげて押し進んで来ている。この絵画は、たぶん、多くのひとびとが希望を抱いている、混沌とした、おののきを感じさせるルネッサンスを模写した以上の絵画ではないのであろう。しかし、この絵画が最も明瞭にしているのは、われわれが直面している経験の貧困とは、巨大な貧困の一部分に過ぎないということであり、この巨大な貧困は、-中世の乞食の相貌と同じような鋭さと正確さを備えた-相貌を再び帯びるようになったということである。だって、経験を通じてわれわれがつながることのできない教養財産など、そもそもいったいどんな価値があるというのだろう。ありもしない経験をあたかもあるように見せかけてみたり、経験を他所から騙し取ったりすることが、どのような結果をもたらすのかは、前世紀(*19世紀)における様式と世界観のひどいごたまぜの状態を見れば明瞭に理解できることなので、われわれとしては、われわれの貧困をありのまま認める以外に術はないようである。そうだ、ありのまま認めることにしよう、この経験の貧困は、個人の経験の貧困に限られるものではなく、人類の経験全般の貧困なのだ。だから、ある種の新しい野蛮であるとも言えるのだ。...
ヴァルター・ベンヤミン『経験と貧困』より November 27 フリートリッヒ二世イベントのお知らせ: 「情報機関と神秘主義 ― ゲーレン、騎士団、ヴェノナ文書、その狭間に」 (詳細はこちら)
講師 目森一喜 日時 平成20年(2008)11月29日(土曜) 場所 渋谷 大向区民会館(03-3462-0212) 渋谷区宇田川町38-4 4階 会議室2号 時間 午後6時 - 9時(開場5時30分) 会場費1000円 学生500円
各国インテリジェンスの長たちの宗教的背景、BND(ドイツ連邦情報局)長官ゲーレンの背景、ヴェノナ文書の係わりなどがテーマになるようです。
ヴェノナ文書(米とソ連のあいだで交わされた暗号電報を1930年代から40年代にかけて傍受・暗号解読したアメリカ国家安全保障局の記録文書)が出てきたことで、ラインハルト・ゲーレンにはこれからさらなる注目が集まることになるとおもう(なおアドルノのライバルだったアーノルト・ゲーレンは、彼のいとこである)。
ところで、イベントのタイトルにある「騎士団」とは、マルタ騎士団のことだと考えてまずまちがいないだろう。これにヴェノナ文書とくれば、ダシール・ハメットの探偵小説『マルタの鷹』(1930)を思いださないわけにはゆかない。もはや古典だし、何度も映画化された作品でもあるので、読まれた方は多いとおもう(ハメットはアメリカ共産党員で、赤狩りの当事者でもあった)。
『グラモフォン・フィルム・タイプライター』で知られるフリートリッヒ・キットラーに、『マルタの鷹』論がある(未訳)。Friedrich Kittler: Über die Kunst, mit Vögeln zu jagen. The Maltese Falcon von Dashiell Hammett (1986) [ 鷹狩りの技法について ― ダシール・ハメットの『マルタの鷹』].
これは、マルタ騎士団に由来する財宝であるところの鷹の彫像をめぐってなされる争奪戦が、けっきょくは「鷹狩り」に外ならなかったことを論じている。つまり、神秘にみちたこの財宝がニセモノだったと判明することで、プレーヤーたちはみな、ありもしない(あるかもしれない)「ファンタジー」をめぐって争っていたことになるのである。鷹をめぐって、ではなく、鷹をつかっての狩猟(=殺人)。では、鷹狩りの首謀者はいったい誰なのか? そもそも首謀者など存在するのか? むろん私たちはここで、のちの「赤狩り」について同じことを考えるべく促されてもいるのである。
「鷹狩りの技法について」知ること。それはまさに、諜報の技法について知ることにほかならない。探偵小説とは狩猟の形式である、とエルンスト・ブロッホはいったが、情報機関と探偵小説の相性がたいへんによいのは、「狩猟」を介して両者がつながっているからである。
神聖ローマ皇帝フリートリッヒ二世(1194-1250)は、鷹狩りに関するその著作のなかで、くりかえし「ありのままにみよ」と書きつけているらしい。これは生物観察についていっているのだが、ならばインテリジェンスにとって「ありのまま」とは何か。フリートリッヒ二世のこの著作のタイトルは、『De arte venandi cum avibus』、ドイツ語で『Über die Kunst, mit Vögeln zu jagen』である。 November 26 あかんねん。お先まっくらやねん。~痛いニュース~>ドイツ人は欧州の中で最も悲観的=調査
>[ベルリン 20日 ロイター] >ドイツ人は一般的にほかの欧州諸国の人々よりも未来に対して悲観的であることが、 >ドイツの2つの調査で分かった。
>調査によると、今後5年間で暮らし向きが良くなると考えている ドイツ人は30%だけ >で、欧州連合(EU)27カ国の平均を下回った。
>社会科学リサーチ・センター・ベルリンとマンハイムのCentre for Survey Research and >Methodology (ZUMA)が調査を行った。
>ZUMAのシニア・リサーチャー、ハインツ・ヘルベルト・ノル氏は20日、ロイターに「ド >イツ文化なのかもしれない。われわれは皆、ドイツ人の『漠然とした不安』を
>聞いたことがある」と述べた。
「てかめっちゃかぶってるんですけど。」芥川龍之介 談
>イギリスでは、51%が今後5年間について楽観的な見方をしていた。 エストニアで >は65%と、さらに未来を楽観視する人が多かった。
>この調査は、世界的な金融危機が起きる前に 数千人の欧州各国の人々を対象に実 >施。ドイツ国内では、旧東ドイツの人々のほうが、 旧西ドイツの人々よりもより悲観的
>なことも分かった。
>2008年 11月 21日 12:25 JST >http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-35036520081121 2ちゃんねるのベストアンサー ( ̄ー ̄)ニヤリ
>逆に考えるんだ。 >他の欧州各国が白昼夢ばかり見ているのだと。 November 25 定言命法としての天皇カント全集7 『実践理性批判 人倫の形而上学の基礎づけ』 (訳:坂部恵、平田俊博、伊古田理) 岩波書店 2000年
ドストエフスキはかつて、神がなければすべてはゆるされると書いた。ニーチェの「超人」はここから出てくる。つまり、ニーチェは「すべてがゆるされる」アナーキーな状態を歓迎するいっぽうで、「すべてがゆるされる」ような最終的ニヒリズムを警戒した。そのようなニヒリズムをのりこえる(というより、そこに嵌まりこむことから逃げる)ために、「超人」はいわれたのである。
ニーチェがカントをはげしくののしったことはよく知られている。
カントは、神や死後の魂について思弁的に語ることはすべて「おしゃべり」にすぎないとした。それは「なんとでも説明できてしまう」ような領域のことがらだからである。しかしもし、なにが善でなにがそうでないかを決定しうる審級をかんぜんに諦めるとすれば、人はまともに生活することすらできない。あなたが善だと信じてやっていることと、わたしが善だと信じてやっていることとが180度ちがうような世界では、人はやっていけない。やっていけるほど人は強くつくられてはいない。
だから、「神の存在を想定することは道徳的に必然的なのである」とカントはいう(『実践理性批判』)。認識論的には、人は最高善=神についてなにも知りえない。が、よく知りえないのだけれども最高善が「あるということにしておく」ことこそが大事だとカントは考えた。なぜならそれは実際上の生き死にの問題だからである。
したがって、とにかく無条件に「あるということにしておく」という定言命法、これについてカントはこう言っている。「理解できないことを理解する」ことが大事だと。知りえない神の、そのしかしプラグマティックな意義。
神の存在を想定することが「おしゃべり」だと知りつつ、しかし同じことが道徳的には必要なのだとするカントもまた、ありうべきニヒリズムを警戒したのではなかったか。私たちは、ニーチェとカントをたんに対照的にとらえることはゆるされないだろう。
ただ、「理解できないことを理解する」というのは、けっきょくは否定神学であるともいえる。また、道徳法則は最終的には宗教へと導かれる、とカントはいうけれども、信仰を、もてるものならもちたいのだけれどもどうしても信仰に至れなかったクライストのような人間のことをどう考えればよいか。そしてまた、大審問官を書いたドストエフスキが皇帝支持にまわったいきさつをどう理解すればいいのか。
三島由紀夫は太宰が嫌いだった。面とむかって三島は太宰に、私はあなたの文学が嫌いなんですと告白した。太宰はしかし困ったような顔をして、でもこうしてわざわざやってきたんだから、やっぱり好きなんだよなあと言ったという。 November 23 まるで E.T.A. ホフマンのようなこれは深い・・・すげー深いよ・・・。 ラーメンズの 「小説家らしき存在」 より。 (本人たち
の説明によると、ラーメンとは、ドイツ語の Rahmen (フレーム、骨組み)からとってきたも
のであるらしい。) まるでE.T.A.ホフマンの世界である。 November 22 カンディダ・ヘーファー現代ドイツのアートシーンを代表する写真家のひとり、カンディダ・ヘーファー(1944年生まれ)。その代表作である写真集『Bibliotheken(図書館たち)』は、タイトルのとおり、世界各地の図書館を撮ったもので、この時代にあって、秩序の空間、その美を正攻法でとらえているのは、ほんとうに気持ちがよい。表紙に名前がみえるように、エッセイを寄せているのがウンベルト・エーコで、これ以上の組み合わせはちょっと考えられない。みごとな相乗効果といえるだろう。
ところで、図書館もそうだが、ヘーファーが撮るのは、劇場、ミュージアム、宮殿といった公共の空間であり、しかもきまって室内である。そして、公共の内部空間を対象にしながら、ヘーファーはけっして人間を写さない。つまり、私たちがそこに見るのは非常にフィクショナイズされた空間であり構図ということになる。実際は、宮殿は観光客でごったがえし、整然と配架された図書たちも、利用者という無秩序につねにさらされていることだろう。本来がそうであるような場所に、しかし静謐さをふきこむこと。それがゆるされないウソであるというのなら、美の居場所はいったいどこにあるだろうか。 November 21 東ドイツ-ポーランド合作『沈黙の星』こんにちは。目が覚めて、えらく寒いなと思ったら、雪。。。さて、SF評論家の高橋良平がレムの『ソラリス』文庫版のあとがきで、
『金星応答なし』は、ロシア語につづき、『沈黙の星』Der Schweigende Sternと
改題されてドイツ語に翻訳されると、 東ドイツでもベストセラーとなり、東独と
レムの母国ポーランドとの共同製作で、 クルト・メーツィッヒ監督によって映画
化された ― 原書の入手が難しい当時、 日本で桜井正寅氏のドイツ語版からの
重訳になったのには、こうした事情がある。この 『金星ロケット発進す』(60
年)は、わが国では翌年の五月初旬に封切られた
うんぬんとあって、へええそうなんだあ、と思っていたところ、探してみたら、みつけた。東独とポーランドの合作『沈黙の星』のトレーラーである。例のソラリスの海っぽいのも出てくるが、日本人女医、ハギムラ・スミコ役を演じているのは谷洋子という「国際派女優」らしい。知らなかったけど、映画界では有名なのか? ともあれ、なんかこう『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』みたいな安っぽい感じがとてもいい。日本では定価780円らしいのでぜひ買おうとおもう。値段のつけ方もやる気がなくてGJである。 November 20 梶井基次郎の口笛、ハイネそしてシューベルト<私は海を見ては合間合間に、その人影に注意し出しました。奇異の念はますます募ってゆきました。そしてついには、その人影が一度もこちらを見返らず、全く私に背を向けて動作しているのを幸い、じっとそれを見続けはじめました。不思議な戦慄が私を通り抜けました。その人影のなにか魅かれているような様子が私に感じたのです。私は海の方に向き直って口笛を吹きはじめました。それがはじめは無意識にだったのですが、あるいは人影になにかの効果を及ぼすかもしれないと思うようになり、それは意識的になりました。私ははじめシューベルトの「海辺にて」を吹きました。ご存じでしょうが、それはハイネの詩に作曲したもので、私の好きな歌の一つなのです。それからやはりハイネの詩の「ドッペルゲンゲル」。これは「二重人格」というのでしょうか。これも私の好きな歌なのでした。口笛を吹きながら、私の心は落ちついて来ました。やはり落し物だ、と思いました。そう思うよりほか、その奇異な人影の動作を、どう想像することができましょう。そして私は思いました。あの人は煙草を喫まないから燐寸がないのだ。それは私が持っている。とにかくなにか非常に大切なものを落としたのだろう。私は燐寸を手に持ちました。そしてその人影の方へ歩きはじめました。>
梶井基次郎 『Kの昇天 ― 或はKの溺死』 より November 19 ベルリン陥落先日のエントリーで、ヨーロッパで間もなく 『Call Of Duty World At War』 が発売になるとお知らせしていましたが、さっそくベルリンが陥落してしまった ようです ( ゚д゚) 以上、痛いニュースでした。 November 18 博士号と単著小谷野敦がきのうのブログで<東大教授なのに博士号もなければ単著もない人>をリストアップしている。こちら。哲学ふくめ独文らへんにどこかで聞いたことがあるようなないような御名前も…。しかしまことに残念なことに僕は空気のよめる人間なので、ノーコメントということで(笑)。 November 17 ヒトラーからダライ・ラマへ (承前)(承前)
ドイツ人は戦後、ドイツ人であるために、ヒトラー神話からの脱却とホロコーストの反省をみずからに課した。もちろんはじめは「課せられた」のである。だが次第に、日本などとはちがって反省しつくすこと、その徹底性においてナショナリズムが醸成されてゆくようになる。これだけの反省が可能なのは私たちドイツ人にだけだ、というふうに。ドイツがチベットに寄り添うのは、シナという強国に弾圧されるチベットに、ドイツ―ユダヤ関係が投影されるからである。いまや私たちにはチベットの痛みがよくわかる。私たちは変わった。私たちドイツ人はもはやナチス(シナ共産党)ではないし、ヒトラーではなくダライ・ラマこそを理解することができるまでになった。そういう国民になったのだ…。世界へむけての、そういうアピールの場としてチベットは機能する。意地悪な読みこみだといわれるかもしれない、がしかし外交とはそもそもそういうものだ。もっとも有利なかたちで自国のイメージをつくりあげること。かぎられた牌のなかから最大限の効果を引きだすこと。
大国の圧迫を受けている国や地域はもちろんたくさん存在する。そんななかでチベットが選ばれたのは、感情移入するのに「無難だから」である。地図上でチベットを指さすことのできる人がどれだけいるか、そうとうに疑わしい。けれどそういう漠然とした感じ、つまり余白が、むしろ大事なのである。地理からいってもはるかかなたの「別世界」だし、政治的な関係も(リアル・ポリティクスの緊迫感という意味では)ずっと希薄だった(シナにとやかく言われるのを気にするようになったのは、シナが力をつけてきたごく最近のことである)。仏教=平和的、といったファンタジーはもちろんのこと、ドイツにとって都合のいい投影をするには、チベットはうってつけのスクリーンだったといえる。しかもそれを人権の尊重という、無敵のスローガンをもってするのだから、誰からも文句はでない。
が、じつはドイツによる「チベット利用」はなにも戦後にはじまったわけではない。ブラッド・ピットを好きな方はきっと『Seven Years in Tibet』という映画をご存じだとおもう(原作はナチ党員でもあったハインリヒ・ハラーの自伝。翻訳は角川文庫に)。つまり、チベットとドイツはアルピニズムでつながってもいるのである。
もちろん、アルピニズムはべつにドイツの専売特許ではない。しかし、膨張・拡大を原理とする帝国主義がスタンダードだった20世紀前半にあって、海洋よりは陸を支配しようとする、そしてまたヴァーティカルな方向(アルプス)で征服慾を満たそうとする精神がドイツのナショナリズムと深い関係にあったことは有名で、たとえば この記事 もしくは この記事 からも知ることができる(僕はゲオルゲ・クライスのベルトラムに『ニーチェと山々』(1911-1912)という著作があるのをここではじめて知った)。カール・シュミット『陸地と海洋』も、この文脈でこそ効果的に読まれうる。
こうして、ドイツ人の想像にあってはヒマラヤは、いともたやすく「もうひとつのアルプス」へと変貌する。想像のなかでなされる征服・テリトリー化こそ、私たちがオリエンタリズムと呼ぶものだ。僕は前回、ドイツ人が平和のシンボルを求めているのだとしたらそれがチベットである必然性はなく、スイスでもよかったはずだ、と書いた。それは、なにも冗談で書いたのではなく、アルプスからヒマラヤへ、ヒトラーからダライ・ラマへというソフトな転換にこそドイツのナショナリズムが刻印されていると思ったからである。 November 16 ヒトラーからダライ・ラマへみなさんこんにちは。湯豆腐の季節ですね。突然ですが、なんでドイツって親チベットなの? きのうの産経新聞いわく・・・
ベルリンの東洋美術館で先日、ベルリン自由大学のヨルク・アイヒラー教授主宰の「チベット写真展」があった。真っ赤な寺院の背後に広がる雄大な自然や、道路に腹ばいとなりながら祈りをささげる女性の姿など、教授が2004年と06年にチベットを訪問した際に撮影したスライド写真約130枚が披露された。
チベット騒乱から半年以上がたったが、会場には100人以上が集まった。ドイツではチベットへの関心が非常に強く、ダライ・ラマ14世が5月中旬にベルリンで演説した際に約2万5000人が押し寄せたほどだ。
ドイツ人がチベットになぜ、これほど関心を寄せるのか、いつも不思議でならなかったが、写真展に来ていたある女性建築家の話を聞いて、少し納得した。彼女いわく「ナチスの“過去”をもつドイツ人は戦後、暴力に極端に敏感となった。多くのドイツ人にとって、仏教は平和のシンボルとして映っている」。
メルケル首相のチベット政策にも力がこもっており、ダライ・ラマが昨秋、ベルリンを訪問した際には中国の意向を無視してドイツ首相として初めて会談した。独裁国家の旧東ドイツで育ち、人権侵害を容赦できないという首相の独自の哲学に基づくことは言うまでもないだろう。
ナチスと旧東独-。ドイツではチベット問題を語るときですら、2つの“過去”を抜きにできないのである。(黒沢潤)
もしも本当に「多くのドイツ人にとって、仏教は平和のシンボルとして映っている」のだとすれば、分かりやすいオリエンタリズムですね。そうはいっても、日本にも宮澤賢治を平和のシンボルとして読んでいるような人は多いわけですが。。。 話をもどすと、べつにドイツの親チベットはメルケルにはじまったことではないし、仮にドイツ人が平和のシンボルを求めているとして、でもそれがチベットでなければならない必然性もないので(スイスでもいいじゃん)、端的にいって、この記事は破たんしています。 僕の考えでは、ドイツの親チベットは、ナショナリズムのひとつのあらわれです。 (つづく) November 13 芥川とクライストの地震<大地震のやつと静まつた後、屋外に避難した人人は急に人懐しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草や梨をすすめ合つたり、互に子供の守りをしたりする景色は、渡辺町、田端、神明町、――殆ど至る処に見受けられたものである。殊に田端のポプラア倶楽部の芝生に難を避けてゐた人人などは、背景にポプラアの戦いでゐるせゐか、ピクニツクに集まつたのかと思ふ位、如何にも楽しさうに打ち解けてゐた。
これは夙にクライストが「地震」の中に描いた現象である。いや、クライストはその上に地震後の興奮が静まるが早いか、もう一度平生の恩怨が徐ろに目ざめて来る恐しささへ描いた。するとポプラア倶楽部の芝生に難を避けてゐた人人もいつ何時隣の肺病患者を駆逐しようと試みたり、或は又向うの奥さんの私行を吹聴して歩かうとするかも知れない。それは僕でも心得てゐる。しかし大勢の人人の中にいつにない親しさの湧いてゐるのは兎に角美しい景色だつた。僕は永久にあの記憶だけは大事にして置きたいと思つてゐる。> 芥川龍之介 『大正十二年九月一日の大震に際して』 より
※クライスト 『チリの地震』 は <O侯爵夫人―他六篇 (岩波文庫 赤 416-4)> に収録されています。 November 12 HELLSING―私は戦争が好きだドイツでもすごく人気の高い 『HELLSING』 です。総統代行の有名な演説シーンです。
ドイツ語もたくさん出てきていますが、5:35に、Sturmbannführer というのがありますね。
僕も知らなかったのですが、調べてみると、これは基本的には SS-Sturmbannführer の
ことで、SSつまり「親衛隊」の階級をあらわすそうです。
さて、Führer はいいとして、それでは Sturmbann とは何かというと、Bann というのは軍
隊用語では「連隊」を意味しますので、Sturmbann で「突撃隊」となります。
しかししかし、ご存じのとおり、突撃隊といえばSA (シュトゥルム・アップタイルンク) のこ
とを指すのが普通であり、したがって混乱をさけるため、Sturmbannführer は 「親衛隊突
撃隊長」とか、たんに「親衛隊少佐」と訳されるようです (ランクとしてはドイツ国防軍でい
うところの「少佐」に該当するため)。
それにしてもこのシーン、もしドイツで公共の電波に乗るようなことがあれば、カットが多く
なるでしょう。 November 10 外国人局にて
先日、ある方からメールをいただき、「もう日本に戻られているそうですね、そこでなんですが…」という、作業依頼の内容だった。でもボク、ちゃんとドイツにいるはずです!(笑) たまには日常のことも書いておかないと「ヤツはほんとは日本にいるんじゃね?」とか思われそうなので、きょうはそういう話題を。(なぜ日常を書かないのか?って、だってドイツ留学記みたいなの、そこらへんにあふれかえってるやん)
けさ、徹夜明けで町の外国人局にいった。ビザの延長をするためである。徹夜したのは、朝が早いので一度寝ると起きられなくなるため。ドイツの役所はとにかく朝が早いですよね。ともあれ、今日のアポイントメントをとったのははるか一か月前。ビザ取得のために前もって予約する必要があるのはわかるけど、一カ月待ちというのは、なんというか、上等である。なんなんだこの時間差攻撃は。
それにしてもこういう場所の空気は、入国審査のときに似て、やっぱりなにか独特なものがある。緊張感というか、待合室ではみんな言葉少なげに自分の番を待っている。自分が「異物」であることをいっそう強くつきつけられる場所であり瞬間だから、しぜん、そうならざるをえない。
僕じしんの手続きはすぐに済んだ。同じ部屋では僕のほかに南米系の夫婦が手続きをおこなっていたのだが、そこで印象的な光景を目にした。詳しいことは当然わからないし、手続きが済んで僕は退室せざるをえなかったので一部始終をみていたわけではないんだけど、どうやらトラブルは、その奥さんのドイツ語能力をめぐるものだったようだ。
担当官がいう。「いいですか奥さん、いまからごく簡単な質問をしますから、ドイツ語で答えてください。まずはあなたの住所を言ってみてください。」女性は不安そうに黙ったままである。担当官「ではもう一度。あなたの住所を教えてくれませんか?」けれど彼女はかすかな声で「ヴッパータール…」ということしか言えない。旦那さんがそれを見て「いや、彼女は少しはしゃべれるんです。ただすごく緊張してしまって、こうして試験されることに不安があるんだと思います。」担当官「ええ、ええ、それは分かります。でもね奥さん、けっして悪く思わないでくださいね、私だって意地悪で質問してるわけじゃないんですよ、ただ許可証を発行するとなると、そのためには片言でもいいので、私の言っていることを理解した上で答えを聞かせてくれなきゃなりません。」旦那さんがみかねて、「そうはいっても彼女は怖がってるんですよ!」担当官「だから私もこうしてなるべくプレッシャーを与えないようにしているつもりです。けっして無理なことは要求していませんよ、そうでしょ? これでもだめだと言うのなら、私にはもうどうしようもない。変わるべきは私ではなくて奥さんのほうではないですか?」…
そこで僕は部屋を出たのであとがどうなったかわからない。外国人局でどういう場合にこうしたテストが課されるのか、そのあたりのことも僕は知らない。ただ、コミュニケーションというのは、人間の善意とか悪意とかにかかわりなく、絶対的に不可能な場合がある。このことをある人に話したら、「その女性、かわいそうだね」というまさかの答えが返ってきて、話す相手を間違えたと思った。絶対的なディスコミュニケーションがまた、ここにもひとつ。 November 09 フリッツ・ラング 『クリームヒルトの復讐』フリッツ・ラングの映画 「ニーベルンゲンの歌」 の第2部 『クリームヒルトの復讐』 (1924) がニコニコ動画にアップされてます(日本語)。
でも、「ニーベルンゲンって、フリッツ・ラングの映画とかワーグナーの楽劇でよく耳にするし、どんな世界なのか知りたいんだけど、でもなあ・・・いったい何から始めれば?」という人はわりと多いのではないでしょうか。ワーグナーなんて全部で15時間くらいあるわけですし。入門としてはこれは酷です。
こういうときこそ、マンガを活用しましょう! いろいろ出てますが(そしてストーリーのヴァリエーションもいろいろですが)、個人的にはこれがおすすめです。なにより大事なのは、神話の世界観をおおざっぱに掴んでしまうことです。そして、登場人物を<キャラクター>として掴んでしまうことです。
こうして、文字通り<神話素>さえ頭のなかに入れてしまえば、ワーグナーだってなんだってずいぶん身近になり、楽しめるようになります(だってあとは組み合わせの問題だから)。そして中毒になりますw 岩波文庫へ向かうのは、それからでもけっして遅くはないのです。
November 07 シュタットフェルトの平均律シュタットフェルト(コードギアスじゃないよ!)の 『平均律第1巻』 を聴きました。いつだったかのインタビューで彼はバッハについて、「バッハの音楽はロマンティックであると同時に、透明性ある現代的なものでもあります。この2つのレヴェルをコンビネーションさせないといけないわけですが、その結合のしかたは各々が見つけ出さなければなりません。だからこそ数百年にわたってそれは解釈されつづけてきたのです」と語っていたと記憶していますが、ほんとうに透明と原色のあいだをゆく音の積み上げがうつくしかった。 『ゴルトベルク』 でデビューしてから5年、バッハの録音をこれからも続けてもらって、グールドだけでは足りないんだ (『スローターハウス5』) と思わせてほしいところです。 November 06 ドイツにポストモダンなど存在しないフーコーのハンドブックがドイツでも出たよ、には! 全454ページ。 Clemens Kammler, Rolf Parr, Ulrich Johannes Schneider (Hg.): Foucault-Handbuch. Leben – Werk – Wirkung. Verlag J. B. Metzler, Stuttgart, Weimar 2008. 書評もNZZに出とるよ。書評はコチラ。
で、この書評に、ドイツではフーコーの講義集成は2011年に出ることになっているが、日本でそれがすでに出版されているのは驚きだ、と書いてある。日本の翻訳文化をなめるなよ! という声も聞こえてきそうですが、でも日本とドイツでフーコー受容に関してこういう差が出てくるのは、それなりに理由のあることだとおもう。
ばっさりと言ってしまえば、戦後ドイツは現在にいたるまで、やはり「批判理論」一色だったわけです。フランクフルト学派の独裁だった。つまりは近代の再検討=反省こそが問題だったわけで、近代を軽くあしらう身振りさえみせるポストモダンの言説は、なかなか浸透しづらかった。
それに対して日本はいつもながらの「プリンシプルのなさ」を発揮して、ポストモダンの言説と見事に戯れることができた。日本という国がもつある種の雑食性が、それを可能にしたともいえる。まあ実際、日本の近代というのはプレモダンとモダンとポストモダンがごっちゃなわけです。ほんと不思議な国です(笑)。
だから、これは注意しないといけないことですが、日本でフーコー受容がすすんでいる「ようにみえる」のは、こういう日本の「ばらけた感じ」を説明するのに、都合がよいからです。つまり、フーコーを読んでいるつもりでいて、じっさいはそこに日本的思考を自己確認して気持ちよくなっているにすぎない。
僕じしんは「雑食性」じたいをけっして否定しませんが、北田暁大が 『嗤う日本の 「ナショナリズム」 』 でいうように、「スキゾであることがパラノ的に要請される」ようになるのはやっぱりマズいんじゃないかなと思います。いずれにせよ、フーコー翻訳において先をゆく日本に驚いてしまう、その点にドイツ的なものが凝縮されて顕れている感じがします。には! November 05 小林秀雄を聴こう。(木田元さんの新著 『なにもかも小林秀雄に教わった』 文春新書)
みなさんこんにちは。ええっと、ドイツとはまったく関係ないんですが、こんなん出るようです → 小林秀雄の講演の未発表音源が見つかり、あさって(11月7日)発売の「新潮」12月号の付録CDで聴ける模様。わーい! (以下asahi.comより引用)
>見つかった音源は、67年1月、東京・新宿の紀伊国屋ホールで行われた
>「勾玉(まがたま)について」と題した講演で、27分。講演では、勾玉を購入
>したエピソードを紹介した上で「美は一つの経験なんです。知識では決して
>ないんです。とにかく親しまなくちゃならないんです」と落語家のような滑ら
>かな口調で思い入れたっぷりに語り、「人間が何もないところで自然の中か
>ら何かの姿を作り出した」と創造の起源に思いをはせた内容。付録には、
>すでに発売されているCDから精選した5講演も再録する(全73分)。矢野
>優編集長は「思想は書かれるだけでなく、語られる魅力もある。小林の講
>演を聞くきっかけになれば」と話す。
小林秀雄の講演CDはげんざい7巻まで出ています。どれも素晴らしいですが、第二巻と第五巻がとくにおススメ。あえて言おう。いーから黙って聴いてみろって(舞城王太郎風)。 |
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