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January 31 ドイツ語版チェブラーシカJanuary 30 「誤配」以下ですがなにか。不在票が入っていたので、郵便局まで取りにいった。古本屋で本を一冊注文していたのである。さて、郵便局の窓口で手渡されたのがこれです。
僕が開けてそれで写真を撮ったんじゃありませんよ! この状態で受け取ったんです、はい。事故じゃなくて、あきらかに意図的にやぶられています。でも中身は無事だったからよかった~。
「って喜んでる場合かよ! ちゃんとクレームつけなくていいの?」 と思われるかもしれないですが、そんなのははっきりいってムダです、みたいな。なぜか? 誰かに開封されていたにせよ、普通郵便でとにかく中身が届いただけでもよしとしないと、こっちではやってられません。「まぁ、ひどい!」 と思われるかもしれませんが、いいえ。ドイツがひどいんじゃなくて、日本の郵便局が優秀すぎるだけです (ほんと日本の仕事ってすげえ)。
僕はこっちですでに3,4回、銀行のカードなど含めてこういう目にあっています(つーかふつう、銀行のカードみたいな大事なものを郵送するかっ?!)。 どうしてこういうことになるのか? ドイツ在住のあるジャーナリストはこう書いています。(日本からドイツに荷物を送った場合のことを書いていますが、ドイツ国内でも事情はまったく同じです)
>日本からドイツに荷物を送るとフランクフルト空港までは無事に着く。(日本側の仕事は完璧なので。)
>ドイツに着いた荷物は、飛行機から貨物を降ろす作業員(自給7~8ユーロのお給料で働いている低取
>得者層)の、厳しいチェックを受けることになる。金目の物が入っていそうな封筒はその場で開封、中身
>はツナギの作業服の中に消える。破損した小包が税関に届くと、職員は 「ドイツに届いた際に破損して
>いました。」というステッカーを貼って、配送に送る。運良く空港で作業員のチェックを逃れた荷物は、次
>は配達員 (自給5~7EURの超低所得者層) の厳しいチェックを受ける。金目の物、飯の足しになる物、
>自身及び家族に会うサイズの服などが人気で、こういう品物は抜かれてしまう。そこで小包は届いたが、
>中身が足りないということが結構、頻繁に起きる。日本の両親に「○○はちゃんと入れてくれたの?」 と責
>任を問う事になるが、日本から荷物を送る際、まさかそんな事が起きるとは思ってもいないから、証拠が
>ない。当然、泣き寝入りになる。そこで当地では (ドイツ人は)、小包を送る際、蓋をする前にデジタルカ
>メラで証拠写真を撮ってから(壊れそうな物が入っていると、発送時に壊れていなかった証明になる。)
>蓋をして、再度、証拠写真を撮影、その後、郵便局に持っていく。流石、ドイツ人。
だから、証拠がないのに郵便局でわーわー苦情をいってもエネルギーの無駄(泪目)。ということになるのです。ヨーロッパの優等生ドイツでさえこのありさまなのですから、ほかの国は推して知るべし、です。日本も残念ながらもうすぐこうなるのでしょう。あの調子で国籍法案が通るくらいですから。
・・・そこで思うに、近代における郵便システムの確立とかいうのが文化史で流行して、その完璧なシステムにしかし時として生じてしまう「誤配」とかっていうのをポモ野郎たちはさかんに言いだして、「誤配こそ生産的な事故である!」 とかなんとか色んなことを得意げにのたまっていたけれども、おいおいちょっとまってくれよそれはあんたたちが日本の安全きわまりない郵便事情から勝手にイメージして造り上げた哲学的っぽいだけの幻想なのであって、こっちでは誤配なんて日常茶飯事だし誤配ならめぐりめぐって最後には届かないこともないからまだいいほうで、たくましい作業員のポケットに消えるのが現状なのである。だからデリダも「誤配」を本来、もっとずっと卑近であたりまえの意味で使っていたはずで、それがポモ野郎たちの手にかかると大そうな「可能性」に変身、結果ちやほやされたのだった。こういうのはゴハイではなくて、ただのゴカイという。 January 29 「ゲーテなんか萌えの宝庫だろ」みなさんこんにちは。2ちゃんねるでおもしろいの発見しました。スレタイは <おまえらはもっと古典を読むべき> (笑)。引用しまする。
>ゲーテなんか萌えの宝庫だろう。
>『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』に出てくるミニョンの可愛さは異常。 >男ものの服を来て軽業を披露するちっちゃい女の子なんだが、 >大道芸の親方に虐げられていたところを主人公のヴィルヘルム・マイスター >に買い取られて、以来彼をお兄さんのようにお父さんのように恋人のように
>慕うんだ。
>「知っていますか、あの国を、ミルテの花咲くあの国を……あそこへ、あそこ >へ、あたしの愛する方、あそこへご一緒に行きたいんです」
>……ってツィターを弾きながら主人公に歌ってみせる歌がわりと有名だけど。 >読んでた間ずっと「やー ミニョン可愛いわーww」しか言えなくなってたくらい >ぞっこんになった。
>あるとき、主人公が疲れて眠っていると、ベッドに何者かが忍び込んで来て、 >ヴィルヘルムは夢うつつのまま正体不明の女を抱いてしまうんだけども、
>次の日ミニョンに会ってみると少女は何故かいつもより少し背が伸びて大人 >びて見え、今まで 「お父さん」 と読んでいたヴィルヘルムのことを急に「マイ
>スターさん」と呼び始める。
>えぇぇえぇぇぇ!? ってなった。 >フィリーネとか竪琴弾きとかヤルノとか他にも魅力的なキャラクターは多いし >話もかなり面白いけど、
>ミニョンの可愛さの前では全てどうでもいいね。 >ミニョンの運命を最期まで見届けるためだけにでも『ヴィルヘルム・マイスタ >ー』を読む価値はあるんじゃないかと。
いやあぁこれ書いた人、文章うますぎるわあ。頭いいんだろうなぁ。いったいこれが便所の落書きかね!? こういう風に古典のおもしろさを伝えられる大学教員がいったいどれだけいるんだろーかでもミニョンはたしかに萌え要素。
ところでゲーテの小説(そして最高傑作) 『親和力』 に挿入されているノヴェレで、主人公の若者男女ふたりは、あれは『天空の城ラピュタ』のパズーとシータなんだとベンヤミン研究者の先輩に言われたことがあり、妙に納得した覚えがある。ベンヤミンの「親和力論」を読むときは、パズーとシータを想定して読めばだいぶすっきりする箇所がほんとうにあるのだ。
でもまあよーするにゲーテにしろベンヤミンにしろ宮崎駿にしろ、どいつもこいつも見上げたロリコン野郎なのであり、天才ならそれもゆるされるということかー。 January 28 エーベルバッハ修道院映画 『薔薇の名前』 が撮影された場所として知られるエーベルバッハ修道院をご紹介しましょう。 ↑ 青く見えるのはライン河。河を挟んでワイン畑の緑が広がっている中に修道院は位置しています。 ↑ 修道院の外観です。最寄駅からは、たしかバスで30~40分だったと思います。(記憶あいまい) ↑ ワイン・ケラーです。『薔薇の名前』っぽくなってきましたね。ワインは当然すっげーおいしいです。 ↑ バジリカの内観。とても静かだったのを、今もおぼえています。 ↑ ワイン搾り機。この回廊もきっと撮影に使われているでしょう。 去年の秋、二度目にここを訪れた時は、フランクフルトに住む友人イェンスと一緒でした。フランクフルトからは車でたしか50分ほど(記憶ふたたびあいまい)。訪れるとすれば夏もいいのですが、やはり秋がいちばんでしょう。なぜか? イェンスとはライン河をかなたに見下ろしながらワイン畑のなかを二時間ほど散歩(散歩コースがちゃんとあるのです)、すると当然のどが渇くし、お腹も空いてきます。それでどうするかというと、車で近くの古城に向かいます(ここらは古城は無数にあるのですが)。 着くと、賑わってる賑わってる! みなさん何をやってるかというと、青空の下、フェーダーヴァイザーという、白く濁った新ぶどう酒を飲んでいるのです。これがもう破壊的においしい・・・。新ぶどう酒ですから、この時期、秋にしか飲めないのです。 このドイツ式にごり酒によく合うのが、タマネギ・ケーキ。ケーキといってもパイのようなもの。頼んでから焼いてくれます。これがまた地球破壊的においしい・・・。というわけで秋の風も心地よく、フルーティーで飲みやすいのでどんどんやっていたら、もうどうなるかはお分かりですね。記憶があいまいなのもその為なのですよ。 January 27 独逸浪曼派特輯 ―「コギト」昭和9年11月号
きのうのエントリーで芳賀檀の「古典の親衛隊」に触れましたが、この評論がのった文藝誌「コギト」昭和9年11月号は特集号だったようで、すなわち「独逸浪曼派特輯」と銘うたれています。その内容はといえば、ざっと以下のとおり。
・シュレーゲル「ゲエテのマイステル修業時代について」(評論)薄井敏夫 訳 ・ティーク「『公子ホンブルグ』の上演について」(評論)肥下恒夫 訳 ・ワルター・フォン・モーロー「独逸浪曼主義」(評論)神保光太郎 訳 ・ウンゲル「ハインリヒ・フォン・クライストに於ける死の問題」(評論)松下武雄 訳
・保田與重郎「ルツィンデの反抗と僕のなかの群衆」(評論) ・玉林憲義「フリィドリヒ・シュレェゲルと女性」(評論) ・興地実英「フリードリッヒ・シュレーゲルの文學観 1」(研究) ・日高次郎(野田又夫)「島々 へルデルリーン考」(研究) ・中島栄次郎「憂愁について ヘルデルリーン覚書」(評論)
・伊東静雄「わがひとに与ふる哀歌」(詩)
・ニコライ・ハルトマン「浪曼的思惟と生活」(評論)服部正己 訳 ・大山定一「浪漫派のメールヘン文學について」(評論) ・芳賀檀「古典の親衛隊」(評論) ・亀井勝一郎「ハムレットとドン・キホーテ」(感想) ・ノヷーリス「ハインリヒ・フォン・オフテルディンゲン 6」(小説)田中克己 訳
・コギト既刊翻訳書目 ・保田與重郎:編輯後記
(知らない人のために補足しておくと、ティークの評論にある『公子ホンブルク』とはクライストの戯曲で、保田與重郎に「ルツィンデ」とあるのはこれはシュレーゲルの作品で、ドイツ・ロマン派を代表する小説です。)
錚々たる顔ぶれに内容というほかはなく、橋川文三『日本浪曼派批判序説』にあるように多くの若者がこれを買って熱狂しながら読んだことをおもうと、いまこの現在の乏しさがいっそう強く感じられてくるけれども、しかしかつて「コギト」の時代がたしかにあったということが、十分すぎる希望としても僕達のなかにあるといえるのは、文芸とはつねに復興であったし、これからも不変にそうだからです。 January 26 古典の親衛隊三島由紀夫が戯曲『わが友ヒットラー』を発表したのは、1968年のことである。翌年、ルキノ・ヴィスコンティのドイツ三部作の第一段、『地獄に墜ちた勇者ども』が公開される。日本公開は70年とのことだが、ともかく三島由紀夫はこの映画を絶賛した。そしてご存じのとおり、三島とヴィスコンティがここで共通してとりあげているのがいわゆる「レーム粛清事件」である。
別名、「長いナイフの夜」とも呼ばれるこの大粛清によって、事実上、突撃隊は地に墜ちる。ハイデガーやエルンスト・ユンガーは、突撃隊にこそ可能性を見出していた。彼らがナチスから離れていったのは、この突撃隊粛清が原因だったとも言われている。突撃隊なきナチスはもはやナチスではないということだったのだろうか。いずれにせよ、ナチスの性格はこの事件を機に大きく変質している。
さて、レーム粛清は1934年に起きた。昭和9年のことである。五・一五事件と二・二六事件に挟まれてあることに注意したい。その昭和9年に、独文学者であり日本浪曼派の一角を占めた芳賀檀が、「古典の親衛隊」という評論を書いている。芳賀檀(はがまゆみ)はドイツ・ケルンでエルンスト・ベルトラムに師事しており、ベルトラムはニーチェ研究で知られるゲオルゲ派の代表的人物である。
文藝誌「コギト」昭和9年11月号に掲載された「古典の親衛隊」で芳賀檀は、ベルトラムやゲオルゲに触れつつ、次のように書いているという。(引用はここからさせていただきました、記してお礼申し上げます)
友よ。
吾々は人間の「思索(コギト)し得る」といふことに就いて、又人間の歴史に就いて多くを語つた が、語り得ないなほ多くの悲劇と怒りとを、私は君の眼の中に、君の体現的な近さの中に見ること
が出来たのであつた。
ケルンのベルトラムは、最近の手紙の中に、「この異常な真摯なるべき時に当つて、吾々は益々 堅く結び合はねばならぬ。」と私を警めた。友よ、彼の警告に対して、吾々の用意は出来てゐるか。
吾々は、再び戦ひの嵐の息の迫るのを感じないであらうか。吾々の戦ひは了つたと言ふのではない。
吾々は更に偉なる戦ひの為に備へなければならない。吾々は敗るゝと雖も、退いてはならぬ。誰が
敗れなかつた者があるか。吾々の、運命のこの戦ひに於ては、恐らく勝利といふものは、あり得な
いのである。深海の中に難破した者を嘲笑ふ人達は、実は君等の状態こそ怪しまるべきではないか。
惨敗の中に、吾々はより大きな怒りと、決意とを以て、未来の為に、新なる戦線に就くことが出来
る。
[中略]
吾等の詩人は、彼の殲滅的な大戦の前に、嗄るゝ迄警告し、ゲオルゲも亦「君等の頼む様式は全て
惨落である。」と歎いた。人間の惨落に加ふるに十九世紀の科学の機械の暴力は、吾々を奴隷に迄
引き下げてしまつてゐた。いかにその失神の状態は快適であるか。奴隷には奴隷並の幸福といふも
のがあり得るものである。何故ならば、人は其の時、目の前の自分の状態さへ真理だと思つてゐれ
ばよいからである。現実はただ一つだと思ふ時、人は最も快適であらう。狡智と詐欺とをもつて人
を陥れ、泥濘の中にあがきつゝ、人より優れたと思ひ、享楽を幸福であると信じてゐればよい。虫
けらの様なぬくもりをたのしんでゐるがよい。人達は詩人の声を聴かうとはしなかつた。良心を持
つことは、恐るべきことであつた故に、詩人の声は電雷の様に彼等の頭上に鳴り、電光の為に眼く
るめくであらう。温もりのある幸福を得る為には彼等と雖も一応の努力をしたのだ。其の幸福を奪
はれぬ為に死守したらよい。――絶望した詩人は思ふのであつた。神々を持たぬ国民は死だ。この
様な人に何を語り、何を警めるとて、無駄ではないか。
日本とドイツの同時代的共鳴のなかでここに記されているのはしかし、おそらくレーム粛清や五・一五事件のことばかりではない。二・二六事件が、ハイデガーのヘルダーリン沈潜が、ドイツの運命が、日本の敗戦が、ヴィスコンティの崩壊の美学が、そして三島由紀夫の自決がすべて、畳み込まれるようにして、まがまがしくも予言されてはいないだろうか。
ヘルダーリンはうたっている。
「 Was bleibet aber, stiften die Dichter. /とどまるものはしかし、詩人たちがうちたてるのである。」 January 25 私は鉄道ヲタクではない
きょうはひとつ、絶景のご紹介を。ヴッパータールから例えばケルンやデュッセルドルフへ向かおうとすれば、ヴッパータール動物園付近を通過することになる。で、DBに乗っていると(DBってのは日本のJRみたいなもの)、この動物園付近で、懸垂式モノレール、アウトバーン、そしてこのDBがクロスする地点があって、壮観なんです。
タイミングがよければ、電車とモノレールが並走してやがてクロスし、その下を走る車まで一気に視界におさめることができる。僕はまったく鉄道ヲタではないが、それでもこれにはいつも感動させられる。でも車内の人はみな平気な顔をしていて、はじめからどうでもいいのか、それとも見慣れてしまって興味がないのかよくわからない。
ちなみにモノレールの下に黒っぽくみえるのがヴッパー川で、モノレールはずうっと川の上を走っているのである。僕はこの絶景ポイントを勝手に<ヴッパーターラー・クロイツング>(ヴッパータール交差点)と呼んでいるのだが、もしこれを求めて日本から鉄道ヲタたちが押し寄せるようなことがあれば、僕は町の観光局になんぼか請求するつもりである。 January 24 ドイツの山下奉文福田和也の 『山下奉文』 に、こういう一節がある。山下奉文のユーモアに触れるところ。「ユーモアのセンスもなかなかだった。昭和十五年、ドイツに赴いた時、ゲーリングの大邸宅に招かれた時の感想が、『雅叙園かと思った』。王侯君主のようなもてなしを受けた、と有頂天になった松岡洋右とは、ちょっと違う。」
明治はもちろん、昭和の軍人もほとんどがドイツ留学・視察を経験しているが、しかし(松岡洋右はともかく)ゲーリング邸まで訪れた日本人はもっと外にいるのだろうかと興味をもった。僕の知るかぎりゲーリングは日記などつけていないし、調べようとすれば日本側の資料にたよる外ないだろう。
山下奉文はオーストリア公使館付武官だった、ともある。昭和二年、1927年のことである。つまり彼もまたウィーンでハプスブルク帝国の残り香のなかに住んでいたのである。
ところで福田和也のこの本では、織田作之助の 『わが町』 が引用されている。織田作之助という作家の重要性、嗅覚の鋭さをあらためて知ることとなった。話題にのっかって 『蟹工船』 もいいけれども、織田作之助のほうがずっと手触りがあると僕はおもう。
さて最後に嬉しいニュースを。三島賞をとった福田和也の名著 『日本の家郷』 が、いよいよ復刊された。いったい何年待ったことだろう。新書での復刊というのもうれしいのです。興味のある方はこちらへ。 January 23 芥川のホフマンスタール
さいきん岩波文庫からホフマンスタール詩集が出ました。うれしいことです。訳者は川村二郎。ところで、芥川龍之介はこんなことを書いています。
「―低い舷の外はすぐに緑色のなめらかな水で、青銅のような鈍い光のある、幅の広い川面は、遠い新大橋にさえぎられるまで、ただ一目に見渡される。両岸の家々はもう、たそがれの鼠色に統一されて、その所々には障子にうつるともしびの光さえ黄色く靄の中に浮んでいる。上げ潮につれて灰色の帆を半ば張った伝馬船が一艘、二艘とまれに川を上って来るが、どの船もひっそりと静まって、舵を執る人の有無さえもわからない。自分はいつもこの静かな船の帆と、青く平らに流れる潮のにおいとに対して、なんということもなく、ホフマンスタアルのエアレエプニスという詩をよんだ時のような、言いようのないさびしさを感ずるとともに、自分の心の中にもまた、情緒の水のささやきが、靄の底を流れる大川の水と同じ旋律をうたっているような気がせずにはいられないのである。」
芥川龍之介「大川の水」より January 22 コロキウム日本でチェーホフについてとやかく言う暇があったらロシアに乗り込んでいってチェーホフ研究者をぎゃふんと言わせてみたらどうだ、みたいなことを柄谷行人は言っている。チェーホフはもちろん例であって、外国文学すべてのことをいっているのである。 たしかに。能書きが多すぎる。
さて、たまには大学のことも書きます。あすはドクトランテン・コロキウムである。講座の教授2人、助手、博士論文執筆者などがあつまって、毎回2,3人が発表する。発表者はあらかじめ全員に論文や原稿をメールで送っておく。みんなはそれを読んだ上でコロキウムに臨むので、いきなり議論からスタート。1人の持ち時間は90分。発表者はこの90分間の集中砲火を凌がねばならない。
メールで送られてくる資料が少なくないし、内容が専門外のことも多々あるので、そのための予習もしだすと時間はいくらあっても足りない。速読の訓練にはちょうどいいが、僕は速読ができない(山田詠美風)。
あすの発表のひとつは現代ドイツにおける<文学的ジャーナリズム>論。文学でもない、かといって単純にジャーナリズムでもないようないわばミックス形式のテクストとそれを書く作家たちを扱い(知ってる人はベンヤミン・フォン・シュトゥックラート=バレを考えてください)、ひとつのジャンルとしてみなせるかどうかを問う論文。もうひとつはDDR文学におけるアイデンティティの問題を、ヨーンゾンとクリストフ・ハインの作品を例に論じるもの。理論篇ではリクールとレヴィナスがベースになっていて、なんか怖い。
このDDR文学について発表するのはルーマニア出身の女性である。彼女の文章からは、東ドイツを通じて自分のこと自分の国のことを語るんだ、というメッセージが(隠してあっても)伝わってきて、説得力がある。ルーマニア文学をそのまま語っても、認知度の低さはどうしても否めない。彼女はそれを知ってのことだろう。そういう意味で、DDR文学は東欧の人々には遺産であり武器なのかもしれない。 January 21 カール・クラウスのハイネ批判カール・クラウスがベンヤミンやヴィトゲンシュタインに影響を与えたその仕方は、ハインリヒ・ハイネがニーチェやフロイトにそうしたのと似通ったところがある。しかしカール・クラウスは面白いことに、ハイネをきつく批判している。これにはアドルノも参っていた(アドルノ:「ハイネという傷」)。カール・クラウスの攻撃目標はハイネの文体であった。ハイネは「書き散らした」作家として知られており、ポエジーのなかにジャーナリズムを巧みに取り込んだことが評価されることもあるのだが、クラウスにはその雑多な感じがゆるせなかったようである。これは近親憎悪ということで済ませられるだろうか?
カール・クラウスは「ハイネとその顛末」という1910年のエッセイのなかで、こう書いている。「素材に生きるものは、素材に喰われて死ぬのである。言語のなかに生きるものは、言語とともに生きのびる」。贅肉がなく鋭角のついたこの文章、カール・クラウスの真骨頂という感じがする。
ハイネが言語のことなどおかまいなしに「素材に生き」たかどうかは疑問だが、とにかくクラウスは20世紀初頭のあやふやで勿体ぶった締まりのない装飾だらけの「新聞言語」、つまりはスペクタクルを求める大衆に迎合するばかりの言語を打ち砕くために、ハイネに遡ったのだった(このころに一度メディアの大衆化が起きているため)。そのハイネから200年、クラウスからは100年たったいま、文体はどうなったか。クラウスが現状を知ったら怒りのあまり卒倒するだろう。
ただキットラーがいうように私たちの文体=言語=思想はほとんどメディアに規定されてもいるので、考えてみればハイネもニーチェもベンヤミンもそれぞれに新しいメディア環境のなかでその先端をいったのであって、私たちがこのぬるいブログ言語をはなれて美文に走ってもそれはそれでウソである。クラウスが言う通り、素材に生きることしかしていない今のウェブ言語はそのうち見事にのたれ死ぬだろうが、かといってウェブのなかにしか外に生きのびる方途がないのも事実であり、凝った美しい文章を書いてもせいぜいミクシー的な内輪サークルでしか通用しないだろう。
「言語のなかに生きるものは、言語とともに生きのびる」。だが、これがむつかしい。
柄谷行人の第一評論集から。「それゆえ、批評においても、何を書くかということよりいかに書くかということが問題である。たとえば、怒りや悲しみがいかに率直なものであってもそれをことばにすれば凡庸であり他人を感動させないのは、それらが本来伝えがたい失語の溝を一挙にとびこえて社会化したクリシェに頼ってしまうからだ。固有の怒りや悲しみでありながら、ことばにしたとき私たちは他人の怒りや悲しみしかもつことができないのである。書く意図や動機がどんなものであっても、私たちは社会的言語との格闘を経なければリアリティを実現することができない。したがって、いかに書くかは技術的な問題ではなく、もっとも倫理的な問題であり、ここにすべてがふくまれる」。
なのだけれども、ではこのウェブ時代にいったいどうすれば「言語のなかに生きる」ことができるのか。試行錯誤はつづく。 January 20 かんなぎにブルックナーJanuary 19 アウグスト・ザンダーDVD
トーマス・マンを、デーブリンを、そしてなによりベンヤミンを魅了した写真家、アウグスト・ザンダー。代表作である写真集 『20世紀の人々』 は、ワイマール期ドイツそのものの肖像画である。ほとんど民俗学的な仕事といっていい。そのザンダーの生と作品を紹介するドキュメンタリDVDが出ている。監督はライナー・ホルツェマー、2002年製作で、発売は2005年。45分とやや短いのが残念だが、つまりはもっと観たいと思わせてくれるほどの内容だということだ。静謐でうつくしいドキュメンタリである。
僕はこれを日本にいるときにTSUTAYAで借りて観た。それでてっきり有名なDVDだと思いこんでいて、ドイツ人に話したら、「そんなDVDがあるのか!」と驚かれたことがある。あやしく思って調べてみたら、たしかにどうやらドイツでは出回っていないらしい。不思議だ。アメリカでは売られていたことがあるようだが、現在では中古で375ドルという法外な値段がつけられていたりする。日本では4000円台で買えるようだが、しかしドイツでもなかなか観れないものがTSUTAYAでレンタルできるというのは、なんというか、世界は喜ばしく狂っている。 January 18 ビールのんだくれるきのうは朝からデュッセルドルフへ行き、まず駅前の映画館で『ブッデンブローク家の人々』(2008)をみる。3週間前に封切りされたもの。これがとてもいいので、ほとんど泣きながらみた。恥ずかしくなんかないもん。ドイツがいっそう大好きになった。戦前のドイツが。映画のせいで気持ちいいような、ヘンな気分になったので1時間ほどデュッセルドルフの町をうろついたあと、飲み屋に入ってビールを飲む。はしごして飲む。土曜の夜だからたいへん賑やかだ。けっきょく4軒はしごしながらチェコ・ビールなどを8時間にわたって飲みまくる。締めにラーメンはさすがにムリなので、スパゲッティ・カルボナーラを喰らう。ドイツに終電などというくだらないものは存在しない。ふらつきながら電車に乗り、ヴッパータールに帰ったら朝4時前だった。(いくらなんでも治安よすぎなわけで、逆の意味でダイジョウブか、ドイツよ。) というわけでいささか二日酔いである。きょうも使い物にならない、廃人生活600日。そうそう、『ブッデンブローク家の人々』は岩波文庫じゃなくて、やっぱり川村二郎の翻訳で!
January 17 映画『ワルキューレ作戦』January 16 ラッシュ・フォー・ベルリン
シュタウフェンベルクのヒトラー暗殺計画が成功していたら、どうなったか? シュタウフェンベルクは新たに政権の座につき、戦争を継続する… というバックグラウンドのPC用・戦略ゲーム 『ラッシュ・フォー・ベルリン』 のトレーラー。2006年発売。買おうかどうか、思案中である。ドイツ人はヒトラーには唾を吐くが、シュタウフェンベルクのことが大好きだ。 January 15 クザーヌスを読む西田幾多郎を読むいま、クザーヌスを読んでいる。西田幾多郎はクザーヌスの影響を受けているからだ。『善の研究』 から、印象的な箇所をぬきだしてみよう。下線強調は引用者で、文中にDe docta ignorantia とあるのは、クザーヌスの 『学識ある無知について』 を指している。
神は如何なる形において存在するか、一方より見れば神はニコラウス・クザヌスなどの
いったように凡ての否定である、これといって肯定すべき者即ち捕捉すべき者は神でな
い、もしこれといって捕捉すべき者ならば已に有限であって、宇宙を統一する無限の作
用をなすことはできないのである (De docta ignorantia, Cap. 24)。 この点より見て神は
全く無である。然らば神は単に無であるかというに決してそうではない。実在成立の根
柢には歴々として動かすべからざる統一の作用が働いている。実在は実にこれに由っ
て成立するのである。たとえば三角形の凡ての角の和は二直角であるというの理は何
処にあるのであるか、我々は理その者を見ることも聞くこともできない、而もここに厳然
として動かすべからざる理が存在するではないか。また一幅の名画に対するとせよ、我
々はその全体において神韻縹渺として霊気人を襲う者あるを見る、而もその中の一物
一景についてその然る所以の者を見出さんとしても到底これを求むることはできない。
神はこれらの意味における宇宙の統一者である、実在の根本である、ただその能く無
なるが故に、有らざる所なく働かざる所がないのである。
なにかが「ある」、「存在する」ということを証明するためにいくら「分析」をほどこしてみたところで、根本はなにも明らかにならない。これは、実在がすでに「信仰」の上にのっている(あるいは重なっている)ということを述べた、力のある叙述である。 January 14 ゲッベルス書誌
ゲッベルスの著作ないし関連書で、日本語で読めるものを整理・分類してみた。まだ完全なものとはいい難いだろうが、しかし「ゲッベルス書誌」は私の知るかぎり初めての試みだとおもう。訂正・追加事項などご教示いただければさいわいである。
〇翻訳(単行本) ヒットラー/ゲッベルス『人民戦線に対するナチスの宣戦』大東文化協会研究部訳(青年教育普及会1936) ゲッベルス『伯林奪取』下村昌夫訳(永田書店1940) ゲッベルス『宣伝の偉力』高野瀏編訳(青磁社1941) ゲッベルス『戦争は偉大なる教育者である ― ナチスの戦争論』金平太郎編訳(東邦書院1942) ゲッベルス『勝利の日記』佐々木能理男訳(第一書房1944) 『ゲッベルスの日記 ― 第三帝国の演出者』西城信訳(番町書房1974) 『大崩壊 ― ゲッベルス最後の日記』桃井真訳(講談社1984) ゲッベルス「ミヒャエル」(小説)、『ドイツの運命』所収、池田浩士編訳(柏書房2001)
〇翻訳(雑誌等掲載) 「ナチス宣伝相ゲッベルス未公開日記 ― ヒトラー暗殺未遂事件の新証言」友田錫訳・平井正解説、『中央公論』107-9号所収(中央公論新社1992) 「ナチス宣伝相ゲッベルス未公開日記 ― 第三帝国›奥の院‹の内部抗争」友田錫訳、『中央公論』107-10号所収(中央公論新社1992)
〇伝記・解説 ロージャー・マンヴェル/ハインリヒ・フレンケル『第三帝国と宣伝 ― ゲッベルスの生涯』樽井近義・佐原進訳(東京創元新社1962) クルト・リース『ゲッベルス』西城信訳(図書出版社1971) 安西徹雄『ナチス情報戦略:操作される欲望 ― ゲッベルスの哲学』(産業能率短期大学出版部1975) 草森紳一『絶対の宣伝 ― ナチス・プロパガンダ(1)宣伝的人間の研究ゲッベルス』(番町書房1978) 平井正『ゲッベルス ― メディア時代の政治宣伝』(中央公論社1991) 前川道介『炎と闇の帝国 ― ゲッベルスとその妻マクダ』(白水社1995)
〇関連(書籍) ゲッベルス編『ヒトラーの獅子吼 ― 新興独逸の英雄アドルフ・ヒトラー首相演説集』滝清訳(日本講演社1933) ジャン・マリー・ドムナック『政治宣伝』小出峻訳(白水社1957) 草森紳一『絶対の宣伝 ― ナチス・プロパガンダ(3)煽動の方法』(番町書房1979) 八束はじめ/小山明『未完の帝国 ― ナチス・ドイツの建築と都市』(福武書店1991) 平井正『20世紀の権力とメディア ― ナチ・統制・プロパガンダ』(雄山閣1995) ヴィリー・ミュンツェンベルク『武器としての宣伝』星乃治彦訳(柏書房1995) 小岸昭「エッカルトからゲッベルスへ」、『世俗宗教としてのナチズム』所収(筑摩書房2000) エーディト・ハーン・ベア/スーザン・ドゥオーキン「魔王ゲッベルスの笑い声」、『ナチ将校の妻 ― あるユダヤ人女性:55年目の告白』所収、田辺希久子訳(光文社2000) グイド・クノップ「火つけ役 ― ヨーゼフ・ゲッベルス」、『ヒトラーの共犯者 ― 12人の側近たち 上』所収、高木玲訳(原書房2001) 池田浩士「ヨーゼフ・ゲッベルスの想像力 ― 小説『ミヒャエル』を読む」、『虚構のナチズム ― 「第三帝国」と表現文化』所収(人文書院2004) 木下和寛『メディアは戦争にどうかかわってきたか ― 日露戦争から対テロ戦争まで』(朝日新聞社2005) フランク=ロタール・クロル「ヨーゼフ・ゲッベルス」、『ナチズムの歴史思想 ― 現代政治の理念と実践』所収、小野清美・原田一美訳(柏書房2006) 飯田道子『ナチスと映画 ― ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中央公論新社2008)
〇関連(論文等) ユリウス・フーチク「ゲッベルス宣伝相への公開状」、『新日本文学』7-3号所収(新日本文学会編1952) 吉田輝夫「ファシストたちの群像 ― ヒトラー、ゲッベルスとヒムラー」、『歴史評論』123号所収(校倉書房・歴史科学協議会編1960) 中村幹雄「ゲッベルス像の修正」、『史林』59-5号所収(史学研究会編1976) 小岸昭「ゲッベルス ― 反文学の神話」、『現代思想』17-9号(闘うデリダ:言語のポリティクス特集)所収(青土社1989) 中村健之介「ドストエフスキー・ノート(5)ゲッベルス、トマス・ア・ケンピス」、『大妻比較文化』9号所収(大妻女子大学比較文化学部編2008)
January 13 シラー生誕250年(2)
ことし2009年は、シラー生誕250年。日本でのシラー受容を紹介するきょうは第二回目。太宰治は、シラーはもっと読まなければならないと書いた。いっぽう鷗外には、「シルレルが医たりし時の事を記す」という文章がある。じしん軍医だった鷗外、このとき27歳。鷗外はここで伝記風に、亡命前夜のシラーのようすをうつくしく描き出している。すこし引用してみよう。(こんかいは近デジにお世話になった)
シルレルは午前八時に最後の病院勤務を果して寓に還り、小行李の荷造に掛りしが、 不圖クロツプストツクの頌歌集手に觸れたり。把りて之を吟ずるに、面白きこと限 なければ、筆を採りて之を和せんとしぬ。ストライヘルが來り觀しときには、シル レルは猶句を思ひて呻吟したりき。大に驚いて之を促し、午後九時に至りて行李を 收め得たれば、シルレルは伶人の家に遷りぬ。 シルレルは此處にて聯隊醫の制服を脱し、兼て用意したりし平服に着替へたり。不 慮の事あらん時のためにとて、二挺の短銃に丸を込めたるも巳に有り。己れが行李 に伶人の行李と其小「ピヤノ」とを併せて、門前に待ちたる車の上に載せ、扨盤纏 を査せしにシルレルの貯蓄は二十三「グルデン」にて、ストライヘルか分は二十八 「グルデン」なりき。ストライヘルが母の涙を流して見送るを跡になして、二人は 車に上り、エスリンゲル門を指して驅りぬ。
シラーが世に投じた『群盗』は、すぐさまセンセーションを巻き起こした。しかし彼はこの処女作を、匿名で発表せざるをえなかった。領主が、シラーの「作家活動」など認めなかったからである。幽閉生活もおなじだった。ついに彼は亡命を決意する。その緊迫を伝えるのが上の鷗外の文章である。
しかし緊迫のなかに鷗外が描くのは、荷づくりのことなど忘れてクロプシュトックの詩に没頭してしまう青年シラーの姿であり、しっかりもののシュトライヒャーの友情であり、その母の涙を背にして門めざし、駆ける車の颯爽だ。シラーの人生のなかから「医たりし時」をえらんだ、抒情詩人、鷗外。 |
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